(――やられた)
 急速に気が失せていく。
(ここまできて全部持って行きやがった!)
 美味しいタイミングで現れて。
 主張とは裏腹にまるで一番悪いのは私とばかりに強弁かまして。
 さらにはアデムメデスの蠱惑の王女がスキンヘッド? はっは、意外に似合っているじゃないか。こいつぁ国民の皆さん度肝を抜かれるぞぉ。
「……あ〜」
 ニトロは脱力し、うめいた。
「何かもう、何もかもが馬鹿らしくなった」
「御意」
 芍薬がうなずく。
 ニトロは深い深いため息をつき、もう疲れた、家に帰ろうと心に決め――されどその前にやっておかねばならないことがあると努めて気を取り直した。
 そして、ミリュウの『聖痕』と同じく仮想世界では消えていた『烙印』が現実こちらではまだ左の甲にあることを確認し、
「ミリュウ」
 ニトロは腰に手を当て、歩きながら呼びかけた。
 姉と何やら言葉を交わしていた妹姫が振り返る。
「まずはその爆弾を外そうか」
 あ、と、思い出したようにミリュウが顔を青褪めさせた
 ニトロはパトネトを見、
「外すのは、血を飲むしかないのかな」
 パトネトは首を左右に振った。
「ううん、それじゃあ外れない」
「よし、それじゃあ別の――外れないのぉ!?」
 予想外にも程がある王子様の発言に、ニトロは素っ頓狂に声を上げた。
「どういうこと!?」
「それはあの……わたしが……」
 答えたのはミリュウだった。
「これに手を加えて……」
 そう言う彼女は明らかに焦り出している。それは彼女の死の願望が完全に潰れていることを示すのでそれはそれでいいのだが、いやそうじゃなくて! ニトロは頭を抱えた。言われてみれば『どうあっても死のうとしていた』ミリュウがその機能を排除しているのは当然だし、そもそもこちらも予測済みの事態だ。
「それなら急いで――」
 芍薬に“処置”を施してもらって即行ハラキリに頼んでいた『爆弾処理の環境』へ連れて行こうとニトロが言いかけた時、パトネトがまたも首を左右に振った。
「だいじょうぶ」
 皆の視線が小さな王子に集まる。彼は無邪気に微笑みミリュウを見つめ、
「ごめんね、お姉ちゃん。ちょっと嘘ついてた。解除機能は安全のために二重にしてたんだ。だいじょうぶ、簡単に外れるから」
「どうすれば?」
 再び問うニトロへ振り返り、パトネトは本当にこの結果が嬉しいらしく満面の笑顔で言った。
「キスするの」
「「――は?」」
 ニトロと、ミリュウの声が重なった。
 ティディアは……ちょっと頬を強張らせている。その後ろではマリンブルーの瞳がキラキラと輝いていた。
「……え? ええっと?」
 ニトロがまごついていると、パトネトはさらに楽しげに言った。
「だって、お姫様を助けるのはいつだって王子様のキスでしょ?」
「そこらへんはお子様なのね!」
 ニトロは思わず天を仰いだ。
「え? 簡単でしょ?」
 パトネトは周囲の反応に戸惑い、きょろきょろとニトロと二人の姉を見回しながら問いかける。
「殺しあうより、血を飲むより、簡単でしょ? だって、けんかをした後は仲なおりだもん。仲なおりにはキスをするんだって、よく……聞くよ? ティディアお姉ちゃんもニトロ君と仲なおりのちゅーをするって言ってたし、ドラマでも映画でもアニメでも見たことあるよ?」
「そりゃまあうん、確かにバカ女はそう吹聴してたしよく聞くことでもあるし定番っちゃあ定番だし血を飲むよりは健全だし殺しあうより簡単かもしれないけどね」
 価値観――という概念の実にいい加減なあり様にニトロはうめきつつ、それならばと訊ねた。
「てことは、軽く触れる程度でいいのかな?」
「ううん、口の粘膜に解除用のが常駐してるから」
「……」
「べろちゅー?」
「ティディア! お前一体どんな教育してるんだ!」
 ニトロに怒鳴られたティディアはびくりと肩を震わせた。
「……やー。パティに関しては、基本的なマナーとか以外は、基本的に自由放任自主学習」
「あれ? お前、何か動揺してる?」
「……いけず」
 ニトロは、ひとまずティディアのその感情を無視した。ティディアは傷ついたような反応を見せたが、しかし文句は言わない。ニトロはその態度も、今は、無視した。
「芍薬?」
「十五分デ決断ガ必要」
 芍薬は多少不機嫌に、だが事実を伝える。
 ニトロはミリュウと顔を見合わせた。
「……」
「……」
「……」
「……」
 駄目だ。
 一旦黙し、どうしよう? と伺い合ったが最後、どうにもならなくなってしまっている。
「フレア、本当ニ気ヲ付ケナイト、コノ王子ハ『クレイジー』ッテ呼バレルヨウニナルヨ」
 芍薬が、ため息混じりに言う。
 声をかけられた王子のA.I.は胸を張るようにして、
「実ニ素晴ラシイ」
「今すぐ道徳ソフトを入門編から読み込み直せぃ」
 そこにすぐさまニトロがツッコむ。
 すると芍薬が何やら喜んだ。
「?」
 芍薬の反応は不思議だが……まあ、理由があるのだろう。
 そう思うことで少し気が紛れたニトロは、落ち着いて考えた。
 ディープな人工呼吸と割り切るか? それとも、口の粘膜、ということは、指を突っ込んで擦り取って移しあうのも可能かもしれない――って、だから何だそのプレイは。それじゃあもっとこう医療行為的に芍薬に作業してもらうのはどうだ?――有りだ。うん、これが最も心理的な負担が、
「あ、そうだ」
 と、いきなりティディアが思いついたように言った。
「ね、パティ。それって私が間に入っても大丈夫?」
「「え?」」
 再びニトロとミリュウの声が重なる。
「私がニトロとべろちゅーして、次にミリュウにして、もう一度ニトロにするの」
「多分、大丈夫だと思う」
「そこはできないでいいんだよ!?」
 ニトロが悲鳴を上げると、ミリュウが追って言った。
「お断りします、お姉様」
「「「「「え?」」」」」
 今度はニトロとティディアとパトネト、それどころか芍薬にフレアにヴィタの声までもが重なった。
 断る?――ミリュウが、ティディアの提案を?
「この件は、わたしが決着をつけます」
 きっぱりと、少々緊張は見られるが、しかし毅然としてミリュウは言う。
 ニトロは何となく感動し、パトネトは驚いたままで……ティディアは、ちょっと複雑なお姉ちゃんの顔をしている。
「それじゃあ、どうするの?」
 ティディアが妹を窘めるように問う。
 するとミリュウはニトロに向き直り、歩み寄り、
「お許しください」

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