ここ数ヶ月で国際的にも飛躍的に名声を高めた王子の誕生日をお祝いする気運は、もちろんアデムメデスを席巻していた。インターネットの主要ポータルサイトには特設ページが作られている。誕生日前日にも関わらず、アデムメデスのほぼ全ての放送局は朝からこぞって『パトネト王子特集』を組んでいる。
それら特集には、いずれにも大きな構成上の共通点があった。どこもかしこも、ここ二ヵ月の間に王子に起きた“変化”を特集の中心に据えているのである。
公式にも非公式にも露出の少なかったパトネト王子――しかし、あの『劣り姫の変』以降、非公式な露出を飛躍的に増やしている『秘蔵っ子様』。
副王都の片隅で閑古鳥を鳴かせていた市営動物園に始まり、ジスカルラ港、王立中央博物館第五分館、ウェジィ宝飾加工技術研究所、王都宇宙技術研究所付属資料館……人の少ない場所、あるいは人の少ない時間を狙って現れた幼い王子の楽しそうな姿。
その傍らには、常に『姉の恋人』とその『戦乙女』の姿があった。
たまたま王子一行に出会った幸運な市民の撮影した動画には、可憐にほころぶ王子の笑顔がある。他者が近くに寄ってくるとあからさまに体を強張らせて警戒の目つきを振りまきはするものの、それでも王子はいつも側にいる少年に全幅の信頼を寄せて外を歩いている。幼い王子は常に少年と手を繋ぎ、あるいは肩車をされ――その二人の姿は、早くも本物の兄弟のようだと評判だった。
今、
そして、
「なあ、ハラキリ」
セミオープン型のキッチンでテレビの音を聞きながら、くつくつ煮える鍋の様子を見ていたニトロは顔を上げ、
「そろそろテレビを消すか“FM”に変えてくれないかな」
言いながら、彼は隣のカッポーギ姿のアンドロイド――改めて容姿を作り直したために完璧に『芍薬』である――に手を差し出した。すると芍薬が用意していたタッパーをすぐに差し出す。ニトロは鍋のコンソメスープの中から火が半分通った蕪を取り出し、蕪の実が浸るくらいのスープごとタッパーに入れた。そのまま蓋をせず、粗熱を取るために作業の邪魔にならないようカウンター――部屋とキッチンを分ける仕切りの上に置く。と、そのタイミングで芍薬がニトロにスプーンを差し出した。スプーンには芍薬の仕上げたベシャメルソースがあり、味を確認したニトロは笑顔でうなずいた。芍薬も嬉しそうにうなずきを返し、こちらも粗熱を取りに鍋を別の場所に置く。それから使い終わった器具を洗い出した芍薬を横に、ニトロはジャガイモやニンジンを引き続き煮るために鍋に目を落とし、
「ここまで言われるとさすがに居心地が悪い。いくらなんでも誉め殺しだよ」
キッチンのニトロと芍薬を背に、窓から差し込んでくる7時前の陽光を浴びながら、一人優雅にテーブルでハーブティーを飲んでいたハラキリはクックッと喉を鳴らして言った。
「いやいや、殺されるどころか、このままいくと永遠に生かされますよ」
「……つまり、神格化?」
「ええ」
うなずき、ハラキリは目の醒める薬効の茶を啜った。ぽちぽちと目的なく操作していたリモコンを持ち直し、親友の要請に応えて受信チャンネルを地上波からインターネット経由に変える。『フューチャーミュー放送局』のポータル画面が壁掛けのテレビモニターに映し出された。
「何番です?」
「5番。でなければ自由に」
ハラキリは5番に合わせた。スピーカーから流れてきた音楽に芍薬が少し反応する。
「これ、どんどん人気が出てきていますね」
何気なしにハラキリが言う。
フューチャーミュー放送局は様々な芸術文化活動を支援する慈善事業団体を母体にする組織で、その21番からなるインターネットテレビにはプロ・アマチュア問わずに様々な人間の作品が常に流れている。ニトロが指定した5番はインターネットで話題の楽曲を流すチャンネルで、今流れている曲は、つい最近事故死したアマチュア・クリエイターの遺作に使われている歌だった。力強い歌詞を力強い声が歌い上げている。歌い手はA.I.だったらしく、タイトルの無かったこの曲はそのA.I.の名を冠して『フィオネア』と呼ばれていた。
思わぬ曲が流れていた――
「いい曲だよ」
ニトロは、この曲に関する話を芍薬から聞いていたために思わず目を潤ませそうになった。が、それをハラキリに気取られないようすぐに口を閉ざす。
ハラキリは、ニトロの声に何かあるな、と感づいてはいたものの、それに気づかない振りをして話題を戻し、
「ほら、君は相方が『女神』なんて言われていますからね。君もそのうちそうなるのもおかしなことではないでしょう」
鍋の火を止め、次にサラダに使うドレッシング作りにかかっていたニトロの手が止まる。
「嫌なことを言うなあ」
肩越しに振り返るハラキリの意地悪な目つきに苦笑を返し、ニトロは言った。
「つっても、俺はあいつみたいにおかしなカリスマ性とかはないからさ。そうなることはないと思うぞ?」
「ふむ」
ハラキリは面白そうにうなずく。嫌いな相手であっても、その『長所』を素直に認められるのは彼の長所だ。しかし、彼が既に『英雄』と広く認められている事実に“実績というカリスマ性”も加味すれば、『そうなることはない』というのは少々希望的観測に過ぎないとも思う。その点をニトロが自覚していないのか、それとも自覚した上でそう言っているのかは窺い知ることができないが……
(まあ、変にほじくる必要もないですね)
下手をすればただの嫌味にもなる。ハラキリは茶菓子のクッキーを齧る。と、
「おやこれは美味しい。ニトロ君、お菓子作りにも凝り始めたので?」
「……特別製だよ。ハラキリがそう言うんなら、パティにも喜んでもらえるかな」
「喜びましょう、君が作ったものならば」
そう言いながらハラキリはクッキーを一枚食べ終え、そして、付け加える。
「そういうところはお
「やめてくれよ。パティに失礼だ」
渋面のニトロのセリフに、ハラキリは笑う。そして、
「まあ、一方の『女神』様は今にも天に昇りそうな感じでしたけどねえ」
ドレッシング作りを再開しようとしていたニトロが、ハラキリの物言いに再び手を止めて小首を傾げる。
ハラキリは口元を思い出し笑いに歪めながら、
「ちょうどこちらへ向かっている途中に電話を受けましてね。君に何か頼まれたのかと聞かれたのでお答えしましたら、ひどい疎外感でも得られたのでしょうかねぇ、そのまま“しょんぼり死”でもするんじゃないかってくらいに落ち込まれてしまいまして。何だか思わず同情してしまいました」
へらへらと笑って言うハラキリの『同情』がどこまで本気なのか掴みかねるものの、ニトロは一つため息をつき、
「そう言われても、俺は同情しないよ?」
「おや、全く?」
「まったく、全然、何ごともなく」
穏やかに畳み掛けるように連ねられ、ハラキリはまた、ふむとうなずき、
「その反応はお答えしないようにしておきましょう」
ニトロはハラキリのセリフに苦笑した。
「何だ、やっぱり反応を探るように言われてたのか?」
ティディアが落ち込んでいたのが本当にしろ嘘にしろ、どっちにしたってあいつが考えそうなことだ。ニトロの問いかけにハラキリは軽く肩をすくめる。親友の仕草は肯定なのか否定なのか掴みかねるが……しかし、彼が今は少々あちらへ肩入れしていたことだけは確かだろう。
ニトロは、少し、それが面白くなく、
「本当に都合良く立ち回るよな、ハラキリは」
「それが実に楽しいのですよ」
皮肉を言ったつもりなのに飄々として言い返され、ニトロは思わず笑った。