ティディアが大汚職事件を颯爽と解決した、翌日。9月1日。
 北大陸ではアデムメデス国教会主催の由緒あるチャリティーイベントが開かれていた。
 開催会場は、北副王都ノスカルラにある5thクイーンスタジアム。武勇名高い偉大な祖母を讃えて7代王が作らせた複合競技場であり、老朽化する度に改築しつつ建設当時から同じ場所に存在し続けるアデムメデス最長の歴史を持つスポーツ施設。そのグラウンドに設置されたメインステージでは各業界の著名人らが、トーク、生演奏、話芸や寸劇、あるいは特別なファンサービスと様々な催しを自主的に開いて参加者を楽しませていた。
 毎年行われるこのイベントには、例年にも増して極めて多くの人出があった。
 その理由は明確で『ティディア&ニトロ』がやってくるためである。
 ただし、二人は今回漫才コンビとしてやってくるのではない。チャリティーオークションの司会のためにやってくるのだ。オークションの目玉は王女ティディアから出品されたドレスやアクセサリーである。司会の二人には、それらにまつわる思い出話を丁々発止のやり取りで紹介してくれることが期待されていた。
 加えてオークションの後には抽選会があり、もし特賞が当たれば“次代の君主夫妻”と今夜一緒にディナーを楽しめる。この『ディナー券』は、何らオークションに出品できるもののないニトロがティディアの提案を飲んだために作られた賞品であったが、何よりこれが超巨大な目玉としてさらなる話題を呼んでいた。何しろ『劣り姫の変』からまだ日も浅い。『英雄』たる少年への熱はまだ冷めぬ。となれば、希代の王女と最強のお目付け役付きで会食できることも含め、極めてレアなその機会を多くの者が欲するのは自然であろう。しかも! このディナー券を当てた者は、今宵の豪勢なディナーのみならず、同時に今月末に王都で開かれる第一王位継承者の誕生日会にも招待されるのだ!
 これで人出のないわけがない。300年の歴史のあるチャリティーイベントにおいて参加人数・募金額・売り上げ各種に空前の記録が生まれることも自然、いやむしろ必然であった。
「――というわけで!」
 楽屋として用意されたVIPルームの扉が開かれるなり、内で『相方』を待ち受けていたティディアは明るく元気に跳躍した。
「相談があるの!」
 ティディアが跳躍した先にはもちろんニトロがいた。そしてもちろん、ティディアはニトロに抱きつく予定だったのである。
 だが、開いた扉の先にニトロは確かにいたものの、それ以前に彼とティディアの間には一つの障壁があった。芍薬アンドロイドである。実際、扉を開いたのも芍薬であった。ドアノブを手にしたままの芍薬と、空中を行くティディアの目がばちりとぶつかる。アデムメデス人としては実に驚異的な跳躍を見せた王女は長い滞空時間の間に、
「体デ聞イテヤルヨ」
 と、にっこり笑いながら腕を広げる芍薬の声を聞いた。
「――いやん」
 頬を引きつらせてうめくティディアはそのまま芍薬に抱き止められ、
「っぬはああああ!!!」
 瞬時に、芍薬にベアハッグを極められて悲鳴を上げた。
 ニトロなら――『ニトロの馬鹿力』が発動したら別の話だが――ツッコミで撃退されていただけであっただろうに……流石にアンドロイドに機械式の馬力で胴を折りにかかられては堪らない!
「んのおおおほうぅぅぅ……!」
 まさに『戦乙女』の死の抱擁である。ティディアの顔が瞬く間に赤紫色となる。過去に食らったニトロのベアハッグも苦しかったが、それでもその苦しみの中には彼に抱きしめられているという喜びを見出せた。しかしこちらは苦悶オンリー。しかもニトロがこちらを見もせず脇をすり抜け部屋に入っていくからには心がロンリー。ドアの閉まる音がやけに寂しく聞こえる。ティディアは絞り出すような声で悲しく鳴き続ける。されど応える者はおらず、応えて欲しい人は振り返らず、その上悲鳴と共に吐いた息を横隔膜が満足に働けないために改めて吸い直すことが出来ないときた。悲鳴もやがて先細りする。流石に限界。タップをして降参を示すが――いやん、芍薬ちゃんたら離してくれない! 正直もう本気でイきそうです!
 一方、部屋に数歩入ったところで、ニトロは思い出したようにふと小首を傾げた。黒地に紅葉をあしらったキモノ姿のアンドロイドに大胆な紅いビキニ姿の女が折り曲げられているのを背にしたままに、正面に立つ女執事に訪ねる。
「ひょっとして、扉が開いたらそれが誰かも確認する前にとにかく飛びかかる――なんてことをしてた?」
「はい」
 ティディアは柔軟性も素晴らしい。普通なら背骨が折れているんじゃないかという勢いで背を反らし、白目を剥いてぴくぴく痙攣しては口の端に泡を吹き出している。そのざまを歓喜の瞳で観ていたヴィタはニトロへ短く気のない返事をした後、こちらもふと思い至ったように、
「何故ですか?」
 ニトロは主人を助けるどころか主人の苦悶に夢中になっていた執事に苦笑を送り、それから芍薬へ肩越しに視線をやった。
 その合図で、芍薬がティディアを解放した。すっかりぐったりしたティディアをぽいと部屋の中に捨て、楚々とニトロの傍に歩み寄る。
 その間、ようやく満足に息ができるようになったティディアは恐るべき回復力で復活するや首の力だけで床から跳ねて立ち上がり、数秒前までのぐったり具合が嘘のように力強く叫んだ。
「もう少しでオシッコ出ちゃうところだったわー! まさか白昼堂々お漏らしプレイ!?」
「いきなりシモネタか!」
 反射的にニトロは叫び、しまった――と思ったが、ティディアは既ににやりと笑っていた。
「違うわよぅ。失神と失禁は割合セットなの、知っているでしょう?」
 ティディアの言うことは、事実ではある。確実な“セット”ではないものの関係性は否定できない。とはいえこのまま話を合わせているとティディアのペースで事が進む。ニトロは眉間の皺を叩きつつ、
「ここに来る途中、ボーっと突っ立ってるスタッフさんを二人見かけたんだ」
 さらにティディアが何かを言おうとするより先に、彼はヴィタに答えた。
「どちらも男性で、どちらも妙に夢見心地な目つきで、そしてどちらも鼻血を垂らしてた」
「ここではッ鼻血は出していませんでしたが?」
 途中で妙なスタッカートを入れたヴィタには明らかに貴重なものを――性的興奮による鼻血を見逃した悔しさが滲んでいた。
 ニトロは彼女の反応からここで起こった全てをまるで我が目で見たかのように確信し、こちらの言葉を待ってうずうずとしている痴女に目をやった。
 すると、少し目を放した隙に距離を詰めてきていた彼女は両腕で胸を隠すようにして、そのくせ谷間をやたらと強調しながら唇を尖らせて、
「もう、恥ずかしい思いをしたのはニトロが遅いせいなんだからねッ☆ぁ痛!」
 ニトロに額を平手で打たれたティディアの悲鳴とスパンという小気味の良い音が見事なハーモニーである。
「ちょっと今のは理不尽じゃない!?」
 いくらか『痛く』叩かれたティディアが抗議の声を上げ、さらに続ける。
「私は二時間も前に来て待っていたのよ!?」
「そりゃお前が早く来すぎだろ。まだ刻限まで三十分もある」
 きろりと睨んでニトロは言う。が、ティディアはめげない。
「待った? ううん、私も今来たところ――でも実は二時間も前に来ていたことを知って胸がキュン☆ 普通はこれでしょ!?」
「言いたいことは色々あるがそもそも“仕事場”でンなお約束が成立するか」
「察しなさいよ!」
「それこそ理不尽だろが!」
 ニトロの怒声を受けてもティディアはやっぱりめげない。むしろ声を大にして叫ぶ。
「大体、反応が逆でしょう!?」
「逆?」
「そうよ! 逆よ! ニトロは全く正反対!」
 そう叫んだ後、ティディアは急に哀れな女を演じるように己の肩を抱いた。
「だって、だって……」
 嗚咽混じりの震え声は実に巧い。
 だからこそに余計に腹の立つニトロはティディアを半眼で見据えた。やおら彼女は嘆きに満ちて訴え出す。反面、彼は息をつく――
「見知らぬ男に強引におっぱいを顔面タッチされた「させた「傷心の「無傷の「彼女を慰めるのが「必要ないな「相方の役目ってもんでしょう!?」「俺はそういう“相方”じゃねぇ!」
 何一つ打ち合わせをしていないのに間断なく流れるようなセリフの打ち返し……ヴィタのみならず、今まで嘆きの演技はどこへやら、ティディアの瞳も輝いた。
「オッケー! 今日も今日とて絶好調!」
 高らかに歓声を上げるティディアの姿に、ニトロは再び眉間の皺を叩いて息をついた。
「……何だ?」
 そして、スタジアムのグラウンドを一望できる大きな窓を備え、有名ホテルのラウンジ然とした楽屋へやの中頃に進みながら――芍薬はいつでもマスターとティディアの間に割り込める位置についてくる――満面の笑みを絶やさぬティディアに問うた。

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