ニトロは今でもその会見をよくよく覚えている。
 今月の定例会見の場で、ティディアは心から嬉しそうに、至福の笑みを浮かべ、誕生日会に弟と『恋人』が参加することを明らかにした。
 ――あの“照れ屋の”ニトロ・ポルカトがとうとう社交界に現れる!
 ――しかも、あの“人見知り”のパトネト王子を引き連れて!!
 その一大ニュースが明かされた時の会見場は、取材陣の驚きと歓迎と質問を許されようとする呼びかけと……もうとにかく無茶苦茶な騒ぎっぷりであった。が、そのお祭り騒ぎは三分も続かなかった。直後にティディアが言ったのだ。誕生日会は“シークレット”にすると。会見場は水を打ったように静まり返った。そのあまりの落差に、ニトロは笑ってしまった。
 まあ、無理もないことではある。元々、王の子女の誕生日会にマスメディアの取材はなかなか入れない。その様子は基本的に王家広報から提供される映像でしか見られぬものだ。しかしティディアだけはわりとメディアにも門を開いており、これまでも毎回幸運な数社が――もちろん様々な条件付だが――カメラを持ち込むことが出来ていた。
 それなのにティディアは今回に限ってメディアの参加を一切禁止したのである。一瞬にして膨張していた期待感が一瞬にして萎んだ後、我に返ったように“シークレット”の撤回を要求し出した取材陣のセリフはほとんど嘆き節であった。
 翌日からのメディアの騒ぎ方も、会見場の取材陣の感情を抽出したようなものだった。
 驚きと歓迎、そしてそれを自らの声で報じられない失望。
 ゴシップを扱うワイドショーの中でも随一の人気キャスターが、番組中に何十回ものため息をつき、つられてコメンテーター達も何度もため息をついていたことが話題になった。そのあまりにもあからさまな落胆振りはネットでも話題となり、今やそれを元にした『映像作品』はWebの中にごまんと溢れている。
 そして、ニトロが会見をよくよく覚えているのには、もう一つ理由があった。
 彼は、いや、彼もてっきりティディアが大手を振ってマスメディアの目を会場に引き入れると思っていたのだ。何しろ『恋人』を社交界の人間としてアピールする絶好の機会である。パトネトの存在感をより増すためにもメディアは大いに利用できるだろう。
 だが、ティディアはあっさりと、かつはっきりと『当日の映像は、王家広報からのみ提供します』と断言した。
 もしかしたら、星の中で最も驚いたのはニトロであったかもしれない。彼はしきりに首を捻り、芍薬も釈然としないでいたが、これについてはハラキリが有力な説を二つ与えてくれた。
 一つは、ニトロと弟が出るからこそ“閉じた”ということ。それは彼女なりの感謝と誠意として、かつホストとして混乱を未然に防ぐべく当然の処置として。特に弟が出てきやすいための整備としても考えれば筋は通る。
 もう一つは……ハラキリは言った。
 ――「秘するが花ですよ」
 そう、隠すことによる事実の増幅。王家広報からの映像だけでは語られぬ部分を、人は想像で華美に彩ることだろう。招待客の口を閉ざすこともできないから、彼ら彼女らはメディア渇望の情報源となり、そこで語られることは尾ひれのみならず背びれも胸びれも巨大化することだろう。そうして彩られ、過大となるほどに、ティディアにとっては都合が良いこととなろう。
「……」
 ニトロはATVからJBCSジスカルラ放送局等主要局を確認した後――王立放送局以外は全てロディアーナ宮殿か『至福の笑み』を浮かべる姫君を流していた――宙映画面を消した。
 息を一つつき、彼は芍薬に目をやった。
「他に頭に入れておくことはあったっけ」
「政経分野デハ、ヤッパリ、『クロノウォレス』関係ガ一番ダネ。『セスカニアン』トノ関連モ重要ダケド、直近ノ“急所”トスルナラ『ラミラス』トノ交渉ガ最重要。アト国内デ言ウナラ西大陸ノ展望ダケド、コレハ“ウマク行ク”デ通シテオイテイインジャナイカナ。東大陸ニツイテハ」
「“ノーコメント”」
「御意」
「了解」
 ニトロは、『パトネト王子の付き添い』として会に参加する。であれば、自分が恥をかけばそれは王子の恥となる。話しかけてくる相手がどんな話題を振ってくるかは判らないが、少なくとも時事的に常識である事にはある程度的確に対応せねばならない。こういう会のマナーとしてA.I.を傍に置くのは不可であるらしいので、芍薬に――芍薬は『警備を兼ねた給仕』として会場内のどこかにいるものの――頼ることは出来ないのだ。
 が、
「それで対処できなかったらハラキリに頼ればいいか」
「御意」
 ハラキリは、ティディアの非公式な招待状に参加と返していた(ちなみにニトロは招待状を受け取りから拒否していた)。あの曲者な親友は、学校での猫被りが見事なほどに博識だ。他国の王女とも対等にやり合える彼がいれば怖いものはない。
「デモ……主様ダケデ、十分平気ダト思ウケドネ」
 改めて見て、蝶ネクタイの形が気に食わなかったらしい。一度解き、結び直しながら芍薬が言う。
 ネクタイを直されるために少し上向きながらニトロは笑み、
「ただ、気になるのは例の『サプライズ』だね」
 ティディアのことだ。何にしても九割がた面倒事であろう。残り一割では穏健な企画も想定できるが、だからといって油断はできない。平和の中に毒を仕込むのも、あいつの得意技だ。
「イザトナッタラあたしモ出ルヨ。マナーナンテ知ッタコトカ」
 ニトロは笑った。
「よろしくね」
 芍薬は、ようやくニトロの“形”に納得がいったらしく、近くで眺めてうなずき、遠くで眺めてうなずいた。
 ニトロが纏うのは、王家御用達のテーラーに急ぎ作ってもらった燕尾服だ。靴もオーダーメイドの特注品。全て芍薬が渾身の力で選定し、交渉し、作り上げてもらったものである。経費は“向こう持ち”ということで糸目もつけておらず、その出来栄えときたら自国はおろか他国の王侯諸侯政治家資産家――あらゆる相手にも引けをとらない。今日は髪もワックスでスタイルを整えてある。ニトロ本人は燕尾服など似合わないと思っているが、いいや、平和なアデムメデスにあって数々の危難困難艱難辛苦を乗り越えてきた彼には年齢相応の若さに年齢不相応の熟成が伴い、一頃に比べて精悍さを増した顔つきは、熟練の職人の手による服飾品びじゅつひんにも負けることはない。
 品の良い落ち着きと、人柄を忍ばせる調和。
 似合う、ということは、きっとこういうことだ。
「バッチリダヨ、主様」
 嬉しく、誇らしく、喜ばしく芍薬が胸を張る。
 芍薬にそう言ってもらえるのならば、ニトロにも自信が湧く。
「ありがとう、芍薬」
 ニトロの笑顔は、一年前、半年前、三ヶ月前のものともわけが違う。芍薬はマスターの成長に堪らない歓喜を感じ、何度もうなずいた。そう、今日は――ティディアの誕生日会というのが癪ではあるが――ともかくマスターの晴れ舞台なのである。
 と、そこに飛んできた通信を受けて、芍薬はニトロに目配せをした。
 ニトロはうなずき、この部屋から『僥倖の間』につながる扉に目をやった。
 扉がノックされる。
「どうぞ」

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