ニトロはティディアの乗ってきたステルス機能のある軍用飛行車ミリタリースカイカーに乗り込み、自分達が乗ってきた車は遠隔操作で囮として飛ばし、そうして霊廟を離れた。
 ティディアはニトロへ今回の妹の件に関して丁寧な礼と謝罪を述べた後、しばらく安全に身を隠せる場所の提供を申し出たが、ニトロは断固として首を振って断り、誰にも気づかれず車の乗り継ぎができるところまでの送り届けをヴィタに頼んだ。ティディアに彼のその意志を妨げることはできるはずもない。ヴィタの運転で、四人掛けのソファが向き合う形で置かれている座席に二人と独りが向かい合って座り、沈黙の中、しばらく空を飛んでいく。
 霊廟の陵地を抜けた後も西へ西へと山間部を飛んでいる際、ヴィタがティディアへ妹姫からの連絡を伝えた。
「ミリュウとパトネトは、セイラを迎えに行くそうよ」
 メールを見たティディアが、努めて明るい声でニトロへ言う。彼は『話がある』と言いながら、礼を聞いている時も、謝罪を聞いている時も、未だ一言も直接自分と口を利いてくれていない。
「それで、城に帰り次第、すぐに会見を開くって。すぐといっても準備があるから、多分、昼くらいかしらね」
 ニトロは、黙ってティディアを見つめている。
「……」
 ティディアは、ニトロの視線に耐えられなくなったかのように目を落とし、
「もちろん、私も参加するつもり」
 すると、ニトロが大きく息をついた。
「……状況が状況なら、見る度に吹き出してたんだろうけどな」
 ようやくニトロが口を利いてくれたことにティディアが顔色を明るくするが、しかし、彼の言葉の意味をすぐに悟って空笑みを浮かべた。カツラを脱いだままの頭を触り、
「笑えない?」
「駄作だ。見た瞬間は驚いて、まあ、場をリセットしてくれたもんだけど、そこまでだな」
 ティディアは、ニトロが自分の意図をしっかり掴んでいてくれることは嬉しかったが、逆にそれだからこそ彼の言葉が辛かった。
 その上、
「だけど、それ、マードール殿下との会談が終わるまでは隠しておけよ」
「え?」
「分かってるだろう? お前がそんな頭を晒したら、さっきみたいにお前が何もかも全部持っていく
「それを……狙っているんだけど」
「解ってる。けど、この件は最後の会見までミリュウに全部やらせるのが筋だろう。それをミリュウも決意している。お前は絶対に一緒に出ちゃ駄目だ。――お前が帰ってきていることは?」
「まだ公にはなっていないわ」
「芍薬?」
「事実ダヨ。最後ノヤリ取リモマダ映像配信サレテイナイ」
「それなら明日帰って来い」
「……ミリュウを少しでも楽にしちゃ、駄目?」
「いちいち俺に聞かなくても解ってるだろ? 今さら急に甘やかしたところで、お前がこれまで妹にしてきたことを覆せるわけじゃない」
「贖罪ってあるじゃない」
「……」
「……解ってる。我ながら無様な悪あがきだった」
 ニトロはうなだれるティディアの――その弱々しい姿に、ため息をついた。
「ティディアが、俺を本当に愛しているんだとは思っていなかったよ」
 唐突な切り出しに、ティディアが顔を跳ね上げた。
「――――え?」
 ほとんど息に近い疑問符に、ニトロは言う。
「ミリュウから聞いた――っていうより、ミリュウの心の中で伝えられたって言った方が正しいか」
 ティディアの表情は固まっている。
 ニトロはてっきりここぞとばかりに何かアピールしてくると思っていたが(そして迎撃の用意をこっそりしていたのだが)、ティディアは彼の予想に反して、愕然として表に見える感情の動きを止めていた。
「?」
 ニトロが怪訝に思っていると、はたとティディアは彼を見つめ直し、息を飲み、急いて息を吐き、おどおどと目を落とした。
「そう」
 それだけを言って、ティディアは黙する。
 ニトロはさらに怪訝に眉を寄せた。
 するとティディアは、はっと息を飲むようにして、
「そうよ。今頃気づくなんてニトロも馬鹿よね。でも残念だわ。ちゃんと私の力であなたに知らしめて、ああ俺は馬鹿だったって思わせてやる予定だったのに。そうしたかったのに……」
 ニトロは、言葉を返さなかった。
 ここで何かをアピールされたり下手に愛の言葉を重ねられたりするよりも、その無念と負け惜しみじみた様子の方が彼女の真意をこちらに届かせていた。
「そっか……あの子が……」
 ティディアはぼそりとつぶやく。
 その声には――ハラキリの『予言』が当たったとニトロは思った――妹の行動がもたらした思わぬ結果に、非常に痛く打たれている心模様が漏れ出している。
 ……ニトロも、まさかこういう形で現実になるとは思ってもいなかったが。
「それで……どう?」
 と、ティディアが気を取り直したように問う。
「どうって、何がだ?」
「ニトロは私に」
 そこまで言って、ティディアは言葉に詰まった。が、続ける。
「私に愛されているって知って、どう?」
「どうも何も、変わらないな。相変わらず大嫌いだ」
 ニトロは嘘をついた。
 相変わらず大嫌いではあるが、彼の胸には明確な戸惑いがある。
 しかし、痛烈に打たれたティディアはそれに気づけなかった。
 あからさまに悲しい顔をして、またうつむく。
「……」
 無敵の王女のあまりに変わり果てた姿。
 ティディアからすれば、現状は針でできた絨毯に包まれているようなものであった。胸に大事に抱えていた愛情の真偽を知らぬところで判定されてしまったことは、彼女に羞恥心にも似た強い失望を与えていた。彼女自身、どうしてこんなにもそれが悲しいのか、恥ずかしいのか、絶望すら感じてしまうのかが分からない。――違う、絶望は、愛していると知られながら「大嫌いだ」と面と向かって言われたためだ。……「嫌い」――嗚呼、その言葉が、これまで以上に痛い。加えて彼女には、現在、ニトロに問題を丸投げしたことへの罪悪感もある。ミリュウにしてきたことを知られたことも痛手であるし、それについてはニトロと先に意見を交わしたとはいえ、彼に軽蔑されているのではないか? という恐れが――本当に今更だが――喉を締めつけて仕方がない。
「ねえ、でも、ニトロ」
 それらを振り払うように、ティディアは努めて明るく言った。
「それでもちょっとは私のこと、見直すこともあったでしょ? 簡単に『俺を本当に愛しているんだとは』――なんて言っちゃってくれたけど、本当は、少しくらい嬉しいでしょ? 女性にこんなに思われているなんて! ミリュウなら、きっと、私の愛の深さも伝えてくれたでしょ?」
 不自然なほどに饒舌に、妹への妙な信頼感を無防備に漏らしてまでティディアは言ってくる。
 ニトロは、しかし、首を振った。流石に思い出すと身震いがくる。彼は眉間に皺を寄せ、軽く引きつった片笑みを浮かべ、
「お前は、怖いな」
「え?」
 ティディアは泣きそうになっていた。
 何故、彼に、私の最強の対抗者にして最大の理解者に、何故、そんな嫌悪を隠さぬ顔でそんなことをいきなり言われなくてはならないのか。
「舞台裏を見た。長兄の――」
 そこまで言って、ニトロはかちかちと歯を鳴らした。
「!!!」
 ティディアの顔からざっと血の気が引いた。彼女はその時、生涯において最大の、かつ真の絶望というものに直面した。手が震えるのを抑えられない。手だけではない。体が、魂が芯から震えている。目の前が真っ暗になる。そんなことまでも知られてしまったのか! 本音を言えばミリュウとの真の関係性も知られたくはなかったが、それ以上に、あれは……あの手の話だけは、彼にはどうあっても絶対に知られたくはなかったのに!
「だ、大丈夫よ!」
 ティディアは自分でも何を言っているのか分からなかったが、とにかく体の震えを誤魔化すために身を乗り出して叫んでいた。
「ニトロにはあんなことしないから! 何なら今、ね? 証明するから!」
「落ち着け阿呆」
 静かなツッコミに、ティディアは我に返った。
「お前でも、取り乱すことがあるんだな」
「……人間だからね」
 乗り出していた身を引くティディアの、蒼白であった顔に血の気が戻ってくる。それは屈辱の血だった。そして羞恥の血だった。ニトロに醜態を見せた自分が許せなく、ニトロにこんな痴態を見られたことが恥ずかしくてたまらない。何より、どうして彼のことになるとこんなにも愚かになってしまうのか――ハラキリに指摘され、気をつけろと釘を刺されたというのに、それがどんどんひどくなっている気さえする。
 ティディアは唇を噛み、
「お前、あれをわざとミリュウに見せただろう」
 追って投げつけられた一撃に、彼女は心臓を凍らされた。
 私の最強の対抗者にして最大の理解者――ニトロ・ポルカト。
 寒い。猛烈な寒気を感じて身が縮こまる。
 ああ、今は、嬉しいはずの彼の『理解』が心から恨めしい。
「二人で申し合わせて、ってのは考えにくいから。その頃合に襲ってくるように誘導したのかな。色目なり、匂わす言葉なりを囁いて、挑発して」
 ティディアは膝に乗せた手で、ぐっとイブニングドレスの生地を握りこんだ。
「そうしたらベストタイミングで色魔が釣れた。ってところか」
「……」
 ティディアは何も言わない。何も言えない。沈黙が肯定となるとしても、言えない。
「やっぱり、お前は酷い奴だ。お前こそ悪魔だよ」
「……やー」
 ティディアはそこまで言って、あえて軽く言葉を返してみようと思ったのにやけに渇いた喉に声が張りついて取り出すことができず、不恰好な間を空けてしまった。それでも彼女はニトロを見ずに、いや、彼の目を見ることができずにうつむいて、声を絞り出す。
「あまり、いじめないで」
「言えた義理か」
「……うん」

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