「……両親に挨拶って。
 ヤだ」
 その告白に、そこに含まれる意味合いを瞬時に悟ってティディアは――思わず――吹き出してしまった。ニトロのコメカミが、揺れる。
「え?」
 吹き出した後、笑い声だけは懸命に堪えて――しかし頬の緩みは嬉しさ彼の可愛らしさのあまりに止められない――ティディアは訊ねた。
そんなに意識してくれていたの?」
「お前の期待に沿わない方向でな」
 頑としてパティの誕生日会への出席を拒んでいた最大の理由をついに口にしたニトロは、そっぽを向いたまま不機嫌に言った。ティディアはおそろしく目尻を垂れて、
「だったら、別にいいじゃない。こっちだってそんな大層な意味で呼んでいるんじゃないんだから」
「そんな大層な意味で呼んでなくても、そこに大層な意味が生まれたらお前は目ざとく利用するだろ。そしたらそこからなし崩すのはお手の物、違うか?」
「ふむ、否定の意味はなさそうね」
「だろう? それに、だ。お前がそういう気じゃなくても周りは“そう”とは思わないはずだよ。ひょっとしたら……」
「当の父と母が“そう”思っているかも?」
「……」
 正答を示されながらも肯定を返さぬニトロの唇がへの字に結ばれていることが、横からでもはっきりとティディアには見て取れる。年下の想い人の珍しい態度に彼女の喉が一度クッとおかしな音を立てた。
「そうねー、ニトロのこと、まるで、息子のように、歓迎するかもねー、いいえ、するわ、きっと」
 ティディアは笑いを堪えるために途切れ途切れに言った。そのセリフは不機嫌なニトロの顔をさらに強張らせる。
 ティディアは、限界だった。
 王と王妃を前に緊張して顔を強張らせるニトロを、彼の気持ちとは逆に『未来の息子』として迎える両親、その光景――どんなすれ違いコメディトークが炸裂するだろう!――その双方のギャップを想像してしまっては、彼女にはもう堪えることが出来なかった。
「ッあっはっはっはっは!」
 彼女は腹を抱え大口を開けて笑った。
 ニトロのその不機嫌のなんと愛しいことか!
 もちろん、彼が自分の期待に沿う形での緊張感を持ってくれていないのは確かに悲しい。
 しかし、それでもそんな風に思ってくれていたと思えば喜びに胸が震える。
 その上――もしかしたら? と思う――彼がそこまで気にするのも、私が本当に彼を愛していると知ってもらえたからなのかもしれない、だからこそ余計にそのシチュエーションを彼は嫌っているのかもしれないのだ! それが妄想だとしても、そう思えば何とも形容しがたい歓喜が後から後から彼女の口を突き、その笑いが笑いを呼び、比例して、ニトロの不機嫌がさらにさらに増していく。
「そういうわけで――」
 ドスの効いた声がして、ティディアは宙映画面エア・モニターからニトロがいなくなっていることに気がついた。
「断ル」
 マスターの後を受けて画面右下隅の芍薬が“怒りマーク”付きで言い、通信が即座に遮断される。
「……」
 モニターに表示されたデフォルト画面を眺め、やおら、ティディアはため息をついた。
「やっちゃった」
 胸にはニトロに与えられた喜びと、同時に後悔がある。
「……ニトロのことになると、ほんと、馬鹿ね」
 弟に何と言おうか。ニトロが誕生日にお祝いに来てくれないとなると、あの子はひどく残念がるだろう。何しろニトロは、父を除き、パトネトが初めて懐いた男性であるのだ。……いや、あるいは父以上に懐いているかもしれない。彼と付き合いだしてからというもの弟は日に日に明るくなっているし、これまで関心を向けていなかった事に対しても目を向け出して世界を広げている。さらに! あの子から取り除くには苦労しそうだと考えていた極度の人見知りまでもが急速に和らいできている。
『ニトロ・ポルカト』は、間違いなく、パトネトにとっても必要な人だ。そしてそれは自分にとって非常に嬉しいことでもある。私の愛する人が私の大切な弟にも重要な存在としていてくれるなんて、何と素晴らしいことだろう!
 ……それに。
 今回の誕生日は元々身内だけで行うことが決まっていたとはいえ、ミリュウを、そのメンバーから外させてしまった。なればこそ、せめてニトロにその穴埋めをしてもらいたいと考えていたというのに……それをパトネトも期待していたというのに……
「……情けない」
 自分が笑ったにしろ笑わなかったにしろ、どちらにしろ結果は変わらなかったとも思うが――
「……?」
 ティディアの胸には、初めて感じる不思議な思いがあった。
 ――後悔している自分を、私は今、それさえも幸せに感じている。
「……――ッ」
 ティディアは首を振り、頭をがしがしと掻いた。
ピコ
「ハイ」
 部屋付きのA.I.が即座に応えてくる。
「パティは?」
 現在11時半。今日、弟とは朝食を一緒にしたきりだ。昼はこちらが公務で出かけ、晩はあちらが何やら作業をしているようで部屋にサンドイッチを運ばせていた。そのまま何事かに没頭し続けていれば今も起きているだろうし、そうでなければとっくに寝ているだろう。
 pは言った。
「起キテイラッシャイマス」
「そう」
 ティディアは一度伸びをして気持ちを切り替え、勢いをつけるようにして椅子から腰を上げた。
「ヴィタは?」
「植物園ニ」
「ハーブティーを淹れるように伝えて。目が醒めるものがいいわ」
「カシコマリマシタ」
 A.I.の声を背にティディアは部屋を出て、一階上に用意したパトネトの部屋に向かった。
(正直に謝るしかないわね)
 階段を降り、パトネトの部屋の扉を前にして、ティディアは結局そう結論した。
 弟は明日、ニトロのところへ遊びに行くと言っていた。ニトロのことだから、きっとその時にでもお祝いしてくれるだろう。彼の祝福が無いわけではない。当日にお祝いに来てくれることが最良ではあったが、それを逃しても最悪ではないのだ。
 ……最悪ではないが、とはいえそれで最良を逃した現実を覆い隠せるものでもないのだが。
「……」
 パトネトの部屋のドアを前にティディアは自身の失態を思い返し、吐息をついた後、軽くノックした。すると、一拍を置いてドアが開かれた。ドアを開いたのはアンドロイドであり、それを操作するのは弟のA.I.フレアである。
 フレアが丁寧に辞儀をして姉姫を部屋に招き入れる。
 いくつもの会話のパターンを脳裏に描きながら部屋に入ったティディアは、そこで眉をひそめた。

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