お互いの昔話をしている内にうとうととし出したパトネトを抱きかかえ、一緒に行った遊園地で買ったパジャマに身を包む小さな王子をベッドへ寝かしつけたニトロは、二時間と少し前には賑やかな食事を囲んでいたテーブルにつき、照明を落とした中、一人静かに板晶画面ボードスクリーンに目を落としていた。
 自ら輝く画面は周囲の光が乏しくとも持ち主にデータを見せる。
 ニトロは昨日やった分のアデムメデス史をざっと軽く見直した後、銀河共通語の問題集を開いた。が、画面に表れたのは問題集ではなく、デフォルメされた芍薬だった。
 ニトロは目を丸くした。
 芍薬は、マスターの勉強を邪魔することに罪悪感を漂わせていたが、
<――ドウスルンダイ?>
 表示された問いかけに、ニトロは手にしていたタッチペンをテーブルの上に置いた。
 勉強を始める前に芍薬が淹れてくれたハーブティーを一口啜り、言う
「どのこと?」
 画面の中の芍薬は驚き、ポニーテールを揺らした。芍薬はパトネトを起こさないように――またパトネトに聞かれては具合が悪いかもしれないから、こうして筆談を試みていたのだ。
 しかし、ニトロは、例えその声が囁きであっても……そして当然芍薬の意図を理解しながらも、あえて会話を選んだ。
「色々サ」
 芍薬は抗議をせず、マスターに合わせた。ニトロにはニトロなりの考えがあるのだ。
「色々か。そうだね、色々ある」
「御意」
 ニトロはボードスクリーンをテーブルに置いた。
 すると、部屋の隅――充電器の前に正座しスリープモードに入っていたユカタ姿の芍薬アンドロイドが静かに立ち上がり、ニトロの対面にやってきた。驚くほどの最新技術の粋を集めた機体は衣擦れ以外には音もなく椅子に座り、暗がりの中、切れ長の双眸でマスターを見つめる。
「パティハ、姉ノ味方ダヨ」
「うん。でも、俺の敵じゃない」
 ニトロはミントもブレンドされているハーブティーで唇を濡らし、
俺とあいつの仲を取り持とうとしているとはいえね
 芍薬は背筋を伸ばして座ったまま身じろぎ一つしない。その肌の質感はとてもアンドロイドとは思えず、唇は柔らかく、瞳は潤っているようであり、まるで本物の勝気な女性に見つめられているような気分になる。
 ニトロは、口元に笑みを刻んだ。
「それは、ちゃんと解ってるよ」
「ナラ、何故ダイ。ハラキリ殿モ少シ疑問ヲ漏ラシテイタケレド……あたしハ、正直、関ワリスギダト思ウ」
 パトネトとの付き合い方に対する問い。続けて加えられた芍薬の意思表明に、
「だからって“それ”がパティを拒絶する理由にはならないよ」
 ニトロは目元も微笑ませ、言った。
「パティは強引じゃない。姉が『人事を尽くした上に天命を引きずってでも連れてくる』ってタイプなら、パティは『人事を尽くして天命が来ても様子見してから行動開始』ってタイプだ」
「主様ニハ、今ハ特ニ、ソッチノ方ガ脅威ダト思ウヨ」
それでも、パティは俺の敵じゃあない
「……御意」
「てことは、俺の味方に転ぶ可能性はあるよね。俺とあいつの仲を取り持たない、むしろ俺を擁護して姉を遠ざけてくれる、っていう方向に」
 芍薬がわずかに目を落とした。
 少しの沈黙を挟んでから、この問いへのマスターの答えを確信しながらも、あえて問う。
ダカラ、可愛ガッテイルノカイ?」
「まさか」
 ニトロは芍薬に笑みを返した。心外なことを問われても怒りはない。芍薬の杞憂を晴らすことが重要である。
「そうなったらいいなってこっそり期待はしているけどね、その程度だよ」
 芍薬は、ニトロの予想通りの答えに微笑を返した。実際そのような『計算』を抱いてもいいとは思うが、いや、これだからこそマスターは“強い”のだ。
「それに、もし“それ”を目的にしていたら俺はパティにとっくに嫌われていると思うし、大体、それくらいの可愛い目論見が許せなかったら俺はハラキリを親友となんか思えていないよ。ハラキリだけじゃない、ヴィタさんや、きっと友達全員とも仲違いだ」
 その言い分はもっともである。確かに『計算』を考慮しては打算満載のハラキリと親友なんてやっていられない。芍薬は声を出さずに笑った。
「それに――」
 と、ニトロが少し物憂げに宙を見つめながら、言う。
「『ティディアの弟だから』って拒んだら、それはパティにとって何より酷いんだと思う」
 芍薬は、風呂場での二人の会話を記憶メモリに呼び戻し、静かにうなずいた。
 ただ、ティディアの身内と仲良くなり、その付き合いを深めることは――ニトロが先に言った打算を考慮に入れても、それでもやはり脅威だ。
 されども、マスターはその脅威をちゃんと理解した上でこの付き合いを維持している。
 ――芍薬は、ニトロを見つめた。
 ニトロは芍薬の素振りに憂いの残るのを感じ取り、
「大丈夫。あの子への情にほだされてあいつとの関係を修正する、ってのはないよ。二人は確かに姉弟だけど、パティはパティティディアはティディアだ
 芍薬はそのセリフこそが聞きたかった。
 脅威を理解した上で、こちらの憂慮も理解してくれた上で、その上できちんと決断を下している。しかもそこには一貫した筋が通っている。となれば、
「御意」
 気持ちよくうなずいた芍薬は、しかし、もう一つ厳しい問いを突きつけた。
「ケド、ソレニシタッテ少シ入レ込ミスギダト思エルヨ? モシカシテ……コノ子ハ俺ガチャントサセナキャ――ナンテ“余計ナモノ”ヲ背負ショイ込モウトシテハイナイヨネ?」
「――」
 ニトロは軽く図星を指されて頬を固めた。
 芍薬がそれを見逃すはずがない。
 じっと見つめてくる芍薬に、ニトロは小さく肩をすくめ、
「でも、そう言われてみれば、ちょっとおこがましいことだね」
「主様ノ“スベキコト”ジャアナイ」
「うん……」
「何カ釈然トシナイ感ジダネ」
「……確かに俺の“すべきこと”じゃないと思う。けど……ただね、ちょっと格好つけたい、かな」
「格好ツケタイ?」
 ニトロの言葉をオウム返しにして、芍薬は少し身を乗り出した。
「主様ハ十分格好イイト思ウヨ?」
「ありがとう」
 苦笑と照れ笑いの混じった口調で言い、それからニトロは言葉を選ぶために口を閉じた後、
「何て言えばいいのかな……芍薬の言うのとはちょっと違って……でも、パティに対しては、こう、やっぱりちょっと無理をしてでも格好つけておきたいんだよ」
 ニトロはニュアンスをこねくり回すように、言う。
 芍薬は怪訝な顔をし、
「……解ラナイネ」
 マスターの言いたいことは解る気もするが、それならばまた解らなくなることがある。芍薬は、まずそれを問うことにした。
「本当ニ、ドウシテソコマデ気ニ入ッテルンダイ?」
 すると、ニトロはようやく話しやすい筋道に乗ったとばかりに言った。

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