負けて最も被害のない人間はパトネトであるが、彼も手を抜かない。実のところ負けず嫌いであるのだ。“親”が勝つ度に悲鳴や勝鬨が上がった。大した運動でもないのにニトロもパトネトも全身に汗をかいていた。確率だけでは計算しきれない心理の読み合いである、芍薬もアンドロイドのCPUを熱暴走寸前までフル回転させていた。
 白熱。
 苛烈。
 互角!
 二本奪取で、皆が並んだ。
 一に抜けたのは――芍薬であった。
 芍薬は思わず天井まで飛び上がって歓声を上げた。
 本気で小躍りしている芍薬の姿にニトロも内心、ちょっと安堵していたが……ふと思い出す。自分の罰ゲーム……『話題のアイドルのセリフやポーズ』――ちょうど、“ある”のだ。しかも最悪なものが。巨乳を売りにするアイドルが、胸の両手で挟み谷間を強調しながら腰を振り振り甘えるような口調で自分の名前を言う、というふざけたものが! あまりの馬鹿馬鹿しさ、出来の悪さでかえって話題となった深夜ドラマから飛び出てきたそのポーズが。
 ……負けられない。
 そんなことをしてみろ。そしてパティから“お姉ちゃん”に伝わってみろ。あいつにそんなことを知られたら……!
 一方、パトネトも熱くなっていた。芍薬に一抜けされたことも、彼に火をつけていた。それに、大好きなニトロ君のきっと面白いモノマネも見てみたい。だって僕は『ティディア&ニトロ』も大好きなんだ!
 接戦であった。
 どちらも本気であったからこそ、楽しくもあった。
 先にニトロが手を一つ引いた。
 ニトロはそのまま逃げ切りたかったが、パトネトが追いついてきた。
 負けられない!
 引き分けを繰り返すこと13回。
 そして――
 敗北したのは、ニトロであった。
 彼は膝から崩れ落ちた。
 芍薬は、罰ゲームハ無シデイイヨと言った。
 少々迷った後、パトネトも無しでいいよと言った。
 しかし、ニトロは、二人の言葉に甘えるのはどうかと考えてしまった。ここで逃げるのは真剣に楽しんだゲームへの裏切りのような気がする。さらに簡単に約束を反故にしてはパトネトへの教育上大変よろしくないようにも思う。彼の交流範囲はとても狭い。自分が大きな責任を感じる必要はないとは思うが、それでもこの小さな王子にとって、現状あの姉が最大の先達であることを考えれば――
 ――ニトロは、決心した。
 彼は敢行したのである。
 いくら決心したとはいえ羞恥を吹っ切れはしない。
 だから顔を真っ赤に染めて、彼は力一杯両手で胸を強調するポーズを取りながら腰を振り振り声もかわいく精一杯に、
「☆右も! 左も! メシの種♪ ディ・ティ・ナ・でぇんす☆」
 されど、基本的に自分の興味範囲外には知識のないパトネトである。当然、彼はニトロが真似したアイドルのポーズも口調も全く知らなかった。(色んな意味で)ニトロ渾身のモノマネは壮絶な空振りに終わり、幼い王子はただただぽかんと彼を見上げるばかりだった。
 ……地獄である。
 まさに地獄の恥悶ちもんである。
 ニトロが精神的に瀕死状態となったのは無理もない話であろう。
 とはいえその後、『きっと面白いモノマネ』がじわじわと効いてきたらしく、
「変なのぉ」
 と――そのセリフは自体はまたダメージとなったけれども――パトネトがくすくす笑ったのは、ニトロにとってせめてもの救いではあった。
 他方、芍薬はうちひしがれるマスターを気遣う裏で、密かにちょっと喜んでもいた。主様の激レアシーンだ。それも極めて激レアなシーンである。こんなに羞恥に耐えるマスターは初めて見たし、今後も見られるかどうか分からない。さらに言えば、ゲームでここまでニトロと盛り上がったのも初めてだ。楽しい一時の大切な思い出。芍薬は記憶メモリ記録ログと共にそっと録画した映像を(色々鋭い彼に勘付かれる前に)『宝物フォルダ』に厳重にしまいこんだ。
 ――ニトロの復活には、さして時間はかからなかった。
 落ち込むニトロにパトネトが当惑し出し、すると芍薬も慌てて慰め出す。芍薬を追ってパトネトも懸命に取り繕いの言葉をたどたどしく紡ぎ出し、その最中、ニトロは何故だか、次第に二人に慰められている自分が笑えてきたのだ。
 滑稽な自分の滑稽な顛末が馬鹿馬鹿しくなったとも言える。
 だが、ニトロが笑えば、パトネトも芍薬も笑い出す。
 笑い声は次の笑いを呼び、最後には三人とも純粋に笑い転げていた。
 部屋には黄昏の光が差し込んでいる。
 ちょうど頃合。
 ひとしきり笑った後、ニトロは晩餐の準備に取り掛かった。今度はパトネトも賓客として手伝わず、持ってきたモバイルコンピューターにフレアを呼び出し、限定条件の下、芍薬とフレアの模擬戦を楽しんだ。
 日が沈み、やがて美味しそうな香りがキッチンから流れ出す。
 そうして、パトネトが一番楽しみにしていた夜が来た。

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