資料から推測した以上に、芍薬は戦闘に長けている。
その上、実戦派とでも言うのだろうか、ニトロ・ポルカトも一度戦闘となれば練習時以上のパフォーマンスを発揮する。退いたと見せたニトロ・ポルカトは、退いたのではない。素早く、速やかにベストポジションに移っただけだ。そこで彼は振りかぶり、折られたナイフを渾身の力で投げつけていた。その先には、劣勢の中、機を見て芍薬が“強風の扇”を振るい押し込んだ炎の獅子がいた。とはいえ獅子に実体はなく、ナイフの柄は当然のように獅子の体内を素通りする。素通りし、獅子を挟んで射線上にいた獅子と狼の使い手に猛然と向かう――が、使い手の信徒はこともなげに投げつけられたナイフを掴み取った。無論、こんな手は利かぬという挑発を込めて――それが失敗だった。
<カトン・オニビ!>
芍薬の声が響く。
と、同時に、信徒の手にあるナイフが……いや、そこに括りつけられていた物が弾け、轟音と共に凄まじい火球が生まれた。信徒に逃れる術はない。火に飲まれた信徒は声を発する間もなく崩れ落ち、燃えながら体を地に横たえた。赤い炎が信徒を焼いていき、それが、やがて青白い炎に取って代わられる。
その間にもニトロ・ポルカトは新たに伸縮式の警棒を携え、舞台を縦横無尽に動いていた。彼の動きは無駄のように見えても決して一つの無駄もない。俯瞰で見れば、『彼という要素』が“戦場の形態”を決定付けていることが分かるであろう。自ら攻撃を加えながら敵を引きつけ、あるは押し込み、そのマスターに合わせて動く芍薬が、敵勢を殺ぎ、小戦力である雀蜂と戦雛をうまく使いながら多対二を二対二――さらには一対二とまで数的優位の状況を作り出していることにも気づけるだろう。
パトネトは、信徒に積んだ思考ルーチンの特性を誰より知っているからこそ、完全に先が見えていた。
信徒は、動き回るニトロ・ポルカトを追わざるを得ない。無視すればナイフが迫るということもあるが、そもそも戦闘用プログラムと並走している思考ルーチン――ニトロ・ポルカトへの戦闘指揮を全面的に任された以降も、取り外しては意味がなくなってしまうため現在も『信徒』の基幹として用いている『姉の意思』――それが、どうしてもニトロ・ポルカトを無視するという選択肢を取れないのだ。芍薬は優秀だ。既に、それも完璧に見抜かれている。この後も信徒達は芍薬の思い通りに動かされ、雀蜂に、戦雛に、そして芍薬とニトロ・ポルカトの手にかかり――炎の獅子と電光の狼が素晴らしい連携で同時に屠られた……次々と倒れていくだろう。
「……」
パトネトは二人の女性を見た。彼の目に映るのは、半人半馬の一人が腕を落とされている様を無感動に見つめる姉と、姉の姿をした“機械”が壊される度に泣きそうになっている心優しい執事。
「順調だよ」
パトネトは言った。
突然の発言、それも自戦力が削られた直後のセリフにセイラが戸惑う。ミリュウは感情の動きを表さない――いや、たった一つの感情だけ見せて、他の感情を見せてくれない。
「輸送も完了した。『破滅神徒』のプログラムも、調整完了」
トン、とモバイルのキーを押す。するとミリュウの体に一瞬変化があった。セイラはパトネトを見ていたため気づけなかったが、ミリュウ自身は、
「綺麗ね」
パトネトの言葉を受け、鏡に向き直って“それ”を確認し、うっとりとしてつぶやいた。
「?」
セイラが振り返った時には、ミリュウの変化は消えていた。
「何が、でしょう?」
と、セイラが事態を掴めず、しかし次第に嫌な予感に胸を掻き毟られながら問う。
「……」
ミリュウは鏡越しにセイラの不安を見ながらも、口を閉ざしていた。
『最後の手』は――セイラはひどく心配したに決まっているから――反対したに決まっているから――いいえ、セイラだけでなくてパトネトにも……言っていない。
鏡にはセイラの、答えのないことにさらに不安を募らせる顔がある。ミリュウはそれをぼんやりと眺めながら、
「フレア、サイトを」
要請に、今は部屋付きのA.I.として振舞っているフレアが応え、エア・モニターの数を一つ増やしてそれを鏡の横に表示した。画面に映されたのはプカマペ教団のサイトであり、動画配信のページだった。
「これは」
セイラが思わずつぶやく。
動画ページには、今、たった一つの映像しかない。いつもは中継されていた各地の祈りの様子も、現在進行形の――雀蜂に追われた半人半馬の一人がニトロ・ポルカトと戦雛らの刃にかかって屠られている――戦闘も配信されていない。
そのページにあるのは、鼓動を打つ、一体の石像であった。
これまで闇に隠されていた像は今、ライトに照らされ、大理石であろうか、真っ白な体を神々しく輝かせている。裸身をワンピース型の羅衣で包んでいる姿は、古代の神像に倣ったデザインであるのだろう。
「ティディア様?」
セイラの言葉通り、石像は『女神』を模して作られたものであった。だが、顔はない。それでも耳や頭部の作りに髪型、胸下まで届く深い襟ぐりから覗く乳房の形や腰つきといった体のラインだけでそれがティディアだと伝わってくる造形美を持つ像であった。
それほどの美術的技量のある像なのに、どうして顔がないのか――セイラが疑問に思っていると、映像の下部に字幕が流れ出した。スライレンドで捧げられていた賛美歌のような祈りが一巡し、再び初めから謳われ出している。どうやら字幕はスライレンドの祈りの文言を訳したものであるらしい。曰く『誰にもその尊顔は描けない。その尊顔は、女神がこの世に光臨せしその時にのみ見ることの叶う。女神を信じ、悪魔を滅し、大いなる時を迎えた者だけがその目に光を浴びることの叶う』
神像は、震えていた。
涙を流すように震えていた。
その背に美しい翼が現れる。石の身でありながら、映像で見るだけでもその柔らかさを知ることのできる大白鳥の翼。
「綺麗です」
セイラは我知らず、言っていた。
パトネト王子が精魂込めて作り上げたそれは、姉への愛情が迸っているかのように、本当に美しい。
やがて神像が動き出し、突然、飛翔した。
<――――――!!!>
スライレンドの映像を映すエア・モニターから、音割れを起こすほどの大音声が轟いた。
驚き、セイラがそちらを見ると、半人半馬のもう一人が芍薬により胸を貫かれ、祈る五人の盾となっていた信徒の片割れがニトロ・ポルカトにアキレス腱を断たれて転び、そこに二体の戦雛が襲いかかる――その背後では、どういうことだろうか、傷を受けたわけでもないのに祈る五人から淡く青白い炎が立ち昇り始めていて……違う、そんなことで皆が驚いているわけではない。
ニトロ・ポルカトと芍薬も驚いたように上空を見つめている。
カメラが動き、それを捉える。
「ああ」
セイラは驚きの声を上げた。
サイトの画面から飛び去った女神像が、そこに浮かんでいた。
身の丈は5mほどであろうか。大きな翼をはためかせ、白い石の肌を持つ顔の無い女神の偶像が光臨する。雨粒を彗星の尾のように輝かせながら、地に降り立つ。
戦闘部隊の中で唯一生き残っていた神水の信徒も膝を突き、祈り出した。その体には雀蜂の群がまとわりついていて、その信徒もまた青白い炎を帯び、まるでその炎で雀蜂どもを道連れにしようと燃え出している。
祈りの声が一段高くなった。
ニトロ・ポルカトは唖然として、口を開けている。
女神像は拳を振り上げていた。その間合いは、ニトロ・ポルカト、芍薬、どちらも捉えられる位置にある。慌ててニトロ・ポルカトと芍薬が後退した。すると女神が急に向きを変えて拳を振り下ろし――さらに拳のその指の付け根からそれぞれ腕が五本現れ拳を握り! そうして狙われた戦雛の男性型が、流石に巨大な拳と五つのサポート拳からは逃げ切れずに潰される。
<シーーーン・ばーーーーつ!>
女神像が叫んだ。まるでミリュウとティディアと無数の金切り声を混ぜ合わせたような音を、口のない女神像は全身から発するようにして大気を揺らした。
そして翼を一度はためかせ、わずかに宙に浮き、
<しーーーん・ヴァーーーーツ!!>
ニトロ・ポルカトに襲いかかる!
「けっこう、いい勝負ができると思うよ」
どのような素材を用いているのか、石としか見えないのに瞬時に軟化した髪を逆立て、その髪先からレーザーを撃つ女神像の一から十までを作り上げた王子――齢7にして恐ろしい才能を開花させるパトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナが自慢げに言う。
セイラは圧倒され、いつになく力強い王子の声に目を引かれ……と、そこで彼が手に非常に薄く作られた、簡素なベルトタイプの青い
「それは?」
セイラに問われたパトネトは椅子から降り、
「最後の演出」
と笑顔で言ったところで、ふと笑顔を消し、怪訝そうに眉根を寄せた。
「……お姉ちゃん」
セイラはパトネトの目を見、悪寒を感じて慌てて振り向いた。
「それ、何?」
パトネトに問われたミリュウは、いつの間にか、弟の持つものと同じチョーカーを手にしていた。
セイラは、恐ろしい予感がしてならず、パトネトの問いに続け、パトネトすら知らない物の存在への問いを投げかけた。
「ミリュウ様、それは!?」
思いがけず、セイラの声は悲鳴となっていた。
ミリュウは既に邪魔にならないよう髪をまとめていて、セイラの問いに答えるより早く、また彼女の執事がそれを止めようとする間もなく、青い――あのニトロ・ポルカトの左手に刻まれた紋様と同じ色のチョーカーを着け終えた。
セイラの心臓が、何故だろう! 最悪の光景を見たとばかりに止まりそうになる。
鏡を見る王女は、よく見れば喉に当たる部分に花の印があるチョーカーが似合うかどうかを確認するようにしながら、ようやくセイラの問いに答えた。
「最後の演出よ」
セイラは、鏡に映る主の笑顔を見て、凍りついていた。鏡に映る自分の顔は蒼白となっている。
「パトネト様!」
彼女は王子に振り返った。