シェルリントン・タワーで毎月一度開かれる王家の定例会見。
今月の会見は様々な意味で特別であった。
普段はティディアという型破りな姫君が毎度愉快な会見を開いている。だが、今月は久しぶりに代理が立つ。代理自体は初めてのことではなく、以前、ティディアは火急の事案のために広報官に会見を任せたこともあるし、それどころか会場への道すがら拾った酔っ払いを演壇に立たせたこともある。それに比べて今回の代理は前から決まっていた緊迫感のある交代劇でもなく、人材も穏当に彼女の妹だ。ただし特別な意味合いとして、初めてこの定例会見にミリュウ姫が登場するというものがあった。
とはいえ……その『特別』に大した価値は無い。
笑い話にしかならないし、実際関係者の中には乾いた笑い話にする者もいたのだが、この会見への入場許可申請数は一週間前には定員の三分の一が空となる勢いであったものだ。
しかし、現金なものでここ数日において許可申請数は定数を軽く上回り、蓋を開けてみれば超満員である。
一週間での許可申請数の増加率は過去最高であり、申請総数は普段のティディアの会見へのものも上回るほど。
そして何より……『劣り姫の変』の真っ只中であるというタイミング。
結果、今月の会見は様々な意味で『特別』に値するものとなっていた。
会見場は暴走寸前の熱気に包まれている。
特別に定員の緩和を許されたために席の間は無いに等しく、一人の熱が四方の人間を温め、また四方の人間が一人を熱し、皆、空調の効いた部屋にありながら汗を流している。それでも、一人たりとて涼気を求めて場を離れようとする者はいない。皆々、飢えに飢えた目つきで獲物は今かまだかと待ち構えている。何しろ彼ら彼女らは非常に運良く申請が通った者達なのだ。その運に見合うものを欲し、欲するものの対岸にある『戦い』を各々手元の画面で観ながら、じっと待ち続けていた。
――会見は、予定通り8時に始まった。
王女が現れるはずのドアが開き、一斉にカメラが構えられる。全国放送のための生中継も始まり、およそ視聴者のほとんどが画面を“二分割”したことであろう。
会見場に報告者が現れる。
と、会場はフラッシュに包まれるより先に、どよめきに包まれた。
ドアの向こうから現れたのは、プカマペ教団のローブを着る一人の教徒であった。
体型から女性であることには間違いあるまい。
が、フードをとても深く被っているため、彼女が本当に皆の待ち人であるのかを確認できなかったのである。
しかも会場に入ってきた教徒は、視線が己に集中した瞬間、びくりと足を止めたのだ。
それはまるで初めて大勢の人間の前に立つ子どもが見せる怯えにも似て、そのため彼女が『本物』であるのかどうか――皆、戸惑ったのだ。
まばらにフラッシュが焚かれる中、教徒は少し背を丸めて演壇の前に進んだ。携えていた
「それでは、まず報告を」
その瞬間、今度こそ大量のフラッシュが焚かれ、演壇に立つ教徒が――ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが白い光に包まれた。
肩を震わせ、彼女は一瞬たじろぐ。
が、気を取り直したように肩を張り、フラッシュが鎮まるのを待つ。
やがてカメラが音を立てるのを止め、会場が静粛となる頃合を見計らい、ミリュウはうつむきがちに手元に目を落とすと、
「行政に関わる問題について。まず西大陸の――」
ぼつぼつとつぶやくように、報告書を読み上げ始めた。
会場がまたどよめく。
その声はマイクを通して誰の耳にもきちんと届くが、あまりにも自信が欠如し、あまりに力も無い。そこには、彼女が語るまさにその西大陸で、報告書を読み上げ続ける彼女自身が魅せたはずの堂々たる様が欠片もない。
もしや、そこにいるのは彼女と同じ体と声を持つ『信徒』ではないのか?
そんな憶測が囁きとなり、やがてざわめきとなる。
「私語はお慎みください」
ぼそりと、ミリュウが言った。
会場が静まる。
しかし、それは叱責されたためではなく、呆気に取られたためであった。
フードが作る影の中、ライトの光がぼんやりと浮かび上がらせる色褪せた唇が、小さく動いている。小さく動いて、ぼそぼそと、ただ報告書を読み上げていく――ミリュウがすることはそれだけだった。これなら報告書のデータを配布されるだけで構わない。そういった会見が続いていた。
質疑応答の時間までは誰も彼女に声をかけることはできない。その『ルール』が、やがて会場に集まった人間を苛立たせ始めた。
ミリュウ姫は自分が用意した教団の服装を着ながら、まるでそれが何の意味も持たないもののように振る舞い、あまつさえあまりにつまらない会見を開いている。
苛立ちが募った。
とはいえ、先のようにはざわめきはしない。ただし声を上げないだけである。退屈な報告書の朗読に飽き、気もそぞろとなり、身を揺らす人間の衣擦れの音がざわめきの代わりに不平を表明していた。
ミリュウはひたすら朗読を続けていく。
早く質疑応答の時間にならないか――その焦燥が会場の空気を澱ませていく。
それでもミリュウはひたすら読み上げ続けていく。参照くださいと示すだけでいい、グラフの数字をも細かく読み上げて。優秀ではない教師が何から何まで説明してしまうことがかえって生徒の理解を妨げていることに気づかないように。
この頃には、会場に集まった人間達は、運悪く抽選に通らず『外』でたむろしている同業者達を羨ましく感じ始めていた。同業者だけではない、スライレンドの光景を観ることのできている全ての人間を羨み始めていた。
退屈な会見の対岸で開かれている刺激的な戦い。
しばらくすると、会見場のそこかしこで、非礼にも王女を無視してその『映像』を盗み見る者が現れ始めた。それに気づいた者は無論いる。しかし誰も注意をしない。それどころか隣の手の中を覗き見ている始末である。
ミリュウが少しだけ顔を上げた。
ところどころでびくりと体を揺らす者があった。
が、ミリュウは何も言わず、顔を一方向へ向けた。視線を追うと、そこにはスーツを着た警備アンドロイドがいる。思えばいつも側にいる執事の姿が見えなかった。主人同様特に目立つこともないことで(逆に)知られた女執事の代わりとばかりにアンドロイドがミリュウに近づき、耳打ちを受け、うなずき定位置に戻る。
……と、
「おお」
会場にため息が漏れた。
ミリュウの背後、彼女を越して見上げる位置に大きな
獲物を捕らえそこなった石像の踵が雨に濡れた地面をえぐる。勢い余り体勢を崩し――そこに、紅の衣を翻し、芍薬が飛び込んできた。女神像の美しく豊かに盛り上げられた乳房の間、人で言う壇中という急所に掌打を打ち込む。芍薬の掌は超高速で振動しているらしい、石像の胸部全体に蜘蛛の巣のようなヒビが入る。……が、砕くことまではできなかった。己を捕まえようとしてきた女神像の手を振り払い、芍薬が後退する。
「おおお」
会場に感嘆の息が漏れた。直後、芍薬に向けて女神像の指先から榴弾が放たれ、それと同時に芍薬が
「続けます」
ニトロ・ポルカトとその戦乙女がプカマペ教団のおそらく最大戦力と戦い続ける光景を背にして、ミリュウが報告を再開した。
相変わらずぼそぼそとした喋りであったが、“粋な計らい”をしてくれた『主催者』に苛立つ者はもういない。耳ではミリュウの声を聞きながら、会場の目の全ては彼女の背後に釘付けとなっている。
だから――その時、誰も気づけなかった。演壇に立つ王女が、ローブの下で、色褪せた唇でかすかに笑みを刻んでいたことに。
誰も聞かぬ報告を続けながら、ミリュウは思う。
皆の反応は自然なことだ。
それが当たり前で、むしろそうでなければおかしいことだ。
何故なら、スライレンドのその光景……その戦いは、観る者の心を痛くなるほど掴んで離さぬ激闘であり、また、あるいはその戦いは、この『ショー』を語るのであれば絶対にリアルタイムで見届けなければならない――そういう死闘であったのだから。