「おっと」
 その発言に、ニトロは胸にざわめくものを感じた。
「トウトウ『明言』ガキタネ」
 ニトロの姿を近場から遠場から、爪先立ちになったりしゃがみ込んだりしながら何度も確認していた芍薬が、明らかに不愉快を示して言った。
 ニトロはうなずくしかない。
 彼は『そのような空気』が三日前からずっと流れ出していたことを、知っていた。東大陸の領主連の動向からも、アデムメデスの一部からも。だが、その空気は、これまでは明確に言語化はされていなかった。もちろんネットコミュニティ内やテレビのコメンテーターなど、あくまで私的な意見としてならばいくらでも言語化されていたが、しかし、公的・政治的な意見として表明する個人・団体は存在していなかったのである。
 そこには、いくらなんでも“まだ”未成年である『ニトロ・ポルカト』にいきなり助け舟を期待するのは『公』としてどうか、という遠慮があったのだろう。
 だが、このタイミングで明言がきた。――ということは、それはすなわち、ニトロがティディアの誕生日会に参加することにより、“もう言ってもいいだろうという情勢”が生まれたことを意味する。また、同時に、彼が、これからは『公人』としてあからさまに扱われていくことをも、その“関係者”の言葉は意味していた。
「意味……ないんだけどねぇ」
 ニトロは、胸にある小さな動揺を潰しながら、言った。
「ていうか自分からそんなことを明言したらトドメだったのに」
「御意」
 芍薬はニトロの燕尾服を、どこか形が崩れているところがないかと、まるで過保護に我が子の世話を焼く母親のように何度も何度も確認しながら、
「バカハ、ソレコソヲ嫌ウヨ」
 そう、自ら解決しようというのではなく、最初からそれを当て込むことこそをアイツは嫌う。
 ニトロは息をつき、
「どれくらい取り潰されるかな」
「コノママダト全滅ハ確実カナ」
「領民の反応は?」
 画面はスタジオに戻り、アナウンサーは解説員に東大陸経済界の動向を聞いている。
「領ゴトニ様子ガ違ウネ。目立ツ実績ヲ出セテイナイ家バカリダケド、反面現状維持ニハ成功シテイル所モ多イカラ。ソウイウ大キナ不可ノナイ領主ノトコロガ“戸惑イ”多数。ソレ以外ハ賛成多数デ、反対ハ消極的。ケレド……不満モ多イノモ事実ダカラ、“戸惑イ”モドチラカト言エバ賛成寄リノ情勢カナ。ソレニ加エテ『ティディア様ノオヤリニナルコト』ダカラネ、盲目的ナノハ民ニモ多イサ。ムシロ政治家モ切ッテホシイナンテ意見モ出テイルヨ」
 ニトロは芍薬の情報と分析になるほどとうなずき、
「でも、政治家に対するのは国民こっちの仕事だねぇ」
 受験のためにちょうどアデムメデス史を勉強していたニトロは、苦笑する。
 そして、その情勢を踏まえた上で、先ほどの『横暴』を臭わす発言や『ニトロ・ポルカト』に関する発言と、そういう発言を出してしまう貴族連中への民の心情がどう動くかを考慮すれば、
(となると、そこらはやっぱりクビだろうな)
 他人事のように――努めて他人事のように、ニトロは思う。そして、
「領主連が押し返してくる目はあると思う?」
「御意」
 再びニトロの襟を直しながら、芍薬はうなずく。ニトロは少し驚き、
「あるんだ」
「レド・ハイアン――アノ『議長』ガ頑張ッテル。“敵”カラ会議デ議長ダッタコトヘノ責任追及ヲ受ケナガラ、ウマク立チ回ッテ“仲間”ヲ増ヤシテルヨウダヨ。ポロポロ余計ナコトヲコボシテル“関係者”ガイルノハ別ノ派閥カ、ソレトモ流レノ読メナイ野心家メダチタガリアタリサ。ソレニ彼女ノ領地ニハ、幸イ妹姫ガ滞在シテイル。配下ノルッド・ヒューラン卿ヲ通ジテ助言ヲ求メテモイルヨ」
 ニトロは感嘆の吐息を漏らした。
「ああ、そりゃあ、正解だ」
 この件において助力を頼むのならば、『ニトロ・ポルカト』よりも『王女ミリュウ』こそが最高の人選だ。元より調停役に向いた妹姫である。そして今の彼女なら姉の意に反する可能性があったとしても、自分で協力すると決めたなら、きっと尽力することだろう。
 ……となれば。
(てことは、その流れでこの件が上手く落とし込まれた暁には……)
 東大陸において、第二王位継承者はきっとその存在感を増すことだろう。今回における彼女の活動が表沙汰にはならなくとも、間違いなく、救われた領主は恩義を感じざるを得まい。
 思えば、ティディアには、貴族に対しても(国民へと同様に)特異な“カリスマによる忠義の獲得”がある。
 その一方で彼女は今回の件のように……いや、今回の件など可愛いくらいの暴れっぷりで処分を科した者も多くあるために、面従腹背の『敵』も数多く獲得している。
 それでもクレイジー・プリンセスが表立って攻撃されないのは、無論熱狂的な信奉に守られているためもあるが、何より大きな理由として“利害による忠義の獲得”があるためだ。とにかく彼女を敵に回すことこそが最大の『不利益』なのである。“王”と“貴族”の力関係は往々にしてその上下を逆転させることがあるものだが、現在のアデムメデスにおいては、民の支持により王権が強力であることに加え、その『不利益』が存在する以上、法や国の仕組みとして明文化されたもの以外の“事実上の権力”までもが絶対的に安定しているのだ。
 と、そこに、妹姫への“恩義による忠義”が重なればどうだろうか。『劣り姫の変』により少なからず傷ついた妹の立場が改善されると同時に、王位という“絶対的な基礎”にまた新たな固い忠義の柱が別角度から増えるともなれば、王家にとってそれこそ非常に都合が良いのではないか。
(……まさか、ここら辺も目論んで『怒った』のか?)
 怒りの原因が会議の“流れ”の中にあるとしても、眼前に現れた“流れ”をどのように扱うかは別の話だ。
 さらに穿てば、あの議長を務めた若い女領主の発言力も非常に強くなるだろう。
 ――そうだ、『ティディア・マニア』である上に、次代を担う若い領主が力を得るのだ。
 これまでの経緯からして、困難を乗り越えた臣下に対して第一王位継承者は実に懐深い態度を示す。男女問わず身を縮めるクレイジー・プリンセスによる恐怖の後の、男女問わず虜にする蠱惑の美女がもたらす安堵。その唇が紡ぐ誉れの言葉は、それまでの困難が厳しければ厳しいほどに相手の心を癒し、心の底までを掌握する。あの『ミリュウの記憶』で見たように、それは一種の麻薬だ。これまでにそうして信奉者を増やしてきたように――相手が元々信奉者であったならば狂信者とまでしてきたように、今回もそうなることは予測に易い。ただでさえ議長であった責任を負っている女領主は、どれほど涙を流してティディアの言葉を胸に抱くだろう。
 自らが即位した後を見据えれば、それもまたティディアにとって実に都合が良い
 ……この件をもっと掘り返せば、『激怒』の仮面の下からさらなる“都合が良い”が出てきそうである。
 と、そこまで考えたところで、ニトロは推察をぴたりと止めた。
 きっとあいつは全て――あの激怒は本物ではあったが、それを含めて全て折り込み済みで行動しているに決まっている。そうだ、あいつは、どれほどの激情に駆られていようが諸々損得込みでイカれるヤツなのだから。
 これ以上深読みする必要はない。
 これ以上はそれこそ政の深みだ。俺がそこまで踏み込む必要はない。
 ニトロはエア・モニターを操作し、王立放送局からATVアデムメデステレビにチャンネルを変えた。
 画面に、ロディアーナ宮殿正門前の広場が現れる。
 ニトロは、驚いた。
 宮殿に入る前にもその人数に驚いたが、ほんの一時間も経たないうちに、広場はさらに人でごった返していた。
 希代の王女の誕生日を祝いに駆けつけた民衆が起こす喧騒の中、ATVの売れっ子女性アナウンサー、フェムリー・ポルカトが大声でカメラに向かってレポートをしている。
 と、横から大きな板晶画面ボードスクリーンを持った一般人がカメラに入り込んできた。そのスクリーンには、今月の定例会見において、自身の誕生日会について語る王女の『至福の笑み』がある。その横には『笑顔のニトロ』があり、両者はピンク色のハートマークで囲まれていた。
<おめでとーございまーす!>
 目立ちたがりな若い男性の声がフェムリー・ポルカトのマイクに拾われる。アドリブの利く彼女は早速その男性にインタビューを始めた。何故ティディアのその写真を選んだのかと訊ねると、男性は力強く返す。
<この時のティディア様を見ていて、私も幸せな気持ちになったからです!>
 それはどうやらフェムリーの欲しかったコメントであるらしかった。彼女は得意な顔でスタジオのキャスターに向けて次の『展開』に向けた一言を送る。するとスタジオのキャスターがそれを受け、画面が件の会見の映像に切り替わった。

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