「まあ、それならそれでいいや。こっちも色々手伝ってもらってるから」
 言って、彼はキッチンの隅っこに置かれている冷蔵箱クーラーボックスを一瞥する。今はコンセントを通じて電力を取り、中の品を凍らせぬよう、しかし限りなく氷温に近いよう保たれたその内部には、ハラキリにわざわざ漁港まで行って買ってきてもらったエビがある。
 アデムメデスで最高級のエビ――金冠エビ。
 深海に生息する最大でも10cmに満たないその小さなエビは、金の冠を被っているかのような容姿と、何より素晴らしいその味と共に非常に足が速いことでも知られている。電気の光も劣化を早める要因となり、漁獲量も少ないため、スーパーなどの店頭では買えず、漁港からの直送か通販に頼るしかない――あるいは漁師から直接手に入れるしかない貴重な食材。
 本来なら自分も業者に頼むのが自然ではあるのだが、ニトロは、最近の自宅周辺の事情を考えると『特別な品をニトロ・ポルカトが取り寄せた』という情報は極力掴まれないようにしたいと考えていた。もしそれが『ファン』や『観光客』に知られれば、その情報は様々なツールを通じて瞬く間に広まり、例えば『ニトロ・ポルカトの家にパトネト王子が来る可能性大』と喧伝されてしまうだろう。そのような情報を漏らす業者を使わないのは当然であるが、万全を期すならここは最も信頼する『何でも屋』――ハラキリの出番である。フットワークが軽く急な追加注文を聞いてもらえるのも強みで、帰りに場外市場に寄って新鮮なイチゴなども追加で仕入れてきてもらった。
「それにしても今日はやたらと凝っていますね。金冠レベルの食材にまで手を出すなんて」
 と、ハラキリが体ごと振り向き、ティーカップに唇を添えたままに言う。
 普段、ニトロはさして高級品を扱わない。興味を引いた高級品に食指を動かすことはあっても、『美味しさに貴賎なし』という父親のモットーのせいか金と名声にあかせて美食を求めることもない。少なくとも、ハラキリが知る限り、金冠エビは彼が積極的に求めた最高金額の食材であり、では、それほど力を込めるのは――
「そんなに弟君のことをお気に入りで?」
 ハラキリの問いかけに、ニトロはゆっくりと首を傾げ、
「お気に入りって言うと違和感があるなあ。でも……うん、かわいい子だよ」
 言いながら、ニトロは隣でケーキ作りのための準備を進めている芍薬の邪魔にならないよう頭上の棚から小さなボウルを取り出し、
「だけどいつもと違う特別な食材を使って腕によりをかける理由は、別にある」
「それは?」
「『ホーリーパーティートゥーユー』」
「?」
 ハラキリは眉を寄せた。突然ニトロが口にしたものは、いわゆる『誕生日の決まり文句』だった。
 ニトロは、空のボウルに塩を入れつつ、
「さて、その語源は?」
 年末のイベントで知られる『南天の魔女』の伝説に由来するその決まり文句は、ある古語を“呪文化”したものであり、その古語はこういう意味を持っている、
「『私はあなたと出会たことに感謝します』」
 ハラキリが答えると、ニトロは二つの小瓶――最高級の酢と、絞る実も一つ一つ吟味されて作られた希少なオリーブオイルを手元に揃えながら、
「本当に大切な相手に本当に大切な感謝を送る『特別な日』には『特別な何か』を、ってのがうちのモットーでね。それはもちろん高級食材じゃなくてもいいんだけどさ、俺の得意が料理これだからその流れで……ってのが理由だよ」
「はあ、なるほど」
 納得はしているようだがいまいち実感していないハラキリへ、ニトロは小さく笑みを浮かべて言う。
「だから、去年、ハラキリはうちでヴァーチ豚のグリルやらを食べたろ?」
「――ああ」
 ハラキリは去年の誕生日にポルカト家に招かれ、そこでやたらとハイテンションなニトロの両親に(ハイテンションな両親を恥ずかしがる息子のツッコミ三昧込みで)お祝いされたことを思い返し、
「道理でやけに豪華だと思っていましたが……そういうことでしたか」
 ハラキリは楽しい記憶に目を細めた。すると、その声を聞いたニトロが酢の分量を量る手を止めた。
「ドウシタンダイ?」
 酢の小瓶と計量スプーンを手にしたまま眉間に皺を作るマスターへ芍薬が問いかける。その声に引かれてハラキリがニトロを見た時、彼も芍薬と同じ疑念を抱いた。それだけニトロは不満を滲ませていたのである。が、何故急に? 一体何をそんなに不満を抱き、何に対して不満を向けているのか。
「いやね……?」
 つぶやくように言いながら、ニトロはハラキリを非常に胡散臭げに見た。
「思い出したらまた疑わしくなってきた。ハラキリ」
「何でしょう」
「本当にお前が一番年下なの? やっぱり詐称してるんじゃないか?」
 ハラキリは思わぬ――予想を遥かに下回る――質問に毒気を抜かれたように、
「はあ」
 と生返事をし、それから我を取り戻したように苦笑した。
「年下といってもニトロ君より二ヵ月弱遅いだけでしょうに。誤差ですよ、そんなもの。詐称にしたってそんなことするメリットがありません」
 しかしニトロは言い返す。
「それはそうだけどさ。でも何か納得できないんだよ。ハラキリは俺より先に歳を数えて欲しい、いや、そうじゃなくっちゃいけないって思うし、ていうかそうでなきゃダメだ」
「いやいや、そんなことを言われましてもねぇ」
 ハラキリはティーカップをソーサーに置き、心底困ったように眉を垂れて腕を組む。
 そしてハラキリの様子と、隣のマスターの異様に真剣な様子に、芍薬はうつむいて肩を小さく震わせていた。芍薬は、そう、明らかに笑いを堪えていた。
 今にも芍薬が笑い出しそうな中、ハラキリは首を傾げて言う。
「やっぱり、こればかりはどうにもできませんよ」
「そこを何とかどうにかしろって言ってるんだよ」
「どうにかするにしてもタイムマシンでもなければどうにもなりませんし、あったところでどうにかできるようなことでもないでしょう?」
「タイムマシンがあるなら高校入学式の日の俺を事故に見せかけて病院送りにしてくれって頼むさ。いっそ瀕死の重症も辞さない」
「そこまでの覚悟ですか……」
「そこまでの覚悟ですよ?――ああ、でも、後日ハラキリと会って、それから芍薬がうちに来るように手配してくれるのもオプションでよろしく」
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが……」
「分かってるよ。それで『今』を作れるはずがない、だろ?」
 肩をすくめるニトロのおかしな心境の吐露に、ハラキリは苦笑と微笑の相半ばする顔をする。
 ニトロは、力を込めて、言う。
「だからそれはどうでもいいから。問題は、今だ」
 ハラキリも肩をすくめた。
「ですから、ニトロ君の言う『問題』も今ではなく過去のことでしょうに」
「あれだよ、身分証明情報アイデンティティとかいじって出生日を変えられない?」
「ひどく重罪な上に何の意味が?」
「気分が変わる」
「気分の問題ですか」
「実際、気分の問題じゃないか」
「ああ、言われてみれば確かに気分の問題のようですが、でもそれは明らかにニトロ君だけの気分ですよね?」
 珍しくニトロがボケに回り、ハラキリがツッコンでいる。芍薬はうつむき肩を震わせ続けている。
「そりゃね。でも何事も気分上々が肝要だろ? 実は三つ年上でした――とかない?」
「ありませんよ。何です、拙者をおひいさんと同い年にしたいので?」
「じゃあ九つ」
「いきなり三倍とは豪儀なサバ読みで」
「十倍取らなかった時点で十分謙虚だよ」
「十倍だと拙者の年齢は一気に半世紀近くになりますが」
「いけるさ、余裕綽々さ」
「いやいくらなんでも……」
「ハラキリなら大丈夫、自信持て!」
 ニトロは変におどけている。いつしかハラキリの口元は緩み、その胸には笑いがこみ上げている。見れば芍薬の――アンドロイドの顔が完全に“死んで”いた。どうやら自身の感情回路と筐体の感情表現機構エモーショナリーのリンクを完全に外し、そうして電脳世界で大笑いを決め込んでいるらしい。
「試しにやってみようよ。まずは二十歳から。どうだ?」
「ニトロ君はどうしても拙者を年上にしたいのですねえ」
「自分でもそう思わないか?」
 ニトロはにやりと笑って言う。
 そこにはおどけや冗談とはまた別の色がある。
 しかし、こういうからかいならハラキリも得意だ。
「進んで自覚はしませんが、どうやらその方が自然のようではあるようです」
 ハラキリはやんわりと言い、そして反撃した。
「ところでニトロ君はお姫さんと結婚すると、年上の妹を持つことになりますね」
 さっと、ニトロの顔色が変わった。
「ああ、そう考えると、ヴィタさんも含めて君は『年上の女性』に災難を受け続けているということにもなりますか。年上好きからすればたまらないでしょうねえ、Mな性癖持っていたら実に天ご「待った! オーケー師匠、俺が悪かった!」
 次第に舌の滑りを良くしていくハラキリを放っておいたらどこまでやり込められるか分からない。ニトロが慌てて制止をかけると、ハラキリはハーブティーを啜り、
「効きますね、これ」
 と、笑った。
 その余裕綽々ぶりに、ニトロも思わず――それも負けたというのに、妙に清々しく笑った。
 二人が笑い合っていると、ふいに芍薬がアンドロイドの目を見開き言った。
「モウ来タヨ」
「もう?」
「アト五分デ着クッテ」
 ニトロは時計を見た。約束より二時間半も早い。
「大方、ニトロ君が料理を“作っているところ”も見たいのでしょう」
 腰を上げて伸びをしながらハラキリが言う。ニトロは、うなずいた。あの子のこれまでの反応を思い返せば、それは十分にありえることだ。
「それでは拙者はさっさと退散しますかね」

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