「信用して!? ほらほら見て見て!?」
 くるくる回りながらティディアは腕を広げる。
「どうぞ今一度じっくりご覧あれ! この体のどこにどんな『安全装置』を付けているって言うの!? 足の裏にガス噴射機!? 懐にワイヤーガン!?」
「お前が付けてなくても他に用意している可能性はあるだろ」
応援スタッフヲ呼ビツケルノモ可能ダロウシネ。アア、ソウサ。ソリャモチロン一国ノ王女様ノ人脈ガあたし程度ニ“全バレ”スルノハ問題ッテモンダヨ? ソリャアソウサ。デモ、ソレナラココハイッソ徹底的ニ負カシテ欲シイモンダネェ」
「芍薬ちゃんたらきっつい台詞回しだこと!」
「既にスタッフが下の観客に紛れてマットなり爆張衝撃緩和嚢SAジェルバックを持ってたりね?」
「ニトロも乗るのっ!?」
「ヒョットシタラ、階下ノ住民ニ協力ヲ命ジテイルカモシレナイシネ」
「それがなくても、ひょっとしたら自力で着地できるかも」
「ムシロ自力デ飛ブカモネ」
「粗末な翼を手でパタパタやって? あ、超能力者サイキッカーを用意できてればそういう演出も可能だね」
「ソレトモ本人ガ実ハ超能力者サイキッカーダッタリシテネ」
「うーん、あり得そうで笑えない」
 つらつらと澱みなく畳み掛けられ、流石にティディアは歯噛んだ。
「そこまで疑う!?」
「「日頃の行いを思い返せ」」
 芸術的に揃って言われてティディアは悶えた。
「返す言葉もございません!」
 ティディアは胸に手を当て声を張り上げる。その様は空中にありながら地団太を踏んでいるようでもあった。
 彼女を吊るワイヤーが――耐荷重は十分許容範囲だろうが――びよんびよん揺れている。
 その様子を見て、ふと、ニトロは思った。
「……なあ、お前が動く度に、いくらなんでもヴィタさん辛いんじゃないか?」
「くたびれる前に事を済ませて下さいって言われているわ」
「……」
「……」
「……」
「……ニトロ、お願い。……入れて?」
「……」
 ニトロは眉間の皺を叩き、
「二つ聞く」
「何?」
「何で車のナンバーが住人のものと一緒なんだ?」
 芍薬が判断に苦しんでいた理由。
 それを聞かれたティディアは早口で、
「これだけは前から用意していたからよ! もちろん偽装だし一度しか使えない手だけど今こそその時!」
「なるほど。後で『用意していた車』の全リストを芍薬に渡すこと」
「一度しかって言っているじゃない一度使った手は芍薬ちゃんにはもう効かないんだから!」
「――で?」
「渡すわよ! 渡せばいいんでしょ!」
 顔を赤くしてティディアは口惜しげに怒鳴る。
 ニトロはうなずき、
「それで。それで本当にお前はうちに入れてもらえると思っていたのか?」
「だって入れてもらわないと――」
「単純にヴィタさんにワイヤーをもっと出してもらえば無事に着地できるな」
「……だって……誕生日プレゼント……」
「プレゼント?」
「そう! 今夜パティに甥か姪を「承諾」
 もはやニトロが言うまでもなく。芍薬は了解を返すや左手の中指から赤いレーザーを放った。ミーッと、音もなく発射できる光線のために味方が被害を受けないよう付けられた音がして、同時、ティディアの顔がさっと青褪める。
「ヒッ!――」
 短く甲高く喉を鳴らし、ティディアはワイヤーが焼き切られる直前――あるいは極めてその刹那、腹筋と背筋を瞬時に爆発させ、まるで空に飛び出したうおのように体を泳がせた。懸命に腕を伸ばし、限界まで指を伸ばし、そして
「ふんにッ!」
 気合一発、紙一重で届いたベランダの手すりに必死の形相でかじりつく!
「……」
 ニトロは腕を組んだままティディアを冷たく見据えていたが……はたと我に返ったように、
「あれ? マジで必死?」
「ていうか瀕死よ! 大真面目に死に直面していたわよ!」
 腕と胸で抱きかかえるように手すりにしがみつき、声を震わせ訴えるティディアはちょっと涙目である。
 どうやら……今回ばかりは真に心底から全てにおいて偽りないらしい。
 ニトロは首を傾げながら芍薬と目を合わせ、それから二人で小さくうなずき合う。
 その様子にティディアは眉を垂れ、
「うう、ホントに命を懸けないと何にも信じてもらえないのね」
「ト言ウヨリ、命モ懸ケラレナイノカイ?」
 と、ニトロが反応するよりも早く、芍薬が問うた。
 その質問にティディアは少し面食らったように目を丸めたが、その目で芍薬の瞳を見た時、人と違って心を映さぬ人工眼球ガラス玉の奥に確かに芍薬の意図を認め――
「ケースバイケースね」
 さらりと、ティディアは応えた。さらに“いつもの調子”で続ける。
「いくら『ニトロのため』だとしても、愛のためだとしても、何でもかんでも命を懸けるのは馬鹿のすることよ」
「ソノ馬鹿ガ何ヲ言イッテル」
「だけど芍薬ちゃんもそう思うでしょう? 貴女の『命』も、軽くない
 芍薬はティディアを見つめ、それからニトロを見た。
 ニトロは今のやり取りに少しの当惑を見せていた。流れとしては芍薬のツッコミとそれに対する受け答えだけ――と取ることもできる会話だが……いいや、芍薬にも、ティディアにも、そこにはどこか“敵対”とは違う奇妙な迫力があった。かと言って、もちろん“友好”とは全く違うのだが……
 初めて遭遇した状況を掴み切れずにいるニトロから、芍薬はティディアへと目を戻し、それからアンドロイドの体で器用に『ため息』をついた。
「引キ上ゲテモイイカイ? ココデ死ナレタラ主様ノ夢見ガ悪クナル。無茶サレテ大切ナ鉢ヲ倒サレルノモ嫌ダ」
 ニトロは今一度ティディアを見た。
 ティディアは未だに手と腕だけで体を支えている。脚を使わないのは事ここに及んでなお腿を閉じているからであるらしい。そして、芍薬の示唆するように、ティディアの身体能力ならば脚を使わずとも、また腿をぴったり閉じたままでも曲芸師のようにベランダに飛び込んでくるのは可能だろう。しかし彼女がそれをしないのは、おそらく芍薬が大切にしている鉢植えに万が一のないように配慮しているから――だろう。
 ニトロも、ため息をついた。
「……何で命懸けって分かっていながらこんな馬鹿なマネをするのかね」
「だって『守護天使』」
 そのセリフに、ニトロはもう一つため息をついた。
 そう、守護天使
 アデムメデス国教は一年368日、その一日一日に守護天使がいると教えている。8月28日を担当するのは『天使クラウネ』だ。クラウネは金髪で白布を身に巻いた女の姿で描かれ、司るのは『歌劇』である。前日の27日を守護する兄『クラウン』と共に特に喜劇を祝福すると言われ、女芸人の信仰厚い天使でもある。
 なるほど、一日早いが、彼女なりに弟を思っての仮装であるのは理解できるし、一目見た時にそれも含めて“意味”の全てを理解していた。
 だが、
「だからって、それなら玄関から来ればいいだろう。何でわざわざ命綱一本なんて危険な方法を採るんだ」
「堂々と玄関から来て、それでニトロが部屋に入れてくれるとは思えないわねー」
 ニトロは渋面を作った。自分で言っておきながら、確かにティディアの言う通りだ。
「それに――」
 と、ティディアは重ねる。
「何より普通にやって来ちゃあサプライズが足りない」
 体を支える腕をプルプルさせながら(もうちょっと頑張れる)ティディアはニトロの背後へと笑顔を送った。
「ね、楽しめた?」
 ニトロと芍薬は振り返った。
 すると、食卓の椅子で床に届かぬ足をぱたぱたと動かしながら、目尻を下げたパトネトが心から嬉しそうに笑っていた。
 それを見たニトロは、
(ああ、なるほど姉弟か)
 内心苦笑し、頭を掻き……
「芍薬」
「承諾」
「だからさっきからずっとその名前を呼んだだけで以心伝心なのは正直ずるいと思うの」
「ウルサイヨ」
「私ともそうなりましょう?」
「断固拒否」
「いけずー」
 芍薬に引き上げられながら文句を言うティディアを背後に、ニトロはスリッパについた砂を払ってから部屋に入り、パトネトと目を合わせた。
 パトネトは、今度は顔を背けない。
 ニトロは再度頭を掻き、
「今日だけ特別だ」
 振り返り、ひどい渋面の芍薬にワイヤーを外してもらいながら、自分はスカートの丈を長めに直しているティディアに言う。
「今日だけ、部屋に入れてやる」
 ティディアが何故か一瞬ぽかんとし、それから激しくうなずいた。その頬も、瞳も、実にキラキラと輝いていた。
 一方、ニトロは顔を曇らせて続ける。
「もちろん、解っていると思うが泊まりはなしだからな」
 ティディアはうなずき、それからいそいそと部屋に入ろうとして、そこでふと思い止まった。
 ニトロが何かと思えば、芍薬が多目的掃除機マルチクリーナーを操作して濡れ布巾を持ってきた。
 芍薬が先に入り、受け取った布巾で足の裏を拭いたティディアは――
「……」
 何やら万感の思いを噛み締めるように、じっくりと、一歩、部屋に踏み入った。
「……」
 ティディアは感動していた。
 ニトロに許されて――形はどうあれ、彼に初めて招かれて入ることのできた彼の部屋!
 単身者用ながら広い一室。窓の傍にあるベッド、壁掛けのテレビモニター、クローゼット、食事と学習を兼ねたテーブル、キッチン……既に知っているはずの間取りが、調度品が、何もかもが真新しく見える。何もかも、目に映る全てがこれまでになく輝いている!
「……嗚呼」
 その嘆息を聞き、ニトロは思わず苦笑した。
「大袈裟な」
 ティディアは彼のセリフを、あえて聞こえなかった振りをした。
 ――大袈裟だと、自分でも思う。
 しかし、決して大袈裟ではないのだ。
 と、玄関のチャイムが鳴った。
「ヴィタダ」
 芍薬がニトロに苦笑を見せる。
「三人ホド、ギャラリー付キダヨ」
「ここまで入り込んできた?」
「御意。警備会社ニハ通報済ミダヨ」
「ありがとう。――でも、お詫び巡りしなきゃね」
「御意」
「菓子折り代は私に持たせて?」
 ティディアの申し出に、ニトロと芍薬は同時に言った。
「「当たり前だ」」
 完璧なユニゾンにティディアがまたちょっと面白くない顔をする。が、それでもすぐに彼女は微笑み、うなずいた。
「さて……」
 芍薬が玄関に向かい、ニトロはキッチンに向かう。
 オーブンレンジを見ると火は消えていた。しまった! と思えば――いや、チーズは焼けていない。芍薬がこちらもすぐに止めておいてくれたらしい。いざとなれば冷凍用に取り置いたものをパトネト用に出すこともできたが、これなら問題はない。ニトロは粗熱を取るために置き放していたグラタンにもチーズを乗せ、それもオーブンレンジに入れ、改めてスイッチを押した。
(ヴィタさんはお腹空いているよな)
「お構いなく」
 と、芍薬に部屋に通されたヴィタが開口一番そう言った。
「私も共犯ですから」
 ニトロは面食らったが、すぐに微笑み、
「グラタンは二人で分ける。スープは間に合うかな。サラダも、まあ大丈夫。それで足りなかったら買い置きの冷凍食品かレトルトで我慢」
 彼の采配に、早速テーブルについてパトネトと歓談していたティディアと、そのティディアの肩に一枚羽織を掛けるヴィタが異論ないとうなずく。
「それから、パティが作ったケーキがあるから」
 その言葉に、ティディアもヴィタも大きく目を丸くした。黒曜石とマリンブルーの宝石が、驚きのあまりに不思議な輝きを見せていた。
「パティが?」
 姉の驚愕と感激の相半ばする声に弟は誇らしげに胸を張り、そして顔をほころばせた。
「ニトロ君と一緒に作ったの。みんなで、一緒に食べようね」

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