一年を通して季節の花に囲まれるホテル・フィメック。
 サービスを提供するスタッフを断れば完全にプライベートな貸し別荘としても使える邸宅である。
 食材など必要なものだけを頼んでいたニトロは無人の邸宅に辿り着くと、まずは怪我の治療をした。それからシャワーを浴び、芍薬がルーから作ってくれた大きなジャガイモがごろりと入った美味しいクリームシチューを食べて体を内側から温め……その短い安息の以降は、いつ何があっても対応できるよう戦闘服に身を包み、服をリラックスモードに緩めながらも心は引き締め、そして今――彼は『霊廟』の情報を頭に叩き込んでいた。
 テレビも、ラジオも、インターネットも、あらゆるその他の情報はシャットアウトしている。そちらは芍薬がチェックしてくれているし、それに、今夜のメディアにどのような言葉が溢れているかは想像がついている。正直、その重さや激しさを受け止められる自信は、今は無い。これを日常としていることには“王女様達”を心底尊敬してしまう。
 外は雨も上がり、雨後の澄んだ涼気の中で庭に出て自慢の花壇を眺めながら少しだけでものんびり過ごしてみたいが、空にマスメディアの影があるからにはそれも叶わない。別に人の目が特別気になるわけではないが――全く気にならないわけでもないが――それらを正面に据えれば、現在、自分がどのように言われているか、どうしてもそれを想像してしまうために決して『のんびり』などとはいくはずもない。
 ……分かっている。
 全て、判っている。
 皆がそうなることは見るまでもなく解っている。
 だけど、解ってくれるか判らないけれど、こっちも正直困っているんだ。
 決闘は――ミリュウ姫の仕掛けは全て叩き潰す――受けることに決めたけど。
 けど……
「……止めてほしい、のかな」
 公開されているだけの『霊廟』の情報。その中から重要であるものを芍薬がまとめた資料に目を通し、それを覚えたところで――ここでも、皮肉にもティディアとのイベントで鍛えられた短期記憶力が役に立っている――ニトロは、自分の言葉ながら不審気につぶやいた。
「暴走スル自分ヲ、カイ?」
 王女との決闘のための訓練プログラムに様々なシミュレートを組み込んでいた芍薬が、マスターの声を聞き、“現実”に復帰して応える。
 ニトロが芍薬とミリュウの目的について話すのは、このホテルに来てからこれが初めてのことだった。芍薬はニトロの、例えば『霊廟』の情報をまとめる等の要望には応えつつも、あえて敵の思惑に関する話題には触れてこなかったのだ。そのお陰でニトロの頭は十分に休まり、芍薬の美味しい食事で腹も満たされた。気力も十分に取り戻され、問題の根本解決へ諦めず挑もうとする心に動かされて彼は言う。
「『破滅神徒』、そしてあの言動。命懸けで戦うって――そりゃ俺もそんなに自分が強い! とは言わないけどさ、師匠の手前もあるし、あのバカを脇に置いておきながらミリュウ姫に負けてなんかいられない。ミリュウ姫だって自分の実力をちゃんと客観的に見ているはず。……負け戦だよ。それなのに、多分、俺は懇願されていた。敵が、あのミリュウ姫が、俺に戦ってくれって、そう願いこんできていた」
 芍薬はうなずく。その時マスターの心にあった衝撃は、ちゃんと知っている。
「けど、それが何で『ニトロ・ポルカトを排除する』に繋がるのかが解らない。でも、逆にどうしても排除したいからこそ……やっぱり彼女は優等生なんだろうと思う、それが悪いことだってちゃんと解ってもいるんだとも思う」
 ニトロには、期待を寄せている“観客”に関して抱いた自己嫌悪の記憶がある。もしミリュウが本当に自分と『同じ人』であるならば、彼女は、きっと自分がしていることの罪深さを理解している。
「もし『ニトロ・ポルカトを排除する』――本当にそれを実行したら、ミリュウ姫はティディアにとってどうしようもない汚点になるだろう? それは彼女にとって何よりの恐怖だと思うし、そうなったらきっと生きていられない」
「ダカラ、ソウナラナイヨウニ止メテ欲シイ?」
 ニトロはうなずく。瞼の裏には、ミリュウの『懇願』と『恐怖』の瞳がある。死の臭いのする微笑がある。
「あくまでどうしたって『お姉様のため』」
 ニトロは言った。
「『ニトロ・ポルカトを消し去る』には直接繋がらないけど、そう筋立てれば、一応そこにも関係を持たせながら彼女の一番の軸には話を繋げることはできる」
「デモ、ソレナラ初メカラソンナコトヲシナケレバイイトハ思ワナイカイ?」
「自分でもどうにもならない感情って、あると思うよ。それを振り払うためには……多分、何らかの形で決着をつけるしかないんじゃないかな」
「ソノタメニ主様ニ止メラレタイ? 叩キ潰サレルコトニナッタトシテモ?」
「一手段としてね。もちろん今回、何らかの形で俺に勝てたらそれはそれで一つの決着になったんだろうけど……どちらにしろ、エンドマークが打てなきゃ、気持ちが記述をミスったプログラムが無限ループするように堂々巡りしちゃうんだ」
「――ソリャ、ゾットシナイネェ」
 ニトロの表現に芍薬は引きつり笑いを浮かべるようにして言い、それから何かしら思うものがあったのか感慨深げに、
「決着ヲ付ケタイ……カ」
「まさに決闘だしね」
 言ってニトロは腕を組み、
「半信半疑だけど」
 と、付け加えた。それは、むしろそうとでも思わないとこっちも気持ちに決着が付かないと言う様子であった。
 すると、芍薬が口元に妙な笑みを浮かべた。
「ソレジャア有力ナ“情報源”ニ当タッテミルカイ?」
「有力な情報源?」
「サッキ、ハラキリ殿カラ連絡ガキテタンダ。客ヲ連レテ行ッテモイイカ?――トネ」
「客?」
 芍薬が答えたその名を聞いた時、ニトロは驚愕した。
 そして、芍薬との慎重な相談の後、彼は信じられない思いを抱きながらもハラキリに了解を返した。するとすぐに、ホテルのセキュリティを一瞬切ったタイミングで、ピピンが瞬間移動テレポーテーションをしてその客人と共にやってきた。

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