「  え?」
 ニトロの手からこぼれた剣が床と硬い音を立てる中、いの一番に疑問の声を上げたのは、敵が倒れたことで戒めから解かれたミリュウだった。緩慢に体を起こし、何が起こったのか全く解らない様子で石床に座り込み、傍らに横たわるニトロ・ポルカトを力なく見つめる。ふと見れば、アンドロイドの“ミリュウ”も動きを止めていた。
「……え?」
「主様!?」
 ほとんど吐息であるミリュウの疑問を掻き消し、霊廟に芍薬の悲鳴が轟いた。
 人には適わぬ速度で駆け寄ると、ミリュウのことなどは捨て置きマスターの様子を調べ始める。頭の傷は――浅い。浅すぎる。血は滲んでいるが、投薬用素子生命メディシン・クローラーの止血剤が機能してそれも既に固まっている。脳にダメージがいくようなものでは決してなく、間違っても人が昏倒するようなものではない。
 しかし、ニトロは完全に気を失っている。
 呼吸、脈拍は戦いの影響の範囲内。異常はない。……いや、脳波に異常がある!
「フレア!!」
 芍薬は激怒した。茫然としているミリュウ姫はこの件に関わっていまい。何しろアンドロイドが動きを止めているのだ。ならば、これは、
「答エロ!」
 事の次第を。
 芍薬はフレアの『起爆プログラム』に手をかけていた。
――「手伝エ」
 そこにフレアが通信を使い告げてきた。
 確かにこちらの方が速い。芍薬は怒りのあまり我を失いかけていたことに気づき、『起爆プログラム』に触れたまま、フレア達を泳がせていたのはどうしようもないミスであったかという慙愧と激しい自責に震えながら、相手への怒りと自分への怒りがない交ぜとなった憤激をぶつける。
――「ドウイウツモリダ!」
――「貴様ノ助ケガ要ル。命ニ別状ハナイ。ガ、マスターヲ助ケラレルノハ貴様ダケダ」
――「ダカラ――!!」
――「今ニ解ル」
 芍薬は、気づいた。
 階段を下りてくる無数の人影に。
「……」
 ミリュウが、冷たい石床にへたり込んだまま、芍薬の視線に気づいてそちらへ目をやる。
 全く事態についていけていない彼女は視線の先にいたパトネトの姿に、愕然とした。もはや全ての痛みも忘れ、こちらへ歩いてくる小さな弟を見つめ続ける。
 パトネトは背後に数十人のアンドロイドを引き連れていた。それは明らかに機械的であり、信徒のような精巧なものではない。
 やがてパトネトが姉の前に立つ。
「チョーカーが『故障』していることが分かったよ」
 その言葉に、ミリュウはぽかんと口を開けた。
 パトネトはそのことに、シェルリントンタワーの控え室でわたしが用意してきたチョーカーを見た瞬間に気づいていたはずだ。あの時はそれに言及しなかったのに、今になって、何故?
 ミリュウが再び茫然とする傍らで、姉弟のやり取りを見ていた芍薬はあることを確認していた。
 マスターがミリュウを捉える瞬間、怒りを覚えていたことは知っている。マスターはこう思っていた。ミリュウには敗北が決まったというのに“嫌な余裕”がある。ということは――
(ルッド・ヒューランノ読ミ通リ、ドウアッテモ死ヌツモリダッタカイ)
 芍薬は見つめあう姉弟を見守っていた。マスターの容態に変化はない。確かに命には別状はなさそうだ。ならば、もしあの女執事の証言がなければ、こちらが二人分の対策をしない限りはどうあってもマスターの敗北であった状況を変えた王子の思惑を知ろう。
「パティ?」
 やっと言えた――という様子で、ミリュウが弟へ呼びかけた。
「どういうこと?」
 パトネトは悲しげに眉を垂れていた。
「ごめんね、お姉ちゃん」
「え?」
 弟の意図が全く掴めず、ミリュウはただ混乱する。彼女は気づいていなかった。チョーカーを除き、その肌に刻まれた『聖痕』が輝きを増していることに。ニトロの『烙印』も輝きを増していることに。
「僕は、お姉ちゃんの敵かもしれない」
 と、パトネトが言った直後、ミリュウが気絶した。
 弟の言葉にショックを受けて?――そんなわけがあるはずもない。彼女の倒れ方はニトロのそれと全く同じであった。
「芍薬」
 パトネトがニトロを抱きかかえる芍薬へ顔を向ける。人見知りというわりに――芍薬がA.I.であるからだろうか――存外力強い口調だった。
「手伝って」
 フレアと同じことを言うフレアのマスターに、芍薬は敵意を向け、
「助力ヲ請ウナラ、マズハ誠実ニ語ルモンダヨ」
 言われたパトネトは、そうだった、とばかりに表情を変えた。
「大雑把に言って、今からニトロ君にお姉ちゃんの心に入ってもらうんだ」
「――ハ?」
 流石に芍薬は呆気に取られた。その『理論』は知っている。そしてそれが現在実証段階にあり、法や倫理にも課題を抱え、つまり、人と人の精神を“直接・安全に”繋げる技術と装置は未完成だということも知っている。現行の技術を応用して“間接的・曖昧に”繋げるだけなら可能ではあるが――
 パトネトは芍薬の戸惑いを察し、首を振った。
「違うよ。仮想空間も利用するけど、お互いの感じていることをお互いに、自分が感じているよう感じあえるように、本当に可能な限りお姉ちゃんの頭に“没入”してもらうんだ。烙印と聖痕が、もう二人をつなげてる」
 芍薬は理解した。理解して、叫んだ。
「馬鹿ナ!」
「ニトロ君は『ウシガエル』の夢を見たでしょ?」
「!」
ミリーの幻覚を見たこともお城でフィードバックして確認した。大丈夫、うまくいくと思う、ううん、絶対にうまくやる。だから助けて。ニトロ君がお姉ちゃんに『埋没』しないように、ちゃんと二人の心をつなげながら混同させないように、君がニトロ君を守って」
「……ソノタメノ『計算機』カイ」
 芍薬はパトネトの背後に並ぶアンドロイドを一瞥した。パトネトはうなずく。
「……前代未聞ダヨ」
「うん。でもフレアから聞いた。マスターのこと『人並み』に知ってるって。もし『完璧』に知ってるなんて言われたら中止するつもりだったけど……」
 そこで芍薬は気づいた。
 パトネトは、震えている。
 芍薬は言った。
「ヤロウトシテイルコトハ洗脳ナンテ生温イ、少シデモ間違エレバ取リ返シノツカナクナル『改造』ダヨ? 最悪、二人ノ人格ガ混同シテ『精神キメラ』ガ出来上ガル」
「そうならないように気をつける」
「ソシテ何十モノ法ニ触レタ人体実験ダ」
「ごめんね」
「……謝レバイイッテモンジャナイ。何ニシタッテ後デ主様ニ怒ラレルコトダネ」
「それは……やだ。怖いもん」
 言って、しかしパトネトは拳を握り、涙を浮かべる。
「でも、僕はお姉ちゃんが大好きなんだ。だから僕はお姉ちゃんを助けたいんだ」
 情を動かせば可憐な王子の頼みをそこで断れる者はないだろう。が、芍薬にとっては、王子の心より主の安全が優位だ。それに芍薬にはひどく気に食わないことがある。
「モシ、断ルト言ッタラ?」
 パトネトは唇を噛み、芍薬がそれに対して怒りを感じていることを解りながら、それでも言った。
「ニトロ君を人質に」
「コッチハフレアノ命ヲ握ッテルンダヨ? ソレトモ、あたしハ愚カニモ騙サレタカナ?」
 するとフレアが言う。
「私ノ“命”ナドミリュウ様ト比ベルベクモナイ。殺サバ殺セ」
 パトネトは唇を強く噛んで、じっと芍薬を見つめている。
 ……どうやら、全ての言葉に偽りはないらしい。
 芍薬はため息をついた。
 マスターならどう答えるか考え、そしてお人好しのマスターの答えを聞いたような気がして苦笑いを浮かべる。
 それから安らかな息をつくミリュウを見、
「何デコンナニ愛サレテイルノニ……」
「『愛されていれば人は生きていける――などとは幻想に過ぎない』」
 ふいにパトネトが仰々しいことを言った。
 芍薬は口元を――マスターのように引き上げ――応える。
「アデマ・リーケイン著『リオナ、それともパメラ・レオニラル』」
 パトネトはうなずく。
 芍薬はやはりマスターのようにため息をついた。
「フレア、気ヲツケナ。注意シテオカナイト、コノ子ハ『バカ姉』ソックリニナルヨ」
「実ニ素晴ラシイ」
 即答され、芍薬は言葉を失った。主様なら絶対に即行のツッコミで正している。しかし自分は唖然としてしまって何も言えない。主様がツッコンでくれないとこのバカ共は野放しに――
 芍薬は悟った。もはやあたしの取れる道は一つしかない。
「……承諾シタ。早ク主様ニ復帰シテモライタイシネ」
「良かった」
「ドコカラ初メルンダイ?」
「今、お姉ちゃんの中にお姉ちゃんの心から抽出した『世界』を構築する最終工程に入ってる。えっと、その世界はね」
「ソノ世界ガ二人ノ間ノ『安全装置クッション』――ダネ?」
「うん。これまでのデータがあるから、それはすぐにできる」
 これまでの――ということは、やはりマスターの直感通り、アンドロイドの思考ルーチンはミリュウ姫本人を基にしていたということか。おそらくそのプログラムを組むために姉を仮想世界に没入スライドさせて思考パターン等のデータを取り、並行してこの企みの準備もしてきたのだろう。
(ナラ、王子モ初メカラ色々分カッテイタンダネ)
 マスターも評価していたが、本当に賢い『秘蔵っ子様』だ。そしてこれだけのことをするからには年齢に不相応の覚悟も持っている。加えて、彼のプライドにも懸けてシステム面には手抜かりはないだろう。そう判断すれば、依頼を受け入れたとはいえ心に残っていた危惧――お子様の浅知恵――という一抹の不安が芍薬のメモリから消えていく。もし不安がわずかでも的中したら今ここでシステムを乗っ取り、王女を見殺しにしてマスターだけでも助ける決意もしていたが、これなら自分に振られた役目に集中できるだろう。
 芍薬はニトロの額を撫で、
「ソレジャア、ソコニ送リ込ム主様ノ『精神体』ノ構築ガあたしノ仕事カ。構築ニ使ウノハ一般的ナ意心没入式マインドスライドノ流用デイインダネ?」
「君が優秀で助かるよ」
「ソリャドウモ」
 パトネトは芍薬の無作法な礼に微笑みうなずき、
「実行に向けて最終チェックをするから、そこからは一緒に」
「承諾。タダ――間ニ合ウンダロウネ?」
 真夜中のタイムリミットまでに。
 パトネトは鑑みるように目を上向け、
「きっと。ううん、絶対に」
 芍薬はうなずき、即座に作業を開始した。

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