シェルリントン・タワーの定例会見場では、多くの者が顔を強張らせていた。
演壇の後ろで決着をみた激闘への賞賛が口を突きそうになるのを堪える者。あるいは激闘に中てられ興奮している者。それから、あまりに危険な戦闘をニトロ・ポルカトへ仕掛けた――それが例え過酷な試練であったとしても――王女の非情への憤りのある者。
だが、まだ皆、懸命に口を閉ざしていた。
ミリュウ姫の退屈な報告はまだ続いている。
手元の資料と照会すればもう少しで終わるはずだ。
それまでは口を閉ざす。
質疑応答に入れば、質問攻めにする。
正直に言えば『試練』はもう十分だろう。これ以上彼の何を試すのか。今の戦いですら、王に、あの希代の王女に真に相応しいかどうかを試すという目的を鑑みてもやり過ぎている。あんなものを撃退できる、というのは
熱気と困惑を混ぜ合わせて凝縮させた沈黙の中、ミリュウは王家の近況について話している。
「ティディア王太子は予定通りクロノウォレスを発ち、明日のアデムメデス時間21:13にハンデンヴァス―イムン航路中継点にて国王、王妃と――」
ふと、ミリュウは口を止めた。
これまでぼそぼそとして力は無いが、一度も滞ることなく語っていたミリュウの様子に幾人かが眉根を寄せる。
ミリュウは、ふいに、痛烈な感傷を覚えていた。
(その頃には、わたしはどうなっているのかな?)
そしてお姉様は、この結末にどういうお顔をなさるのだろう。
「……」
ミリュウは壇上にありながら物思いに沈んでしまった心の弱さを振り払うように一度咳払いし、
「予定通りランデブーし、会食するでしょう。国王、王妃、王太子、皆健康に問題はなく、『我らが子ら』のため、誇らしく勤めを果たしています」
最後の言葉はほぼ定型文であった。そこに、
「本当に、誇らしく」
ぽつりと付け足し、ミリュウは一度言葉を止めた。
ここにきて初めてのアドリブにまた何人かが怪訝な顔をする。
「さて、私事ではありますが、執事のセイラ・ルッド・ヒューランを昨日付けで解雇いたしました」
会場が揺れた。
それは手元の資料にはない情報であった。
しかし、それは一体どうしたことであろうか。仲の良さで知られ、第二王位継承者を十年前から支え続けてきた女執事をここにきて、それもニトロ・ポルカトとの『ショー』の最中に解雇するとは……
「後任については未定です。速やかな選定の後、然るべき時期に発表いたします」
そしてミリュウは手元に目を落とし、また報告書を読み出す。
会見場はにわかにボルテージを上げつつあった。
残り五項目を読み終えれば、質疑応答の時間だ。
突如もたらされた新たな疑念はちょうど良い呼び水となり、
後、四項目。
初めに何を訊くべきか。初めに質問を許される者になるためにはどのようにアピールすればよいか。
三項目。
二項目。
そして、最後の項目に差しかかった時、ミリュウの背後のエア・モニターに変化があった。
これまでは音声が切られていたそこから、歌声が流れ出す。
ざわめく会場に流れる歌は賛美歌のようであった。明らかに現代語ではない言葉で、そう、あの女神像を讃える歌に似ている。
<女神様の像を打ち壊され、口惜しや、口惜しや>
賛美歌を背に『ミリュウ』の声が重なった。
皆の目が宙映画面から演壇に落ちる。演壇に立つミリュウ本人は事ここに至ってなお、報告書最後の項目を朗読していた。
<神徒様と多くの信徒の命が奪われた。プカマペ様は憤慨なさり、女神ティディア様は悲しみ涙を流された>
画面に映っていたスライレンドの王立公園の大広場、ニトロ・ポルカトと彼を讃える群集の景色が消え、代わってそこに現れたのは『ミリュウ』だった。その首にはペオニア・ラクティフローラを模した
アリンはどこか焦点の合わぬ目で言う。
<されど口惜しむことばかりなく、我らと志を共にする者らよ、讃えよ! 勇猛果敢であった神徒様は天上回帰のその間際に、奇跡を一つ、我らに遺されたもう>
会場では幾人かが外部と連絡を取っていた。そして知る。数分前、あらゆるテレビ局に『信じる者は指定のチャンネルから愛波動を受信し、伝え広めよ』と連絡があり、地上波・衛星・インターネットのほぼ全ての局が同じ映像を流していることを。
<女神様の像はその御命の最後の火を以てこの世とかの世を結びたもう。プカマペ様の憤激、女神様の憐憫が、神徒様の命が繋いだ奇跡の門を潜り抜け、我らのこの世に大いに満ちた。ついに時は来たれり。『破滅神徒』が目覚めけり>
跪き歌い祈り続ける三人の信徒を背に、アリンがイコンを両手で包み込む。
するとふいに祈りが止み、背を向けていた三人もカメラに向き直って頭を垂れる。
<
神官と信徒の声は、憎しみに満ちていた。明確な悪感情が聞く者の心をひっかき、この教団のこの祈りが内包していた真の意図――その危険性を、彼と戦乙女と女神像の戦いの直後、今更ながらに実感する。
<プルカマルペラ
プルカマルペロ
ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア――>
二巡目が終わった時、定例会見場に驚愕の声があった。
祈りの捧げられる宙映画面の下、教団のローブのフードに隠された王女の顔に、青白く光るものが現れていた。
<プルカマルペラ
プルカマルペロ
ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア――>
三度目の祈りの言葉が終わる、そして、王女ミリュウの顔から胸元にかけて現れた紋様もその姿をくっきりと現す。
<神と女神の祝福は『聖痕』として証を立てる>
会見場の様子は今も中継されている。
考えてみれば彼女が『神徒』となるのは不思議な話ではない――しかし、アデムメデスはそれでも驚きに包まれていた。
<最小にして最強の眷族を従え、『悪魔』を打ち倒すためこの世に目覚める>
ミリュウがフードを下ろす。
また驚きが声となる。
彼女は髪を短く切りそろえていた。背にまで届く自慢の……彼女の誇るあの姉姫に褒められるほどに美しい黒紫の髪をうなじで切り落とし、そうして首に巻きつく青いチョーカーが強調されるようにしていた。
<聖痕の聖者はその命を賭して、嗚呼、我らが栄光の世のために! 女神ティディア様の御心に再び神気を取り戻さんがために! 悪魔の穢れを祓うために! その命を賭して悪魔を地獄へ誘わん!>
ミリュウの『聖痕』は、首に巻きつく――違う、首と一体化したチョーカーを中心として上は額にまで、下は胸の谷間にまで表れていた。
それはニトロ・ポルカトの『烙印』とまるきり同じ色をしている。色は同じではあるが、悪魔の烙印が美しい花であったのに対し、聖者の聖痕は恐ろしい虎の模様にも似て……そう、古代の戦士が戦いの際に体に描いたと言われる化粧はきっとこのような形をしていたのだろう。そこに少しの繊細な絵心を加えたのが、この『聖痕』であるのだろう。
<ニトロ・ポルカトよ、悪魔よ、覚悟せよ! 『烙印』がお前を逃さない。お前の命は、聖者の清らかなる魂に触れ消え去るだろう。破滅するのだ! 悪魔よ! お前は、神徒様の尊き犠牲により、破滅するのだ!>
一瞬、定例会見場が完全に静まり返った。
神官の言葉には、看過できぬところがなかったか? 数人の聡き者が気づき、唖然として王女を見つめる。
<震えて待つが良い。死の時を。後悔し、悶え苦しむがよい、お前の女神様への汚らわしき侮辱を>
再び、歌声が流れ出す。
すると、ミリュウの『聖痕』が淡く輝く。
<プルカマルペラ
プルカマルペロ
ア・ヴィンガ・ウ・ウォルバル・ティディア
アー・ヴォンガ・ウ・ウォルバト・ティディア――>
最後に、アリンは唱えた。
そして、
<悪魔よ、どんなに足掻こうとも、最期の時だ>
ぶつりと映像が消え――代わってスライレンドの様子が戻ってくる。
スライレンドも、会見場と同じく、当惑・驚愕・困惑・疑念・焦燥――様々な感情が複雑に絡まりあっているのだろう、皆が皆
「…………ミリュウ様」
誰かが、演壇に佇む『破滅神徒』へ声をかけた。
皆が皆、彼女を凝視した。
聖痕を淡く輝かせ、ミリュウが大きく息を吸い、
「わたしは、『ニトロ・ポルカト』を認めません」