以上をもって、私はこれまでよりもずっと『優秀な王女』であることを求められ、王位継承権もそのままに置かれたのである。
 しかし、ただ『我らが子ら』の慈悲を受けるだけでは王家の面目が立たない。父、王は周囲の進言を受け、私から領地など第二王位継承者としての幾つかの権利を剥奪した。お姉様は私を守らなかった。守らないでいてくれた。また、お姉様は王からの罰に加え、私に半年間の謹慎を申し付けた。
 それについては「体のいい静養だ」と言う者がいたが、私もそう思う。
 だけどあのお姉様が、それが静養であるのだとしても、ただの静養をお与えになるわけがない。
 私はセイラの故郷で半年を過ごすことになった。
 ここは貧しい地方で、王女として、私が学ぶべきことはたくさんあった。
 農作業や牧畜も手伝わせてもらっている。
 カロルヤギの乳搾りをさせてもらった時、全然うまくできなくて子ども達に笑われてしまった。子ども達は私の分まで搾ってくれて、皆で一緒に飲んだセイラのルッドランティーは涙が出るくらいに美味しかった。
 五日前、私が蒔いた種が芽吹いた。カンガラマメの芽だ。春と秋に収穫のできるこの豆は成長が早く、日に日に大きくなっていく様を見るのは楽しい。同時に、この地で栽培可能な特産となり得る野菜の少なさと、この地で農業を営むことの厳しさを学んでいる。
 一昨日は鶏の屠殺を経験し――少し吐いてしまった――今更食肉のできていく過程を学んだ。鶏の死ぬ姿には吐いたというのに、夕食に出た肉は美味しかった。『知識』と『理解』の差を改めて実感している。
 市の職員から相談を受け、提供された資料を鑑みるとこの地方の未来は厳しい。観光事業だけでも立て直せればもう少し希望も見えてくるはずだが、近隣の有名観光地に対抗できる手段を見出せずに苦しんでいる。半年でどれだけできるか分からないが、できるだけの協力をしようと思う。
 けれど……毎日、良き王女になることがどれほど厳しいことであるか痛感することばかりだ。もちろんそれがどれほど難しいことか以前のわたしも解っていたが、今の私は以前とは違う風景を見ている。新しく私の前に現れた『理想』は、以前にも増して遥かな高みにある。
 一歩一歩、近づいていこうと思う。
 疲れて空を見上げてみれば、ここの空は、本当に広くて美しい。
 夜は満天に星が散らばり、肌寒い夜風も、温かな毛布とセイラの笑顔にあっては穏やかなものだ。
 いつでも頼れる人がいてくれることの幸福に、私は心から感謝している。


 お姉様の命を受けて副王都セドカルラを離れる際、気がかりだったのは弟のことだった。
 弟は今、王城でお姉様と共に暮らしている。
 仕事でお姉様が帰らない日々も多いが、以前よりは人見知りも薄れてきて、相変わらずフレアを常に傍に置いてはいるが、それでも二人で機会がある度に(最近では二日と置かず)外出までしている。
 初め、外出と聞いた時は耳を疑った。
 どこへ? と聞いた時、私は納得した。
 ニトロさんが、パティと遊んでくれているのだ。というよりも、パティがニトロさんに懐いて遊びに行っているのだ。あまり行くと迷惑ではないかと思ったが、数学を分かり易く教えてくれるから助かるとニトロさんは笑っているという。……ちょっとだけ、あの方の強さと成長力の源に触れられた気がする。
 パティは食事もよくニトロさんに作ってもらっている。一週間前のメールには大嫌いなピーマンを食べたと書いてあった。ニトロさんとの『議論』――ピーマンは苦いから嫌いと言ったら、パティの好きなチョコレートにも苦味はあるよ、なのに何故? と問われ、チョコレートには甘さがあると答えたら、ピーマンも苦いだけじゃないよ、なのに何故?――ニトロさんは押し付けるのではなく、パティに合った教育法を考えてくれている。議論に負け、根負けもしたパティはついにピーマンを使った料理を食べ、するとピーマンも種類で味が違うことが判ったし、結構美味しかったと喜んでいた。ニトロさんは、諭すだけではなく、様々な方法で楽しく食べられるよう考えて料理を作ってくださるらしい。生き物にあまり興味のないあの子が動物園に行き、はしゃぎすぎてくたくたになっていたこともあった。ニトロさんに任せていればパティの人生は豊かになるだろう。
 そうして日に日に新しいことを学んでいるパティは、それを毎日メールで教えてくれている。『今日は直ったオングストロームと芍薬に模擬戦をしてもらったんだ。引き分けだったけど面白かった! それから芍薬はÅの装甲のプログラムを、Åは芍薬のクノゥイチニンポーを教わって二人とも有意義そうだったよ』――二日と置かずに映電話ビデ-フォンをかけてきてくれる。『今日はティディアお姉ちゃんにお歌を教わったんだ。今度、ニトロ君にカラオケっていうのに連れて行ってもらうの。お姉ちゃんも今度一緒に行こうね!』――先週にはフレアと二人でこんなところにまで来てくれた。パティはいつも私を気にかけてくれている。私はパティの姉で本当に良かった、そう感謝を告げると、弟ははにかんで笑ってくれる。
 本当に……私は幸せなのに、それを感じることのできない愚か者だったと、何度も改めて痛切に思う。
 これも罰といえば罰なのだろう。
 ああ、何と優しく、何と辛辣な罰!
 私は、毎日、新しい発見と再発見をし続けている。


 しかしそうなると、現在、パティよりも気がかりなのはお姉様のことだ。
 お姉様とは週に一度、謹慎中の報告として映電話ビデ-フォンで言葉を交わしている。
 ……お姉様とは、会見の日の翌日、『突然の帰星』をした第一王位継承者を王城に迎え入れてから、一日をかけて二人きりで話し合った。
 お姉様の告白されたことは驚くことばかりだったけれど、お姉様に利用されていることは自覚していたから、さほど心が傷ついたということはなかった。けれど、正直に、私にどのような評価を与えていたのかということについては、ショックだった。思っていた以上に下に見られていた。セイラを私の執事に選んだ理由には、私が傷を舐め合える相手として選んだと、そのセイラを見下した理由には怒りを覚えた。酷い、と怒鳴ると、お姉様は何も言わずに私の非難を受け止めていた。一方でお姉様は私を確かに大切に思ってくださっていた。それは嬉しかった。なのに長兄の件をわざと見せられたということに至っては、もう笑うしかなかった。希代の王女、覇王の再来、クレイジー・プリンセス・ティディアの恐ろしさを私は客観的に知ることができてほとんど呆れてしまった。呆れながら、お姉様を責め、泣き、抱き止められた。
 結局、私はお姉様と真の意味での『喧嘩』をすることはできなかった。
 その喧嘩をするには心のぶつかり合いが必要だ。けれど、私の意見とお姉様の心はぶつからない。お姉様にはどうしてもどこか超然としたところがあって、私の心は単に受け止められるか、お姉様の心の下をすり抜けることしかない。心がぶつかり合わなくても喧嘩をすることはできるだろうけど、私はお姉様とそういう喧嘩ができる位置にもなかった。
 だけど、すっきりした。
 それをはっきりと判ることができて。
 心のぶつかり合いができないということは、究極的なところで、真に解り合うことができないことも意味する。
 それもはっきりと判ることができて、私はすっきりしたのだ。
 それは同時に、“私”を見抜くことはできても、お姉様にも“私”を真に理解することは叶わないということなのだから。
 私の中の『女神様』が手を振って、笑顔で去っていった。
 絶望はない。
 失望もない。
 本当に解り合うことができない――ということは、決して理解しあえないということと同義ではない。理解しあうというのは、理解できるところをお互いに知りあうことだと私は思う。どんな人間であれ他の誰かを理解し切ることはできない。それでも理解しようとするから理解しようとしあえるのだ。それこそがきっと本当に理解しあうということなのだ。
 私は、これからは、一人の姉、一人の女性であるティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナと向き合いたい。一人の妹、一人の人間として、お姉様と向き合おうと思う。
 だから私は、お姉様が気がかりだった。
 女神様に恋焦がれていたから、恋焦がれているお姉様が心配なのだ。
 お姉様も、罰を受けていた。
 お姉様とは週に一度、謹慎中の報告として映電話ビデ-フォンで言葉を交わしている。――そして、見る度にお姉様は元気をなくされている。公の場では相変わらずのティディア姫だけど、私の前にいる“お姉ちゃん”は、恋しい人に会うことを禁じられて、心をぶつけ合える人から心をぶつけることを拒絶されてとても苦しんでいた。
 ……ニトロさんも、罪な方だ。
 私は、事件直後、処罰を待つ蟄居中にも関わらず、マードール殿下のたっての要望でセスカニアン星との会談に極秘裏に呼び出された。
 そこではニトロさんはお姉様と『いつも通り』に漫才に近い会話をしてマードール殿下を喜ばせていた。ご親友のハラキリ・ジジと共にマードール殿下とも親しげに言葉を交わし、お姉様と一緒に笑顔で写真に納まり、その他のお仕事でも普段のままの『ティディア&ニトロ』を演じ、お姉様は……恋しい人に表面的に付き合われるということの悲しみを強烈に味わわされていた。
 正直に言おう。それに対して胸のすく思いをしていた『私』は確かにいる。
 けれど、それ以上に、私はわたしの味わってきた苦しみの中にいるお姉様が心配でならなかった。お姉様は強いお方だから決して私のような過ちを犯さないと思うけれど……けれど、お姉様はニトロさんに嫌われてしまっている。それを苦にするあまりに間違わないとは決して言い切れない。
 私には今、夢がある。
 ニトロさんにはひどい迷惑に違いないけれど、私の胸を心地良く締めつけるその夢は、お義兄様も一緒に家族皆で晩餐を楽しんでいる風景を描く。
 私は私に誓った。
 私は第一に、その夢のためにこそ、お姉様をお支えしようと。
 私を呼び出したマードール殿下はこうご忠告をくださった。「この国は、今後、目立たぬところで貴女の尽力が必要となるだろう。何しろ上が目立ちすぎるからな。それなのに、この国に黄金をもたらす男は『女神』から逃げ回る。しかし王太子殿下にも王女という鎖がある。その鎖を千切らぬ限り王太子殿下は彼に見捨てられないだろうが、恋のためにその鎖を無視してもいいと思った時――さて、どうなるかは貴女がよく知っているな?」
 私はもう『劣り姫』には戻らない。
 そして私は心の底から優良な王女になりたいと願う。
 お姉様の幸せのため、何より私の幸せのため、お義兄様をお迎えするために。
 少しでもお姉様のご負担を軽くし、自由な時間を少しでも多くお作り頂き、お義兄様を思いっきり追いかけられるようその鎖を伸ばして差し上げなくてはならない。また、お義兄様を迎えるにあたって、その時、私という補助があの方にかかる負担を軽減するに足るものとして成り立っているよう私は努めていきたい。
 それは『我らが子ら』への贖いともなるだろう。
 パティにとっても幸いとなることだ。パティは、お義兄様をお兄ちゃんとして欲しがっている。もしかしたらあの子は、そうだ、あの子は賢い子だから、そのためにもお義兄様の家に入り浸っているのかもしれない。
 ……パティにだけ頑張らせるわけにはいかない。
 私も全力を尽くす。
 ニトロ・ポルカト様をニトロ・フォン・ジェス..▽

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