ニトロとパトネトは、結局、午前中をケーキ作りのみに費やした。
 菓子作りはもちろん料理もしたことのないパトネトだ。持ち前の手先の器用さと物覚えの良さがあっても何分全てが初体験。さらに知的好奇心旺盛なため、一つの工程を教わる時には必ず質問が出る。
 例えば、何故小麦粉をふるう必要があるの?――ダマにならないようにするためだよ。粉に空気を含ませるのもあったかな――『ダマ』って何?――塊のこと。後で泡立てた卵と混ぜる時に、ふるっておかないと卵の中で粉の塊が残っちゃったりするんだ――それが何でダメなの?――味にも食感にも悪い影響があるからだよ。それに粉を卵の空気を抜かないように混ぜないといけないのに、ダマを潰そうとすると泡も一緒に潰れちゃう――卵の空気? 泡? 泡立てた卵って、ぶくぶくって空気を吹き込んだ卵なの?――それはこの後に出てくるから、その時にね……と。
 卵を泡立てる際には、卵を泡立てる機械ハンドミキサーの登場に興奮し、さらに卵が空気を含んでいくに従い色を変化させることにも興奮し、では何故それで色が変わるのかを訊く。空気を含んでいくから、とニトロが答えると何故空気を含むと色が変わるのか、それに粘度も何故変わるのか?……ニトロは、流石にそれは分からない。そのような場合は芍薬の出番となり、資料を検索した芍薬から様々な関連事項を網羅した難しい説明を受けてやっとパトネトは納得する。ニトロも感心して――専門用語などは自分の解る範囲で――なるほどとうなずく。それが楽しいらしく、パトネトは笑っていた。
 とはいえ全てが順風満帆というわけではなかった。
 泡立ての工程において、パトネトはハンドミキサーの使い方を誤ったのである。
 ニトロから使用上の注意として言われていたものの、泡立て作業の楽しさからパトネトはうっかり材料から引き抜く前にスイッチを切るのを忘れてしまったのだ。回転したまま泡立てた卵から引き抜かれた羽は、もちろん盛大にそれを周囲に飛び散らせた。壁にも、ボウルを押さえていたニトロにも。が、ニトロは(芍薬はもちろん)怒らなかった。ニトロが怒らなかったのは、彼が『優しいから』というよりも、彼自身、同じ失敗をした経験があったためである。だから彼は、その時、父に言われたように次は気をつけようねとパトネトに注意を改めておくだけだった。一方で、彼にはまた――自身にも経験があるからこそ――パトネトが失敗することを予め織り込んでいた面もあった。
 ――それが、パトネトの不興を買った。
『初めてだから失敗はつきもの』という悪意のない態度も、パトネトからすれば“ニトロ君にそう思われていた”という一種の屈辱、また、激しい悔しさ……事実失敗してしまったからには拭い難い悔しさにしかならなかったのである。
 無論、パトネトのその反応はニトロからすれば思わぬことだった。それなのに不機嫌に頬を膨らまされては難しい。正直、困ってしまうしかない。――されど、ニトロはこれにも怒らず、飛び散った材料の拭き取りを芍薬に任せると態度を変えずにパトネトと作業を再開した。
 パトネトは不機嫌を直さず、ニトロとは口を利かず、しかしケーキ作り――『作る』ということ自体はやっぱり楽しいらしくニトロの教えを受けながら続行する。肝心のスポンジはうまく膨らみ(パトネトはちょっと機嫌を直した)、さあ、いよいよ生クリームを泡立てる段となった際、先の失敗が、ここで活きた。
 二度目の泡立て作業において、ニトロはハンドミキサーの扱いへの再度の注意も、先の失敗を思い出させるような言葉も口にしなかった。パトネトはどんどん粘度を変化させていく生クリームに夢中になり、危うく同じ過ちを繰り返しそうになった――が、彼は思い出した。先ほど失敗して悔しい思いをしたこと、それを寸前で思い出したのである。
 慌ててスイッチを切り、自らの力で失敗を回避したパトネトは、自らの力で失敗を防いだことに誇りを感じて顔を輝かせた。
 ニトロは、その時も生クリームのボウルを逃げずに固定していた。
 そのことに気がついたパトネトが笑顔でニトロを見上げると、ニトロはそれより前から笑顔を浮かべていた。それがまたパトネトには嬉しくて、その後には会話も復活し、ケーキ作りはまた、かつ、より楽しく進行した。
 イチゴをたっぷり使ったケーキは、無事に出来上がった。
 見てくれは多少悪くともニトロと一緒に、そして初めて自分で作り上げたケーキだ。パトネトは夜が待ち遠しかった。
 それからニトロは――芍薬からティディアがちゃんと王家専用機に乗り西大陸に向かったことを聞きつつ――『ヴァーチ豚のポークソテー(ジンジャーソース)』を手際良く作り上げ、のんびりと昼食をとった。
 以降は、三人で様々なゲームに興じた。
 まず遊んだのは協力型サバイバルゲーム『廃魔宮』――毎回マップや敵の出現ポイント、罠やアイテムの位置が変わる“廃れた(と設定上思われていた)魔宮”から脱出する、というコンピューターゲームだった。意心没入式マインドスライドを用いることが最も臨場感を得られるのだが、ヘッドマウントディスプレイを着けることでも三次元的にゲーム世界を認識できる。基本的なシステムは、いわゆるファーストパーソン・シューティングゲームだ。ヘッドマウントディスプレイに装備されている視線感知機能により、視点を集中した場所=敵を銃撃できる操作法は一種の超能力サイオニクス感を与える独特のもの。ラスボスはその魔宮を支配している魔王であり、そしてこのゲームの目玉の一つは、プレイヤーがそのラスボスとなれることだった。
 そう、マップの組み合わせや敵(ゲームのツールで新しい敵を作ることもできる)の出現ポイントなど自分で作った『廃魔宮』を公式サイトに投稿し、全世界のプレイヤーに公開できるのである。
 投稿の条件はクリア可能であること、その一点のみ。クリアが可能であれば難易度は問わない。月間で良作と認められた『廃魔宮』を作った投稿者には賞金も出る。また、エントリーページに表示される広告収入から数%を得ることも可能。バージョンアップも定期的に行われ、長い期間にわたって人気を保つゲームの一つだ。
 ニトロとパトネトは、その中で『最速20分クリア、平均45分』の中で『二人で遊ぶと最も爽快(難易度高め)』という評価を得ている廃魔宮ステージで遊んだ。ゲームの実力はパトネトがニトロの遥かに上であったため、三度のゲームオーバーを乗り越え、パトネトがニトロを導く形でそのステージをクリアした。ニトロはゲームをクリアしたことが満足であり、パトネトはニトロと一緒にクリアしたことが満足だった。
 さらに、ゲームクリア後に、ニトロはそのステージはパトネトが匿名で投稿したものだと明かされて驚いた。パトネトはニトロに『サプライズ』できたことが堪らなく嬉しくて、また彼に凄いと誉められて頬を真っ赤にして喜んでいた。
 それからは、芍薬も一緒に出来るものとしてトランプや運の要素が強く出るボードゲームで遊び、そうして、最後に最も盛り上がったゲーム――『何個』で大騒ぎした。
『何個』はカードもボードもコンピューターも使わないゲームである。
 使うのは両手の親指だけ。参加者は握った両の拳を縦に揃えて“場”に差し出し、掛け声と共に親指を上げ、もしくは上げず、立てられた指の合計が“親”の言った数と揃えば“親”の勝ちとなる。揃わねば引き分け。勝った際には“親”は手を一つ引き下げる。勝利・引き分けに関わらず順番は隣の“親”に移り、掛け声、また次の“親”に移り――結果、最初に両手を“場”から消せた者が勝者となる。そういうルールだ。
 古来より続くこの原始的なゲームは競うだけでも楽しいものだが、何かを“賭ける”と異常に盛り上がる。今回は、その時の流れで、『罰ゲーム』付きで遊ぶこととなった。
 罰ゲーム自体は、アデムメデス最大手のネット検索エンジンで『罰ゲーム』と検索し、出てきた結果の中から芍薬の作った即席プログラムでランダム抽出をして決めた。
 プログラム曰く、ニトロが負けたら『アイドルの真似をする(話題のセリフやポーズなどがあったら、それ)』。
 プログラム曰く、パトネトが負けたら『一番恥ずかしい失敗を話す』。
 ただ芍薬の罰ゲームは適当なものがなかなか出ず、そこでニトロはパトネトに一任することにした――のがまずかった。
 パトネト曰く、『今日一日、肖像シェイプと声をティディアお姉ちゃんにすること』。
 芍薬は悲鳴を上げた。
 ニトロは凍りついた。
 芍薬が負けた場合はニトロも大被害である!
 パトネトが姉を持ち出して、そうすることが芍薬への『罰』になると認めているのは面白い点ではあるが、そんなことよりもニトロと芍薬は、一瞬にして、可愛い王子様のその一言によって“精神的な死”に瀕することになったのである。よしんば耐え抜いたとしてもきっとトラウマにもなろう!
 三本先取。
 そう決まった『何個』は異様な緊張感に包まれた。

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