――『劣り姫の変』五日目――
 日の出を迎えた王都には『プカマペ教団』の祈りの言葉はなく、アデムメデスの関心と注目は常にスライレンド王立公園に注がれていた。
 王立公園には祈りの言葉はなくとも祈るような思いを胸にした多くの人間が集まっており、それを星中から集まったメディアのカメラが全国に、また銀河に中継していく。人出は凄まじく、公園の広場も道も植え込みの中にも、それどころか公園の外にも人が溢れている。溢れる人海は無作為に不規則に蠢き、その蠢く波は、不規則ながらも作為的に皆一点に押し寄せようとしている。されど波の一滴とてそこに入ることは叶わない。人海の中にある島のごとき有様となった場所には、周囲の喧騒が嘘のように、静かな朝を迎えたホテル・フィメックがあった。
 多くの者が気もそぞろに出勤・通学を始める時間になっても、『彼』に動きはなかった。ただ『彼』を守るようにある庭園の、昨晩の雨を受けて色鮮やかに輝く花々が、木々が、雨後の透き通る光を浴びて爽やかな息を吐き出すばかり。豊かな才能を持ちながら夭逝した建築家の遺した建物だけが、『彼』に代わって周囲を飾る花にも負けず華麗な外観を銀河に誇り続ける。
 その頃はまだ昨夜からの当惑が激しく尾を引いていて、王女の真意とその暴挙とも言える危険極まりない行動への議論が、テレビやインターネットを賑わせていた。そして皆、様々な手段で眺められるホテル・フィメックの様子を見つめながら、マスメディアで、ファミリーレストランで、喫茶店で、そこかしこで『劣り姫の変』の意義を語り合っていた。
 そう、朝の光が残るその時までは、皆にはまだ余裕をもってニトロ・ポルカトの決断を待つことができていたのである。
 だが、正午になっても、ニトロ・ポルカトに動きはなかった。
 その頃には議論の熱は冷め始めていた。飽きのために冷めていったのではなく、じわりと忍び寄ってきた不安のために冷え出していたのである。
 まさか、ニトロ・ポルカトは『決闘リスク』を避ける選択を採ったのか? これまで教団と激しい闘争を繰り広げてきた『狂戦士』が、『救世主』が、『ニトロ・ポルカト』が?
 焦燥が募る。
 1時。
 焦燥を苛立ちが燃やす。
 2時。
 傾いていく太陽の光が、燃える焦燥と苛立ちの熱を増す。
 3時。
 轟々と燃え盛る焦燥と苛立ちは憤懣となる。しかし大衆の心に燃える雑多な感情は燃えながらも凍り出していく。時の経過が、刻々と刻まれる時間が、王女の死を――例えそれを演出に過ぎないと思っていたとしても――どうしても予感させるのだ。
 3時30分を過ぎたあたりで、アデムメデスの関心と注目が大きな音を立てた。
 ホテル・フィメックの玄関に一台の高級飛行車スカイカーが現れたのである。
 そして、玄関からあの黒い戦闘服に身を包むニトロ・ポルカトと、朱の衣に身を包む戦乙女が現れた。
 ホテルの周囲、王立公園の上空に待機していたマスメディアの目はそれを即座に皆に伝えた。
 王立公園が震え、星が轟いた。
 とうとう彼が行動を起こした!
 さあ、彼はどうすることに決めたのだ?――そう窺いながらも、心の底では彼が出てきた以上は『決闘』を受諾したのだろうと皆は確信していた。
 ニトロ・ポルカトは飛行車に乗り込み、しかし、しばらくそのまま留まっていた。
 と、そこに、報道陣を蹴散らすように現れた者達があった。三台の警察車両と、さらには王軍の装甲飛行車アーマード・スカイカーだった。七台の装甲飛行車にはいずれも第一王位継承者直属の印がある。それはつまり、現在はミリュウ直属の親衛隊であった。
 何局かのカメラが車内のニトロの表情を捉え、彼が驚いている様子を伝えた。
 同時に、各メディアに速報が流れた。
 その内容は、ミリュウ姫が『王権』を行使したということ。どうやらニトロ・ポルカトが行動を起こした際に自動的に発動されるよう手続きされていたらしく、その内容は『ニトロ・ポルカトの進路を塞ぐ者はいかなる手段を以てでも排除する』というものだった。
 ニトロ自身は混乱防止のため警察に先導を頼んでいたのだが、軍も道先案内に加わってくれるなら心強い。彼を乗せたスカイカーは警察と王軍に囲まれ飛び立った。ホテルの周囲、王立公園、時を経てスライレンドの街中にまで溢れていた国民が一斉に声を上げ、大きな地鳴りのような歓声がニトロ・ポルカトを送り出した。
 無論、待機していた無数のマスメディアは彼を追った。激しいポジション争いをしながら轟然と追いかけるが、とはいえ王権行使とその内容を知ったからには――特に野蛮なパパラッチも迂闊に近づくことはできず、次第に自ら等も隊列を整え『護送船団』を取り巻くように追跡を開始する。
 その時、最も注目を浴びたテレビ局があった。
 それはとある地方のローカルテレビ局のものであり、ニトロの乗るスカイカーからはかなり離れた場所でカメラを据えていた。おそらく大手メディアとの力関係から外に追いやられたための撮影位置であったのだろうが、そのディレクターは腹を括って望遠を使わず、その位置だからこそ見える風景を伝えることにしたらしい。角度としては被写体からやや斜め後ろで、少し上。ニトロ・ポルカトを乗せた車が護送船団に囲まれる様も、さらにそれを報道陣が取り囲む様も、そしてその全てが一つの目的地に向けて進む様も――加えて晴れ渡る空の下、雲や遠景には大きな動きがないのに対して、直下の風景は猛スピードで背後に流れていく様も含めてパンフォーカスで捉えたその映像はまさにスペクタクル感に溢れていた。まるで自分達の目が、歴史的な英雄率いる進軍風景を見ているかのようだと誰もが思い、その歴史的瞬間の陶酔がアデムメデスの胸に『ニトロ・ポルカト』という英雄の存在を先にも増して刻み込んだ。
 ――が、その興奮も、長くは続かなかった。
 ニトロの乗る車は、遮る物のない空をどんどん速度を上げて進んでいく。市街地上空の法定速度は一般車で100km、緊急車両は事実上無制限だ。例外措置か、今回の王権の拡大解釈かはともかく、ニトロの車も緊急車両扱いにされたのだろう。一方でマスメディアのものは例外にされない。画面内には法定速度を破って食らいついているものも見られたが、それも徐々に諦め出している。公に報道されている上に目の前には警察だ。それでも違反上等で追いかけているパパラッチも十数人いたが……警察車両の一台が取締りに動き出した。
 カメラが警察とパパラッチの追跡劇チェイスを映し出したちょうどその頃、ニトロ・ポルカトの進路が間違いなく――地図で見れば副王都セドカルラの北西部にあることが伝えられ、実に多くの者がため息をついた。
 霊廟。
 アデムメデスで特に固有名詞を付けずに『霊廟』と言えば、それは『無冠王墓』に決まっている。初代王が『粛清』された場所であり、そのまま墓として用いられることになった伝説の宮殿。また、初代覇王と共に、覇王を粛清した第一王子――つまり覇王の息子が埋葬されている神聖なる墓。名称の『無冠王』は王位に就かずに一生を終えたその王子のことを指しており、そしてその名が付けられたのは、『英雄』を墓の名に戴くことで狂君の怨念を封じる意味合いがあるという。
 王家にとって最も重要な施設の一つである霊廟の管理者は、代々副王都を預かる第一王位継承者だ。
 しかし現在、副王都は第二王位継承者が預かっている。
 そう、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが。
 彼女が決闘の場所として――“粛清”まで匂わせて――選ぶとしては最高にして最狂の場所であろう。
 スライレンドから霊廟までの距離と飛行車の速度を鑑み、到着まで二時間ほどと予測された。
 そしてその通り、斜陽が大地をほのかに朱に染め出した頃、なだらかな低山帯にいかめしい護送船団を引き連れて、現代の『英雄』が姿を現した。

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