クロノウォレスでの公務を終え、クロノウォレス国民の盛大な見送りを受けて次の目的地へ出立したティディアは、星間航空機スターシップの部屋で甘く作らせたミルクティーを飲んでいた。
 アデムメデスからの往路とは違い、この船にはもう随行者はいない。クロノウォレス政府の招待を受けた随行者達はあと二週間かの国に留まり、その後に先方がアデムメデスまで送り届けてくれる。
(さて……)
 その二週間後に帰星する彼・彼女らは、その時、一体どのようなアデムメデスを見ることになるであろうか。
 ティディアの手にはヴィタが寝る間も休む間も惜しみ嬉々として作った『レポート』がある。また彼女の前には宙映画面エア・モニターがあり、そこには星間通信が届けるアデムメデスの様子がある。時差を生じて届けられる映像は、日没を迎えた地域の各地で開かれている教団の祈りを伝えている。それがまた、その祈りの意味が、その意義が、ニトロに完全に変質させられてしまったことを彼女に報せている。
 ――本当に、彼は大きくなった。
 私以外の人間を、それも個々人のみならず数え切れない人数を相手にしても彼はその魅力をいかんなく発揮している。感嘆すべき成長の結実を堂々と美しく描き、彼の軌跡を知るこの胸をときめかせてくれる。複雑に
 そして、
「――芍薬ちゃんたら、またとんでもない体を手に入れたのねー」
「相当な技術者の手による物のようです。ハラキリ様経由の他はありませんから、ひょっとしたら神技の民ドワーフの手による物、だとしたら完品をあれほどおおっぴらにはしないでしょうから……あの『戦闘服』と同じく試供品といった物かもしれません」
 ティディアに応え、彼女の背後に立つヴィタが珍しく饒舌に言う。さらに、
「しかしいくらボディのスペックが良くても、操縦するA.I.が悪ければどうしようもありません。芍薬様の実力は知っていましたが、今回私はその評価がまだ低かったことを思い知らされました。特に『クノゥイチニンポー』という演出がいい! あれはまさに必殺技です、燃えてしまいます、私は雷蜘蛛というのが気に入りました、おぞましくも美しく蜘蛛の足のように広がる雷撃の術、見応えもあります、また声に出すことでフェイントにもなる、実際に実戦中に一度言うだけ言って何もしないということがありました、しかも横からニトロ様が『直殴り!』と引き継ぐ洒落た連携、ハッタリを平然と利かせる度胸もさることながらそれをされては考慮すべきパターンが膨大に増えてしまって対応に苦慮します、虚実双方でバランスも良い、地球ちたま日本にちほんの話はヘンテコなものが多かったものですがこれは実に実用的で格好のよろしいものですね、既に子ども達が真似をしています」
 ヴィタが非常に活き活きとして早口に言う。
 ティディアは、星間通信が伝える賑やかなアデムメデスを見る執事の瞳が――その涼やかなマリンブルーの瞳が赤く変色してしまうんじゃないかというほど熱を帯びていることを見ずとも容易に想像できて、思わず笑ってしまった。
「何か?」
「言うまでもなく、楽しそうね」
「楽しいどころではありません。私はティディア様の執事になって良かったと心の底から思っています。そうでなければ、この『ショー』を本物の緊張感と意味を含めて観ることはできませんでしたから」
「そう言ってもらえると、雇い主としては光栄ねー」
 実にヴィタらしい応えにティディアはくつくつと喉を鳴らし、
「ニトロはどう?」
「ニトロ様も実に素晴らしい。確かにニトロ様はあの戦闘服の助けを大いに借りています。しかし、いくら服がよかろうと中身が伴わねばただ立派な木偶人形にすぎません、が、ニトロ様には素晴らしい説得力があります。ニトロ・ポルカトだから実現可能なのだと。ニトロ・ポルカトだから実現可能なことを実際にやってみせているのだと。私は一人の人間の努力が実を結ぶ光景を見られてとても幸福です。とはいえこれは私の立場だからこそ言えることです。客観的に立って評するならば、何より、戦闘服やナイフなどの装備の優秀さがかすむほどに、ニトロ・ポルカトとその戦乙女の連携が素晴らしいことを挙げなくてはならないでしょう。お二人のコンビネーションは芸術的です。これほどに息の合ったコンビネーションはこの二人にしかできない、そう観客に確信させます。
 そして純粋に――
 強い、と」
「強さ、も、王の資質に求められるものね」
「はい。勇敢さ、決断力、判断力、現状認識力なども含め、今後、ニトロ様をこの点から貶めることは誰にもできないでしょう。もしそれをすれば、その者の認識力が疑われるだけです」
「それじゃあ」
 レポートの一文を――ニトロへの賞賛のコメントの抜粋を目に止め、ヴィタの熱の入りっぷりと共に反芻し、ティディアは頬に熱を覚えながら微笑む。まだ見ぬ彼の雄姿をまとめた映像へ想像を巡らせながら、
「本当に受けているのね」
「とても好意的で、時に熱狂的です。普段が温厚な方ですから、ギャップも手伝っているのでしょう。実際、ニトロ様は、戦闘の中にあっても『ニトロ・ポルカト』として様になっていますから」
「ヴィタも惚れちゃいそうなくらい?」
 ティディアは少しの冗談を示したのだが、
「ティディア様が惚れ直しそうなくらいに」
 逆に手酷く返され、唇を尖らせる。
「やー……ニトロが今、私のことをどう思っているかぐらい解っているくせに」
「ティディア様の煩悶を観られる唯一の観客――という意味でも、私は執事になれて本当に良かった」
「……いけずねぇ」
 涼やかな容姿を持つヴィタの涼しげな声にティディアは苦く笑い、目を落とした。そこには妹に関する各種の報告がある。彼女は特に子細に作らせたその部分を普段よりずっと遅い速度で黙読し、眉間を緊張の色で染め、もう一度――今度はニトロに『どうかしてる』と言われた普段の速度で読み返す。
 ふいに、エア・モニターの映像が切り替わった。手元では何の操作もしていない。それはこのチャンネルの配信元がカメラを切り替えたためであった。
 目を上げて見てみれば、スライレンドで、戦闘が始まっていた。
 ヴィタが吐息を漏らし、
「失礼いたします」
 と、若干気もそぞろな心地を声に表しながら、ティディアの髪を手にした櫛で梳き始める。
「……」
 ティディアは髪を梳かれながら、唇を引き結んでいた。
 心に深い爪痕を残す失態の地の片翼……あの『赤と青の魔女』が暴れ回った土地。
 そこで、再び彼は、戦っていた。
 ティディアの胸が締めつけられる。
「……」
 これは『ショー』だ。
 だが、断じて、これは『ショー』などではない。
 なのに全ては『ショー』として成立している。――ニトロが、そう成立させてみせている
「……ミリュウの完敗ね」
「今のところは」
「帰るまでに持ちそうもない」
「はい、今のところは」
 何かを期待しているようなヴィタの口振りに困ったように笑い、ティディアは彼女の手が止まったところでミルクティーを飲み干し、そして空のカップと共にレポートを収めた板晶画面ボードスクリーンを脇の小卓に置いた。
 カップとレポート、それらを載せた小卓ごと側に控えていたアンドロイドが運び去っていく。それに合わせて本格的に髪を整え始めた執事に、ティディアは確認した。
「航行はスケジュール通りに?」
 ティディアを乗せる船は、順調に進んでいる。もう少しすれば光を追い越し出して、そうなれば星間通信も一時途絶える。
 ヴィタは主人の髪をまとめながら、少し勿体無さそうに、
「予定通りです」
 ティディアはニトロと芍薬の手により『妹』の一体が倒されていくのを傍目に、深く息を吐いた。覚悟は、決めている。どんな結末が待っていようと受け入れる。足掻かないことが私の『罰』だ。どんな最悪な結末が訪れようと誰を責めることもない。全ては私が背負う。ただ、彼が、あの人が、私がそれを背負うことを許してくれるのならだけど……
 ――ティディアは、大きく息を吸った。
 そして、言葉を待つように手を止めている執事へ、うなずきを返す。
「よろしい」

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