<わたしは、『ニトロ・ポルカト』を認めません>
 初めて、公の場で、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナがそう告白する姿を、ニトロは大広場を埋める喧騒の中で見つめていた。
 雨の中でも鮮明に画像を映す大型宙映画面ヒュージ・エア・モニターは、演壇に立つ奇怪ながら美麗でもある紋様を肌に刻む王女の顔色も鮮明に伝えている。
<何故ですか!>
 記者だろうか、思わずといったように、会見場にいる誰かが怒鳴るように問うている。
 画面に映る少女の目はそちらを見ない。青い『聖痕』を浮かべる不健康な蒼白い顔を動かしもせず、
<何故……?>
 その問い返しは無表情に行われ、無表情であるが故に異様な迫力を有し、問いかけた者も再度声を上げることはできない。ニトロの周りでは囁きが重なり合い、明らかに“異常”である王女の様子に戸惑っていた。
<きっと……お解りにならないのでしょうね>
 カメラを見つめたまま、ミリュウは言う。
(いや……)
 ニトロは悟った。彼女は、『俺』を見つめているんだ。
<『ニトロ・ポルカト』は、お姉様を苦しませます。涙を流させます。『ニトロ・ポルカト』は必ず――必ず!>
 一瞬、ミリュウの声が爆発する。突然の激昂に多くの者が肩をすくめる。
 ミリュウは息をついた。そしてまた平静に、
<あの『悪魔』は、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナの心を砕くでしょう。そして砕かれたお姉様のお心は、きっと、元には決して戻れない。その時、あなた方は、恐ろしい後悔と共に『悪魔』を信じた自己を責めるでしょう>
<……根拠は、あるのですか?>
 おずおずと、質問の声が飛ぶ。
<根拠?>
 ミリュウは微笑んだ。
 ニトロの周囲でざわめきが起こる。おそらく、音声は拾われていないが、定例会見場も動揺していることだろう。
 ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナの浮かべた微笑み――その恐ろしく不気味な微笑。
<根拠など、それが一体何なのです>
 胸の裏側を鋭い爪で撫でられたような怖気が、人の間に伝わっていた。
 その微笑は……その『死臭のする微笑』は、ある種、王家の誰のカリスマとも比肩するものであった。
 慈愛溢れる王・王妃、媚貌びぼう優れた長男、錆鉄を黄金に練り変える次男、冷たいほど美しい長女、天才・希代の王女・覇王の再来・明晰なる賢君――あらゆる礼賛と畏れを浴びる蠱惑のクレイジー・プリンセス、美少女よりも美少女らしい容貌に才気を秘める三男。
 その誰よりもずっと劣り、特に次女に比して語られる『劣り姫』……それが、今、その誰にも劣らぬ存在感を表している。先に彼女が西大陸で見せた威厳もこれに比べては“劣る”。演壇に立ち、『聖痕』を淡く輝かせる王女は――幽鬼――それを思わせる姿でそこにいる。
<これは――『破滅神徒』の予言。神より託されし宣告>
 ミリュウは言った。
 それは、もちろん、彼女が否定したように根拠などと言えるものではない。だが、それなのに、彼女に反論できる者は一人とてなかった。不気味な笑みの下、確固たる意志を覗かせる暗い瞳で一点を凝視する彼女はもはや別の世界を見る住人のようであり……『伝説のティディア・マニア』――死の世界から姉の手によって蘇った彼女の言葉は、まさに予言、拒み難い霊的な響きを伴って聞こえたのである。
 ニトロの傍で、唾を飲む音が聞こえた。
――<<呑ンデイルネ>>
 芍薬が言う。ニトロは抱きかかえているアンドロイドを見下ろすことなく、小さくうなずいた。『女神像VSニトロ&芍薬』の戦いが作った熱気はもはや完全に冷え切っている。今、“空気”を支配しているのは、彼女だ。
 彼女は大きく息を吸っている。
 吸い切ったところで、一度、どこか怯えたように肩を揺らし、それから眉をひそめるように眉頭を突き上げ、
<ニトロ・ポルカト>
 三白眼でカメラをめ上げ彼女は呼びかける。
 ニトロに視線が集まる。
 彼は顔を引き締め、画面を見つめていた。
<お前は素晴らしい>
 周囲が戸惑いに包まれる。
 ニトロ・ポルカトを認めないと言いながら、誉れを与える王女に皆が動揺している。
 だが、ニトロは動揺しない。彼女が、分裂した、しかし分裂していない感情――そういう複雑怪奇な心を抱えていることは既に理解している。
<お前の戦いぶりは、見事。もしお前が王となれば、平民出の王の中では最も勇敢な男となるでしょう。いいえ、初代様まで遡っても有数の武勇ある王として讃えられることでしょう。本当に……死ななかったのが、不思議でならない>
 その言葉が、直近の女神像との戦いを皆の記憶に呼び起こし、殺意を隠さぬ彼女への非難と、殺意を認めるほど本気である彼女への畏れが同時に沸き起こる。
<けれど、それでもそれは所詮機械を相手にしてのこと>
 カメラを睨め上げたまま、ミリュウは微笑む。
<最後の試練だ。お前は、人間を相手にしても同様に戦えるか? テロリストは身一つで襲いかかってくることもある。女子どもの姿をしている時もある。お前はそれからも妻を守る騎士としてあれるか?>
 幽かに震え、心胆寒からしめる声で彼女は言う。
<話は暴徒に限らない。
 王ともなれば人を切り捨てねばならない時がある。
 心優しいお前はそれに堪えられるか? 巻き添えを恐れ、少しの場外乱闘すら危惧していた心優しいお前が、自ら犠牲を作ることができるか? 犠牲を犠牲と思わず、突き進むことができるか? ああ、何度でも言おう。お前は素晴らしい。機転も利き、人を思い遣れ、信頼を勝ち取ることができ、人ならぬ者とも厚い絆を結べる――歴代でも人徳ある王となれよう。ニトロ・ポルカト、お前は優しい。お前の人徳もその優しさが支えている。だが! ニトロ・ポルカト、お前のその資質は、残念ながら王にとっては必ずしも必要とされない。それどころか時として善なるが故に政において厄介極まる障害となり、また、それ“だけ”を有する王は、時として君主として最も相応しくないとされるものだ>
 ミリュウの言葉は、アデムメデスに浸透する。
<八方美人の王が、優しいだけの女王が、結果として多数を不幸にしたことは歴史が証明している。他人の心を慮り、己を侮辱する者すら気遣うお前が、決してそうならないと言えるか? それとも、厳しい判断は、全て、『無敵の女王』に頼るか? そうしてお前だけは寛大な王として振舞うか? なるほど、傍に有能極まる人がいるならば、優しいだけの王が、八方美人の女王が、結果として賢君として讃えられることもあると歴史は証明している>
 その言葉は、周囲に与える影響とは別に、ニトロにだけ痛烈に響く意図を隠していた。
 ミリュウは言った。ティディアは、無敵ではなくなったのだと。それなのに、それでもティディアに――無敵の女王に頼るということがあれば、ミリュウの言葉の通りに王たるニトロはティディアを苦しめる存在となるだろう。
 それを彼女は、そもそもこちらが否定したはずの『恋人達の未来』を、否定されたことを解っていながらわざわざ強調までして語っている。
 それと同時に――ニトロは気づいていた――敵は、さすがにあのティディアの妹であった。
(『主導権』も取り返された)
――<<御意>>
 そう、ここにきて、『ショー』の性質にも変化が加えられていた。
 ミリュウは、もはや自身の『シナリオ』を半ば無視している。そうして無視した半ばを『妹姫の試練』というこちらの用意したシナリオで埋めながら、神官アリンの先の言葉を補強する以上のことを語っている。
 冷静にセリフのつながりを鑑みれば、アリンの立つ瀬はないだろう。
 だが、逆に、それだけに、ミリュウの言葉には力が備わっていた。何しろ彼女は――第二王位継承者は、つい先日、口先だけではなく、実際に民の苦しみを背負っていたのだ。優しく和やかで、争いごとを好まぬことで知られた少女が、王女として実際に背負って見せていたのだ! だからこそ、その言葉には悲愴なまでの説得力があった。
 本当に、見事だ。
 最後の試練の前振りには、彼女がただ妹としてではなく、『王』に属する者として確かめておかねばならないと主張するものが据えられている。そうすることで、これまでは“ミリュウという一個人、『伝説のティディア・マニア』が『姉を愛する妹として』課する試練”の意味合いが強かったものが、今や第一王位継承者を支える第二王位継承者が――さらに言えば、ティディアとニトロ、第一第二と序列はあるが、共同君主となる二人の子が生まれるまでは第一王位継承権を担うことになる王女が、ことさらに自らも背負うものの“重み”を説き、生来の一般市民である未来の王に対し純粋に『王』足りえるのかを問う試練ともなっている。
 ニトロの脳裏には、ふと、マードールに自覚させられた重圧が揺り戻しのように蘇っていた。――『実を言えばな、君がアデムメデスの王になろうがなるまいが……ここまでくれば正直それは関係ないのだよ』――そこにミリュウの影が圧しかかってくる。――『お前はそれに堪えられるか?』――場所も悪かった。今、周囲にいる観客達、期待を寄せてくるアデムメデスの国民達。その全員の体重までもが乗りかかってくるようで――と、ニトロの感じる吐き気が戦闘服の脳内信号シグナル転送装置を通じて芍薬に伝わったらしい。くっ、と、芍薬の手が腕を握り、ニトロの精神を重圧から守る。胃を突く悪寒が散らされる。
 芍薬に、またニトロは救われた。
 そして救われたニトロは考えずにはいられなかった。
 そこに独り立つ王女は……王家のA.I.に『普通の女の子』と評され、姉の執事には『自分ニトロと同類』と指摘され、また彼女自身も『貴方はわたしと同じ』と語っていたミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナは、このような重圧からどうやって心を守っているのだろう。慣れ、などとは言うまい。やはりティディアを支えにしているのだろうか。いや、大きな支えにしているはずだ。それを、もしや、俺に奪われたと思っているのだろうか。いいや、実際に、不本意ながらも『ニトロ・ポルカトが奪った』形には違いないのだろう。だから彼女は俺を恨んでいるのか? だとすれば恨まれることに納得はできずとも、恨む筋には理解もできるが。
「……」
 ミリュウは微笑み、真っ直ぐにこちらを見つめて、語りかけてくる。

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