画面には、アンドロイドを腕に抱き、画面を見上げて佇むニトロ・ポルカトがいる。
 ニトロは……雨の中で佇む自分自身を、少し茫然として見つめていた。
 画面に映る自身を見る彼の瞳には、希望に満ちたミリュウの笑顔があり、周囲の囁きを聞く彼の耳には、願望を伝える彼女の声がこだましている。
(つまり――戦いたかっただけなのか? 俺と?)
 既に戦ってはいる。だが、彼女の示した正道は“直接”刃を交える戦いだ。王城でも殺意を隠さず『消し去りたい』とまで言っていたのだから、彼女に怨敵を自らの手で『粛清』したいという心があるのはむしろ自然だろう。
 だが、そのためにこんなことを?
 いや、だからこそこんなことを?
 もし『直接戦いたい』――今回の件の全てがそれを実現するためだったとしたならば、なるほど、ほぼその挑戦をこちらが受けざるを得ない現状を作り出したミリュウの深謀遠慮は素晴らしいと言わざるを得ない。例えば、突然『お前が気に入らないから決闘を申し込む』と言われても、もちろんこちらは取り合わなかっただろう。しかし今ならば取り合わないわけにはいかない。受け止めざるを得ない。追いつめていたつもりが、逆に追いつめられていたのかもしれない。
 ……が、よしんばそうだとしても、それなら何故、王城で会談した時に彼女は襲いかかってこなかったのか。二人きりだった、あの時。例え刃物は用意していなくても直接戦うことはできたはずなのに、彼女は色仕掛けこそすれど、その他の仕掛けは何一つ出してはこなかった。それとも追いつめられたからこその手段なのか? いいや、『烙印』と『聖痕』の関係性を考えればミリュウはどこまでも用意周到だ。追いつめられる前からこの選択は存在していたと考えなければならない。では、あの時戦いを挑んでこなかったのは……もしや、素手では駄目だったというのか? 素手では、拳では、彼女の非力さでは命のやり取りはできないから? だから我慢していたのか? だが……確かに、剣を用いるならば彼女の力でも男を殺せよう。殺せようが、それで相手にも剣を与えてしまえば――しかもこちらは『天才剣士』でもある痴女対策に実戦的な剣術も叩き込まれてきた人間だ。彼女が仮想世界ヴァーチャルトレーニングで一時名人級の動きを体得できようとも、それはこちらも同じ行為で対応可能であり、となれば筋力差・体格差がものを言う。また、そもそもあちらは名人級の動きを得ようとしたならば体が追いつかないだろうが、こちらにはとても優秀なトレーナーに理想的な環境で鍛えられた体力と様々な武闘術の基礎もある。こちらに死のリスクのあることは認めても、それでもまともにやり合えば彼女に勝機はない。
 それとも……もしかしたら、彼女はあの『映画』をなぞろうとしているのだろうか。仮にそうだとすると、それなら今度はあの時実力で劣る“ニトロ・ポルカト”が勝てたのはティディアの加減があったためということが無視できなくなる。そう、例え気迫で負けたとしても今回の『悪魔』は敗北を選ばない。殺されることを選ばない。それも彼女は解っているはずだ。なのに……それでも勝つつもりなのか? 勝てるつもりなのか? 平和主義者で人と争うことを好まぬ王女であったあなたが、あなたこそ生身の人間を前にして命を奪えるつもりなのか? それとも勝敗はどうでもいいのだろうか。ただ、純粋に
せめてお姉様のために命懸けで悪魔と戦いたい?)
 陶酔にも似た願望。あるいは、そうして分身アンドロイドではなく生身でも殉教の真似事をしたい?
(それが真の目的?)
 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナは、ニトロ・ポルカトと命を取り合う戦いを間違いなく望んでいる。
 そうだ。希望、恐怖、彼女が本当はどちらに傾いていようが、あの懇願だけは間違いなく彼女の本心からの呼びかけであった。
 彼女はようやくこちらの知りたがっていた本音を見せてくれていたのだ
 これだけは確かだ。
 彼女は強い意志を以て、心から戦いたがっている。相手の命を人質にしてまで。自分の命を人質にしてまで
 そして彼女は、直接戦うことでのみ得られる何かを強く強く望んでいる。
 そして……それは、本当に彼女が命を懸けるに値することなのだろうか。
「主様……」
 芍薬の声に、ニトロは我を思い出した。粘りつく『何故』の沼から足を引き上げるようにぎこちない笑みを浮かべ、
「大丈夫だよ」
 ふと気づけば、周囲には自分の『決断』を求める眼がある。その視線の――形も重さもないのに星と同等の重さを感じる眼差しを浴びながら、ニトロは息をついた。
 決断も何も、選択肢は二つに一つ……とはいえ、ミリュウが敷設した『レール』は、先にこちらが敷設したレールの上に溶接されたものだ。実質、選べる選択肢は一つしかない。その上、自分はミリュウの挑戦は全て受け、また全て叩き潰す覚悟を以てここまで進んできた。
 進むべき道は決まっている。
 明確な姿は未だ見せずとも、やっとその影をこちらの視界に現してきた彼女の本望を掴むためにも、虎穴だろうがどこにだろうが進むしかないことも解っている。
 だが。
 とはいえ。
 ああ、情けなくも、ここにきて全ての重圧が、一瞬乱れた心の隙間から体に食い込んできている。先ほどミリュウによって喚起され、芍薬によって散らされたはずの悪寒が未だしつこく内臓にしがみついている。
 自分は……今、多くの人に求められている理想像ほどに人間ができているわけではない。
 その思い。
 本当はこの地の救世主でないように、未来の王でもなく、強烈な搦め手を使ってきた相手の懐にひょいと飛び込む蛮勇えいゆうの気質を持つわけでもない。
 その想い。
 そも、多くの人が求めてきている理想像は、自分の求める理想の自分とは遠くかけ離れた虚像だ。いくら腹を括っても、どんなに覚悟を決めても、その事実が事実であるが故に持つ圧迫感は、自分にとって何よりも重い。
「……俺に割り振られたバカ姫は、一人だけだったはずなんだけどねぇ」

→6-9-hへ
←6-9-fへ

メニューへ