ニトロは柔らかな味わいのハーブティーを一口啜り、
「ミリュウの件で」
 ティディアは――真面目に――うなずく。
「そう。それなのに『活性』を使ったら?」
「『ああ、どうせそうやって伸ばす気だったから剃ったんだ』――と、軽くなるだろうな」
「ええ。だから自然に伸ばし続けてこそ意味がある」
「それについてはちょっと不思議に思ってることがあるんだよ」
 ふいの問いかけに、ティディアは首を傾げた。
「お前、時々形を整えるために毛先を切り揃えてるよな」
 その言葉に、ティディアは――言ってないのに彼は気づいてくれている!――歓喜に目を輝かせてうなずいた。
「のわりに、髪が伸びるのも並より早くないか?」
 するとティディアは胸を張り、
「毎日しっかり手入れしているからねー。マッサージとか、薬用シャンプーとか色々こだわって」
 ニトロは、ああと言ってハーブティーを飲む。
 ティディアは淡白な反応に少々の不満を抱きつつも、同じくハーブティーを啜り、
「でも、それでも私が『活性』を使って髪を伸ばすことが許されるパターンが、一つだけあるでしょう?」
「――さて?」
 ティディアはカップを置き、ニトロを見つめ、
「ニトロ、あなたが許してくれる場合、その場合にだけ、私は今すぐに髪を伸ばしても皆に許される。妹のために髪を剃った、その重みを失わないままに」
 そこには、一種の政の匂いがあった。それとも談合の臭いだろうか?
 ティディアの言い分は、きっと正しい。
『劣り姫の変』の最大の被害者であり、またそこに存在した問題を解決に導いた人間である『ニトロ・ポルカト』だけが、あの件に対する『許し』に関する事柄全てへの決定権とでもいうべきものを持っている。
 しかしニトロは、哂った。
「そんな話に乗ると思うか?」
「簡単に乗ってくれるとは思っていない」
「簡単でなくなら乗ってくると思っている?」
「抱きついたドサクサ紛れ、が一番だったんだけどね」
「そりゃ残念だったな」
「まあ、それも折り込み済みよ」
「……」
 ニトロはティディアを睨んだ。
 ティディアは事も無げにハーブティーを啜る。
 彼はしばし彼女を睨みつけた後、
「例え俺が『許す』としても、それがパーティーの髪型のため――じゃあ重みは露と消えると思うけどな」
「それが『愛』のためならどう?」
「愛?」
「そう、愛。私の誕生日会にニトロが出るのは初めて。そこで、妹を救ってくれた、心から愛する男性のために『綺麗な身形で』と願う恋人の想いに胸を打たれ……っていう筋書きなら」
「そいつは安っぽいなあ」
「わりと安っぽいものの方が広く大衆に受けるものよ」
「だとしても安っぽかったらやっぱり重みは飛んじまうよ。ミリュウのためにも、それは許さない」
 ニトロは断じた。
 しかし、それがティディアには嬉しい。愛する妹を、あんな迷惑をかけられながらも気にかけてくれる優しい彼の心が。――が、嬉しく思うばかりではいられない。彼女は言った。
「ならミリュウへの『愛』として」
「また愛か?」
「ええ。きっと姉の髪について呵責を覚えているであろう妹の負担を減らすために、頃合としてもちょうどいいから――……ってのは、どう?」
「よくもまあ次から次へと」
 ニトロは呆れ半分、苦笑半分に口元を歪め、断りの代わりに皮肉を返した。
「それにしても随分都合のいい言葉だな、『愛』ってのも」
「それはそうよぅ」
 ティディアは笑った。それは不思議な笑みだった。ティディアらしくもあり、一方で彼女らしくない。理性と感情が半々に入り混じっているような顔で、
「だって『愛』は究極のエゴだもの。いくらでも都合によって形を変えるわ」
 その言い分に、ニトロは今度こそ苦笑する。
「それなら確かに“都合次第”なんだろうけどな。けどエゴに支配されてるんなら『愛の存在』ですらいつでも消せそうだ」
 暗に、だからお前は諦めろと示した言葉であったが、ティディアは無論理解しながらも軽やかに無視し、
「そうね」
 同意を示してから、おどけるように言う。
「それこそ『愛は幻』?」
「珍しく詩的じゃないか」
「どっちかって言ったら詩より哲学ね」
「……認識の違い、ってことか」
「ええ。その『違い』の中にこそ真実の愛はあるのかもね。――ということで、それを一緒に探しましょう? ひとまずここでは『違い』を埋めてみる所から始めてみるの。てことで『許す』って返事をどうぞよろしく!」
「いや許さないって」
「えー?」
「だから、えー? じゃなくてだな」
 ニトロは眉間をとんとんと指で叩いた。
「何にしたって『罰』を軽んじやしないよ。その髪は、お前なりのミリュウへのケジメだろ?」
 ティディアは、胸が張り裂けそうだった。ニトロのその言葉は、つまりミリュウに対してどうとか言うの前に、『姉のケジメ』そのものを重んじていることに他ならない。そう、彼は私の思いも大切にしてくれている! 思わぬところで明らかになったその事実に、彼女は言葉を失っていた。
 一方、ニトロは思わずティディアの『妹への思い』を大切にしてやっていることを告白してしまったのを恥じ、言葉を失っている彼女から目をそらしながら続けた。
「それにだ。『愛』だの何だの理屈を付けたところで、そんな『許し』を与えたら“ああ、結局ニトロ・ポルカトもそういう甘やかしをするんだ”って思われるのが関の山――」
 そう言った時、ニトロの脳裏に閃く光があった。
(――いや、そうすることで『俺』の評価を下げるのも有りか?)
 人から評価を下げられるということは気持ちの良いことではない。が、『ニトロ・ポルカト』が次代の女王の夫として“相応しい”と認識されているこの現状で……背に腹は変えられない。第一、既に他人からは好き勝手言われているのだ。どうしたってネタのタネ。となれば、いっそ見知らぬ誰にどう思われようが構わないではないか。
 ――ならば、
「よし、うん、伸ばして良いぞ! 許す!」
 ニトロは握り拳を作って力強く言った。
 待望の彼の『許し』である。
 だが、意外にもティディアは不本意極まる顔をして、
「ちょっと今何だか物凄い打算を働かせたでしょ!」
 むくれにむくれて、彼女は言った。
「駄目よ、そんなのは。ニトロの誠実な許しじゃないと意味がない!」
 我が儘な、反面筋が通っているようなことをティディアは言うが、その言葉はニトロにとって看過できないものだった。
「意味も何も、てか、普段から打算まみれのお前が言えたことか!?」
 その打算のために色々と厄介な目にも遭ってきているのだ。ニトロの抗議もまた筋の通ったものであるが、されどティディアは胸に手を当て堂々と言う。
「普段から打算まみれだからこそ誠実の尊さを訴えたい! わたくし、アデムメデスの王女・ティディアです!」
「何を標語風味に言ってんだ! つーか、お前みたいなバカ姫の臣民と思うと涙が出るわ!」
「お泣きなさい。その涙で、わたしはまた決意を新たにするから」
「……どんな?」
「民を泣かせてばかりではならない。もっとワラワセテあげなくっちゃ!」
「いや待てお前今絶対おかしなニュアンスで言ったな!? 同じ“わらう”でもそりゃ嘲りのやつだろ!」
「権力者を哂うのは古今東西風刺パロディの基本よ?」
「何をすっとぼけた顔して言うかねっていうかそれを権力者そのものがやるとまた意味が変わるだろ!」
 その瞬間、ティディアの双眸がこの上なくきらめいた。胸前で両手をグッと握り込んで力強くのたまう。
「自虐ネタも古今東西の定番よね!」
「むやみに目を輝かせて言うなボケェ! ああ、もーーー!」
 ニトロはガリガリと頭を掻き、びしりとティディアを指差し、
「やっぱりさっきの『許可』は無しだ! お前はその髪型で出ろ!」
「その頃にはもっと伸びているわよぅ」
 待望だったはずの許可を取り消されたというのに笑顔で言われては堪らない。ニトロは怒声を上げた。
「自然なことならどうでもいいわ! 大体長かろうが短かろうが現実だろうがファンタジーだろうが! お前はどんな髪型でも似合ってんだから何でもいいだろ!」
 ……その時――
 ティディアは、呆けた。
「――え?」
 その時、ティディアは、それしか口にできなかった。

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