エピローグ


◆『劣り姫の変』終結から一ヶ月が経った。
 この一ヶ月、私は人生の中で、最も健やかで、幸せで、そして厳しい時間を過ごしている。
 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ――私は、未だ王女の座にある。


 霊廟でニトロさんとお姉様と別れた後、私はセイラに連絡を入れ、パティとフレアと共に彼女を迎えに行った。決闘の“決着”を多くの人間と同じく教団のサイトで見届けた彼女は故郷へ帰る前にロディアーナ宮殿に立ち寄り、自室の荷物をまとめているところだった。
 私は生涯忘れることはないだろう。
 ロディアーナ宮殿に急いだ私を出迎えてくれたセイラの泣き顔を。
 私は彼女に抱きしめられ、泣いた。泣いてばかりもいられないのに、泣くことしかできなかった。
 私は、彼女へ……私のもう一人の姉に頭を下げ、再び執事の座に戻ってもらった。彼女には少し間を空けてから執事に戻ってもらうつもりだったけれど、私のことを妹だと思ってくれている彼女は、それを拒んだ。
 直後には、大変な会見が待っているというのに、彼女は執事として並び立つことを選んでくれたのだ。
『劣り姫の変』の真相を明かす会見では、私はもちろん非難を浴びた。
 けれど、意外にも、会見に怒号はなく、厳しい非難はありながらも、どこか記者達にも後ろめたさのある様子で……少し、不思議な謝罪会見となった。
 その理由は、パティが流した『わたしの心情』のためらしかった。それが『我らが子ら』の同情を引いていたのだ。弟の言葉を借りれば、『わたし』の苦しみを少しも知りもしないで勝手なことばかりを言っていた『我らが子ら』は、その時、必要以上の言葉を口にすることができずにいたのだ。
 正直に語ると、いくら編集されたものであったとはいえ、内心を暴露されたのは裸を見られることよりも恥ずかしいことだった。けれど、弟は私のことを考えて、私のためにそうしてくれた……そして彼の行為は実を結び、私を守ってくれた。恥ずかしさはあったけど、それよりも私には弟にこんなにも思われ、また守られているのだという幸福感があった。
 私は、本当に愚かであったと思う。
 パティに愛されながら、彼に苦行を強いていた愚かな姉であったと思う。
 しかし、私は弟にも許された。これからも姉でいることを許された。私は彼の良い姉であれるよう彼に誓う。
 ただ、『劣り姫の変』において私が行ったことは、いくら国民からの同情があってもそれで済まされるものではない。まず殺人未遂罪として立件されるものだ。そしてこの国には法がある。明らかに一線を越えた私の告白を受け、もちろん検察も動いた。私はいかなる罪も罰も受け入れるつもりだった。両親からは本来の王権の主として恩赦を与えようという意志も見えたが、それは断じて断った。成人年齢には至らないけれど、成人として裁かれるつもりだった。
 だけど、ここでも『我らが子ら』が私へ不思議な対応を見せた。
 多くの人間が、温情ある判断を求めてくれたのだ。
 それは同情だけからくる行動だとは思えないものだった。
 セイラは「知らずとはいえ、ミリュウ様とニトロ様の対決を楽しんでいた手前がありますから。それを棚に上げて、ミリュウ様だけを責めることには気まずさを感じてしまうのではないでしょうか」――と、推測していたけれど、私には『我らが子ら』の心理は分からない。分からないけど、嬉しく、けれど申し訳なく、複雑に感じていた。
 私は、温情を求める運動の集会に対しコメントを送った。「ありがとう。しかし、私は罪を償います」
 すると驚くべき答えが返ってきた。「姫様は既に償っています」
 何のことかと思えば、それはニトロさんから頂いた『頭突き』のことだった。あの映像も世に流れていたのだ。それを見た人は思わず自分の額を抑えるほどの衝撃映像だという。あるスポーツ医学者はその威力を分析し、私が死んでいないのが不思議だと言っていたという。そのためもあるのだろうか。大昔に存在した鞭打ちや石打ちの刑に類する罰として、それは世に受け止められていた。
 私は……その映像は見ていない。できれば一生見たくない。しばらく消えなかったたんこぶと、十三日間消えなかった疼痛。今でも時々、ニトロさんの鬼のようなお顔と、あの瞬間に味わった痛みの全てが夢で再現される。夜中に飛び起きる。頭突きと聞くだけで、その言葉を思い出すだけで、これを書いているだけでも指が震えてしまう。ちょっと……トラウマになっている。
 さらには事件の被害者当人であるニトロさんのコメントも世に大きな影響を与えていた。
 あの日、大勢のマスメディア関係者が待ち構える自宅へ帰ったあの方は、その時一つのコメントを残された。「俺は怒りました。お仕置きもしました。彼女は受け入れた。反省している。それで決着です」
 また後日、私の会見についてコメントを求められ「先日言ったように、個人的にはもう決着がついています。今後は法と社会の問題だと考えています」
 ニトロさんに対しては少し意地悪な質問があった『そうは言っても“再犯”があった場合は?』ニトロさんは面倒臭そうに、けれどはっきりと言って下さった「再犯はありえません。もしあれば、また俺が責任を持って頭突いてやりましょう」
 最後に私への温情を求める運動に関し「繰り返しますが、俺はもう何かを言える立場ではありません。姫君が罪に問われるとしても、そうでなくても。……ただ……この国では、やり直すことが許されている。一国民としてそう信じています」
 あの方の発言は甘いと非難されてもいるようだけど、違う、あの方の最後の発言は、私にとってとても厳しいものだった。
 ――『やり直す』
 それは私にとっては『王女』としてやり直すことだ。『わたし』は『王女』である自分に対しても苦しんでいた。ニトロさんがどこまでお考えになってその言葉を口にしたのかは判らない。ただ失敗や挫折、過ちからの回帰のみを示したかっただけなのかもしれない。だとしても、それでもニトロさんは『わたし』の苦しみを知っていた。事件を実際よりも過大に煽れば、あるいはこの場所から逃れられるかもしれない私に対し(そのことにニトロさんが無自覚なわけがない)わたしの絶望を受け止めてくださったあの方は、その上でまた私にやり直させることを示したのだ。結果的にしろ何にしろ、私がこの厳しいこの場所に残る結論に至る『やり直し』の道を公に示したのだ。
 もちろん、ニトロさんはあえて世を動かすつもりでコメントしたわけではないだろう。
 しかし最大の被害者であるニトロさんにそこまで言われたからには強く出られる者はいない。さらにはニトロさんの優しいコメントに含まれる厳しさにも誰かが気づき、『劣り姫の変』の本質を考えたならば『ミリュウ姫には王女であり続けてもらう』ことこそが最も罪滅ぼしに相応しいのだという世論が形成された。
 そこに、セスカニアンこく太子殿下との重要な会談を終え、第一王位継承者として――姉として『劣り姫の変』に関する会見を開いたティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナが会見場に剃り上げた頭で現れたことが決定打となった。
 あの蠱惑の美女が外聞もなく妹の不始末のために髪を剃り上げ、頭を下げたのだ。アデムメデスは度肝を抜かれていた。悔しいけれど、私が『劣り姫の変』を開始した時の衝撃など足元にも及ばぬほどのショックが走っていた。それは国内に留まらない。銀河中のネットワークでトップニュース並みに扱われ、クロノウォレスでは号外が出ていたほどだ。
 結局、私の行動はお姉様の経歴に傷をつけた。
 お姉様の完璧さにも傷をつけた。
 けれど、その瑕疵が『ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ』という宝石の価値を下げることにはならなかった。むしろ逆に高めてしまった。なぜなら、そもそも最近のお姉様は非人間的な神性よりも恋する女性としての人間性が高まっていた。より美しくなられたティディア姫――今回の件はまた『ニトロ・ポルカト』という“恋人”との関係性にも大きな影響を与え、それを強化してしまったのだ。
 会見で頭を下げたお姉様は、以前から妹の抱える『問題』に気づいていたことを語った。そしてそれを解決するために『彼』に甘え、身勝手にも『彼』に任せ切ったことを告白した。正直に……しかしそれはあまりに正直な真実であったがために、ニトロさんにとっては悪い結果を呼んでしまったのだ。
 つまり、問題を抱える妹を助けるために、お姉様は『ニトロ・ポルカト』という“家族”を頼った。そして彼は見事に“恋人”の期待に応えてみせたのである……そう、ミリュウ姫の“兄”として。――そういう図式が世に形成されてしまったのだ。そういう図式を、ニトロさんを次期王にと望む世間が形成してしまったのだ。
 そうなってしまってはお姉様の評価が、その価値が下がるはずもない。何しろ稀有な宝石についたその傷は、宝石と並ぶ素晴らしい貴石によって埋められたのだから。それに傷自体にしても、あの恐ろしいクレイジー・プリンセスに、時に覇王の再来と呼ばれる得体の知れない才媛にそのような欠点にんげんみが生まれたことはかえって親愛なるティディア姫として微笑ましいものではないか? ニトロさんにとっては迷惑なことでしかないが、このアデムメデスに生きる者が、そう感じない方が不可思議というものだった。
 お姉様の会見が終わってすぐに『ティディア&ニトロ親衛隊』のコミュニティに書かれていた一つの意見がある――そのお姿に誰より悔恨を抱いているのは『伝説のティディア・マニア』であろう――誰かが書いたその一文は、世論の核を的確に捉えていた。
 皆がそれに同意を示した。
 加えて、会見ではお姉様も、妹については今後も責任を負うと明言していた。
 その言葉を聞いた時、自動的に、全責任を負うお姉様の隣には一人の男性の姿があることを世論は確信していただろう。
 今になって穿って思えば、そこには私という重石をかけることで姉とニトロさんの関係性きずなを強固たるものにしようという打算もあったのかもしれない。さらにその重石そのものも未来において価値のあるものとなると踏めば“投資”をする意味も確かにあるだろう。
 私は検察に厳格な捜査を希望していたが、全ての流れの帰する所、異例の早さで起訴猶予となった。並行して民事でも騒動において実害を受けたという百数十人からの訴えがあり、そちらについては適切に賠償するということで示談が成立した。

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