ニトロの斜め前に、芍薬が立つ。
 歴史に名を刻む死者が眠る霊廟の扉が、開き切る。
 扉の中から現れたのは無骨なロボットだった。この宮殿の手入れのために常駐しているものだ。その姿を見て、改めて思えば霊廟はぴかぴかに磨き上げられていて、車を止めた玄関前に雑草は一本もない。
「『ドウゾ中ヘ』ダッテサ」
 通信を受けた芍薬が言う。
 ニトロはうなずいた。
 明かりのない宮殿の内側が、斜陽に照らされてぼんやり紅く浮かび上がっている。
 ニトロは一歩踏み出し、と、芍薬の瞳に光があることに気づいた。どうやらロボットと通信しているらしい。すると芍薬は太帯ベルトのポーチの一つを開いた。そこから大きな機械蛍ファイアフライヤが飛び出し、二人の前に舞った。
「灯リハ消スヨウニ命令サレテルソウダヨ。地下ニハ点ケラレテルヨウダケド、目ヲ慣ラシナガラ行コウ」
「分かった」
 ミリュウは、生理的優位を得るために電灯を落としているわけではないだろう。確かにこれまで明るいところにいた者と、ずっと薄暗いところにいた者が急に戦えば後者に圧倒的な利があるが……彼女の目的は、多分、違う。それはきっと『紛れ』を生みやすくするためだ。
「真夜中の鐘が鳴るまで時間もあるしね。本当なら王族でも滅多に入れない霊廟だ、折角だからゆっくり見学しながら行こうか」
 そう言うと、芍薬はふいに苦笑した。
「どうしたの?」
「『御案内シマショウ』ダッテ」
 ニトロが振り向くと、例のロボットがウインクをするようにライトをちかりと点滅させる。彼も苦笑し、
「そうだね、エントランスからすごい天井画があるって聞くし」
 資料で見た学術的な記録を思い返して言い、それから彼は背後に飛ぶ『トンボもどき』を意識した。神聖なる霊廟を荒らすようで悪いが、まあ、何にしたってここで一悶着があるのだ。あまり気にしてもしょうがない。
「そこくらいはじっくり見てから行こう。普段、どんな手入れをしているのかも聞かせてくれるなら、頼んでいいかな?」
 ニトロが呼びかけるとロボットは辞儀をするように体を揺すった。
 応じて、ニトロと芍薬は霊廟へ足を踏み入れていく。
 それを、二人の背後でホバリングしていたトンボ型のカメラが、一行を追いかけながら静かに全国へ中継し続けていた。



 ミリュウは地下一階の一面を占める『石像柱の間』で、アデムメデスの『我らが子ら』と同じ映像を観ていた。
 宙映画面エア・モニターの中には、芍薬が飛ばした大きなホタルの光で足元を、メンテナンス用常駐ロボットの特殊ライトで視線の先を照らしてもらい、そうして当時の最高の画家が描いた素晴らしい天井画に圧倒されるニトロ・ポルカトがいる。
「リラックスしている……」
 ぽつりとミリュウはつぶやいた。
 芍薬が通訳するロボットの説明――その画家が天井画に駆使したテクニックとそれが生み出した表現の意味や、近年修復した箇所、保護のために行っている処置などを、ニトロ・ポルカトはまるでどこかの博物館で学芸員に案内されている観光客のように「はあ」とか「へえ」とか返事をしながら聞いている。
 そう、まるで観光客のように
 その顔は、その態度は、今まさに決闘に向かわんとする人間のものではない。
 ミリュウはニトロ・ポルカトの様子を微笑んで見つめていた。
「……全力を、発揮してくれそうね」
 彼が来てくれただけでも嬉しい。
 正午を越しても彼がスライレンドに留まっていたのは、まず間違いなくトレーニングを念入りに行い、体調も万全に――それこそアスリートが試合前に摂取エネルギーの調整を行うように整えてきてくれたのだろう。そう思えば嬉しさが倍増する。
 さらに彼らは目を慣らす必要にも気づき、そんなにリラックスしながらも、心は緩みなく引き締めていることを既に証明してくれている。
「ふふ」
 ミリュウは胸に抱えた剣を抱き締め、笑った。
 それから宙映画面を消す。
 彼女は無数のカンテラの生むオレンジ色の明かりに包まれていた。
 彼女の居る地下一面を占める広い部屋には無数の石柱が立ち並んでおり、その一本一本には見事な彫刻が施されている。そこに並べられた裸婦、騎士、魔物、神、動植物は、正しい順番で巡るとアデムメデス神話のあらすじを描き出す。また、無言で神話を語る役目と同時に、像にはもう一つの役目が課されている。それはこの場にあって神話を語ることよりも重要な、照明を掲げる役目である。
 ミリュウは慣例に習い、ここには現代の照明を持ち込まず、古めかしい油灯を石像達に持たせることで光を得ていた。
 もちろん、
(こんなことに神聖なる霊廟を使って、慣例も何もないけれど)
 剣を抱いたまま地べたに座り、ミリュウは傍にある『子を掲げる裸婦像の柱』を見上げた。裸婦はカンテラを子を抱く手の親指に掛けている。また、今回に限り、全ての柱に小さなカメラも設置されていた。
 ミリュウは、子を無償の愛をもって見上げる母の顔を見つめ、ふと思う。
(レイアン様は……嘆かれているでしょうね。ロディアーナ様は悲しまれているでしょう。初代様は――)
 彼女はそこまで思ったところで、背後の、分厚く厳重に封印された門を意識した。その先にはさらに地下に進むための階段があり、その階段を下りたところで初代覇王は英雄レイアンによって斬殺され、そのまま遺体は最深部に安置された。
 ミリュウは最深部に棺も無く葬られた伝説の男の姿を思い浮かべ、口元に軽蔑を刻んでつぶやいた。
「きっと、楽しまれているでしょうね」
 自分の初めの妻に罪を着せて獄死させ、その元王妃との間に生まれた姉妹を決闘させて一人を殺し、生き残った一人を従属国の娼館に売り飛ばし、あまつさえ娼婦となった娘が孕んだ時、それを『我が国の王として擁立せんという逆心あり』と宣戦布告の理由とした非道の男だ。自分の墓で子孫の一人が喚き暴れても、仕舞いに小娘が醜く死ぬ様を見れば手を叩いて歓ぶだろう。
 ならば、これは慰霊の祭事として派手に行こう。
 ミリュウは腹の底で蠢く気持ち悪さが形を持っていることに気づいていた。その子は、もうすぐ、わたしを殺してくれる。
「貴方様の血を継ぐ者の、愚かな末路をご覧あれ」
 古典演劇調に言ってみる。
「愚か者ならば愚かにも、死者の眠る聖域を鮮やかにも朱に染め、以て貴方様に手向ける花といたしましょう。日の届かぬ冷たい地下に、熱い命を咲かせてご覧にいれましょう」
 剣の柄に口づけをして――すると何だか妙に楽しくなってきて、ミリュウは鼻歌を歌い始めた。
 そのメロディーは、クロノウォレスに発つ前夜に姉が聴かせてくれた大クラシックの秀作、ブッドミストの『ピアノのための練習曲第8番「春草」』であった。

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