(おいおい)
 追ってくる“ミリュウ”と『ミリュウ』の後ろに、破滅神徒ミリュウがいる。そんなにすぐには立ち上がることもできないはずなのに、不気味な聖痕に彩られた顔を苦悶に歪めて、それでも必死に追いかけてくる。
 そこにはもう執念しかない。
 三人同じ姿をしていても、もはや簡単に見分けがつく。破滅神徒は、独り――まさに幽鬼だ。
 ニトロは気負けしないよう奥歯を噛み締め、意を新たにした。
 彼女に呑まれては剣で負けずとも、負けてしまう
 彼はミリュウ達の視線の陰になる石像柱の裏に駆け込んだ。
 だが、完全に隠れはしない。半ば姿を晒して相手の行動を注視する。柱の背に入ったのは先行する二人が二手に分かれるか、それとも一方からやってくるかを選択させるためなのだ。
 二人が追いついてくる間に、ニトロは地理的状況も一瞬で確認した。
 と、意外にも近くに芍薬がいることに気づき、ふと目が合い、かすかにうなずき合う。
(うん、大丈夫)
 師匠は逃げ続けられるようにと特にスタミナを鍛えてくれた。息は一つも乱れていない。息が乱れるとしたら心理的要因しかない。しかし負担となる心理的要因は、もう、無い。
“ミリュウ”と『ミリュウ』は安直にも挟撃を選び、二手に分かれてきた。
 ニトロはより近い距離を通ってくる“ミリュウ”へ、タイミングを見計らって一気に間合いを詰めた。“ミリュウ”が一瞬たじろぎ、それでも剣を振ってくる。大振りは少しは改善されているが、常に大きな急所を狙ってくるのは同じだった。
 ニトロは剣を力任せに“ミリュウ”の剣にぶつけた。
 ガツンという激しい音がし、“ミリュウ”の手から剣が弾け飛ぶ。
 さらにニトロは素手となった“ミリュウ”を体当たりで思い切り突き飛ばした。
 同時にニトロが今までいた場所を切り上げの剣が通り過ぎる。
 ニトロは破滅神徒の接近も鑑み、身を翻して『ミリュウ』の切り下げの二戟目を避けるや、走った。また別の柱を目がけて緩やかな弧を描くように走り、破滅神徒からはその柱が邪魔となって剣を振るい難い位置に、一方『ミリュウ』とは正対する位置に動いていく。
 すると二人同時に攻めるには難しいが、少々タイミングを合わせれば同時に攻めることも可能な状況が生み出される。もちろん一方が先んじて攻撃し、時間差の援護も可能だ。しかしその場合、こちらが身を引いたら柱が邪魔になって二人のどちらの攻撃も有意性をなくしてしまう。
 どのような連携も可能であるが、判断を誤ればどのような連携も即座に完全に無意味となる陣形。ニトロからすれば、判断のために二人がまごつけば一気に『ミリュウ』に剣を突き立て、直後、破滅神徒を制圧にかかれる戦況。
 ――破滅神徒と『ミリュウ』は、ニトロの思惑通りに動いていた。
 破滅神徒は柱が邪魔になり、かといって位置をずらせば『ミリュウ』の邪魔になることに気づいて顔を曇らせる。すると、ならばとばかりに『ミリュウ』が
「いやあああ!」
 気合を込め、大上段に剣を構え一気に駆け込んでくる。
 こうきたならば。
 ニトロは相手の剣をかわしながら突き込もうと剣を寝かせ、全力で踏み込もうとし――
「あ」
 と、剣を振り下ろし出した『ミリュウ』がわざとらしく声を上げたような気がした。
 ニトロの目の前には、一瞬の差で――奇跡的なまでのタイミングで!――『ミリュウ』に先んじて破滅神徒ミリュウが辿り着いていた。
 ここが最期の頑張りどころとばかりに脚力を爆発させ、切り結ぼうとする二人の間に無理に破滅神徒は強引に体をねじ込ませてきていた。
 彼女はバランスも崩し、これではニトロ・『ミリュウ』のどちらの剣も避けられない。
 ニトロは、例え自分が突きを止めても、体勢を崩した破滅神徒の首を落としそうになっている信徒は剣を止めないであろうその状況を、まるでスローモーションのように見ていた。
 刹那の間に流れる時間の拡張。
 コンマ一秒が一秒に、さらに一秒が十秒にも感じる間。
 ニトロは確かに見た。
 破滅神徒――ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナの会心の笑みを。
 ――だが!
 ニトロはこれも予測していた。
(あなたの執事はあなたを守った!)
 そう、セイラの証言がなければ、このパターンは完全に考慮の外にあっただろう。そして虚を突かれ、王女が王女の分身に斬られる姿を見ることになっただろう。
 ニトロはここぞと戦闘服の助力も加えて踏み込む。突きのために溜めていた力も、剣をかわすための予備動作も、体に備わる全てを推進力に変えてく駆ける!
 刹那の半分の時間。
 彼は猛烈な勢いで破滅神徒を『ミリュウ』に向けて押し込んだ。
 ニトロの頭に『ミリュウ』の剣がぶつかる。鋭い痛みが短く走る。が、刃ではない。皮膚を削ったのは柄か鍔だ。ニトロは迷わずさらに体を押し込んだ。破滅神徒が驚愕と絶望に息を飲んでいるのが聞こえてくる。彼女に接するニトロの肩にはあまりに柔らかな感触が伝わってくる。それは決してこのような決闘をする者の肉体ではない。ニトロは歯噛み――勢いのまま、『ミリュウ』を下にして三人は倒れた。
 くぐもった悲鳴が二つ上がった。
 ニトロは立ち上がる間も惜しいと伏せに近い状態のまま『ミリュウ』の右脇から左胸に向けて剣を刺し込み、そして剣を捨て、断末魔に絶叫する信徒の上で敵を見失い四つん這いのままきょろきょろとしている破滅神徒に襲いかかった。
 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナがこちらへ振り返る。
 ようやく敵の姿を確認し、しかしもう逃げられないことに気づいて――
(――ッ!)
 ニトロはそれでも余裕のあるミリュウの顔に怒りを覚えながらも、彼女の手を掴むや瞬時に関節を極めて組み伏せた。それと並行して彼女の手から剣を奪い、いずれ燃え出すアンドロイドの影響を受けない位置へ王女を荒々しく一息に引きずり、痛みに思わず上げられた悲鳴を無視して極めた細い腕ごと小さな背中を膝で押さえるや思いきり体重をかけて動きを制し、流れるような拘束の後、ようやくこちらに駆け寄ってきていた“ミリュウ”へ剣の切っ先を向けた。
 片膝立ちとそう変わらぬ姿勢、体勢不利ではあるがニトロに隙はない。
 彼に気圧されるように、“ミリュウ”が足を止める。
 一瞬の沈黙。
 三者の傍に青い炎が揺らめく。
 一息の後、
「勝負あった」
 ニトロは宣言し――
 そして、彼は倒れた。

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