『劣り姫の変』三日目から四日目へと日を跨ぐ間も、跨いだ後も、アデムメデスは再びケルゲ公園駅前を端とした“物語の転換”について騒ぎ続けていた。
 ニトロ・ポルカトの行動。自らの身に危険がありながら他者に気を遣い、巻き添えを避けようとする人格。味方に際しても敵に際しても威風堂々とした言動。また、彼と彼のA.I.とが信徒と繰り広げた戦闘――それらへの評価、批評、評論、賞賛と興奮。
 中でもニトロ・ポルカトの言葉は皆の琴線を激しく震わせていた。彼が語ったこと、彼が暴露したミリュウ姫の意図、それらは本当に真であるのか。それともどこまでが真であるのか。取り立ててその点に議論は集中していた。
 そして議論が白熱する中、誰もがミリュウ姫のコメントを待っていた。
 しかし、初日と二日目にニトロ・ポルカトが沈黙を守ったように、ミリュウ姫はいつまで経っても何も言葉を発さなかった。ニトロ・ポルカトとの『会談』を認めるコメントすら出さずにいた。
 それに対する苛立ちは意外にも少なく、逆に、コメントが出されないが故にアデムメデスは大いに盛り上がった。
 かえって少ない材料しかないことが人を刺激することもあるのだ。
 少ない情報を元に、様々な人が実に様々な論説を展開していた。あるいは手の中にある材料を深く研究した。そもそもニトロ・ポルカトの言う『会談』は本当に行われたのか、行われたとして空港で姿を消したニトロ・ポルカトが王城にどうやって行ったのか。また王城に行ったとしても、どこから入ったのか。何しろ王城の周りにはずっと多くの人がいたのである。あの『映画』のようにこっそりと湖を泳いで辿り着いたのだろうか。
 あるテレビ局は有名な格闘家や評論家を解説に据え、ニトロ・ポルカトの身体能力について語った。彼の強さは本物なのか、はたまた全て演出されていたのか。演出されていたにしても、それを実行するだけの能力はどれほどのものか。
 ある分野のコミュニティでは芍薬(とそのアンドロイド)や両陣営が戦闘中に用いていた機械についての議論がされていた。炎の獅子のタネ明かしを試みる者。芍薬が帯の中から引き抜いた細長い金属板が次の瞬間には長剣の形を取った映像を使用してその仕組みの解説動画を作成する者。さらにそこへ技術的なツッコミを加える者。風変わりなところではニトロ・ポルカトが投げつけられた卵を割らずに受け取った際の動作を分析した物理学者がおり、彼はそこに描き出される実に美しい力の流れに惜しみない賞賛を与えていた。
 多種多様な楽しみ方が、多種多様の広がりをみせていた。
 その中で、一つ、次第に最も多くの関心が寄せられた話題があった。
 ――実際に『会談』が行われたとして……そうであれば、今後行われる全てのことに既にシナリオが立てられているのではないか?
 その疑惑は当然のことであった。
 しかし、それを否定する大きな勢力が存在した。
 ケルゲ公園駅前で、ニトロ・ポルカトと信徒らの対決を直接見た者達である。
 彼、彼女らは各メディアでほとんど口を揃えて証言していた。曰く『ニトロ・ポルカトがシナリオをなぞっているだけとは到底思えない』
 ドーブが主催する『ティディア&ニトロ親衛隊』のサイトにはまたもアクセスが殺到し、彼らは自らが得た栄光を知らせると共に、ニトロ・ポルカトの怖さも伝えた。
 一方でニトロ・ポルカトを侮辱する人形ひとがたを用意していた集団の数人が完全敗北を自サイトで告白し、やはりニトロ・ポルカトの怖さを伝えた。
 最初から最後まで傍観者を決め込んでいた者の多くは、心に刻まれたニトロ・ポルカトの存在感と共に、必然のごとく彼の怖さを伝えた。
 それだけ彼の迫力は実際に目にし肌に触れた皆の心に染みついていたのだ。また、心に染みついたからこそ、その場にいた者は強く確信していたのである。
 彼は本気であり、それは、彼女が本気だからだ
 実際、信徒の攻撃には明らかな殺意が感じられた。感じるだけでなく、様々な検証が、信徒の攻撃に殺意の有りしを肯定する結論に至っていた。もしニトロ・ポルカトが少しでもミスをすれば? すなわち彼は死んでいたであろう。ミスと成功の間にある遊びはシナリオの存在を許さぬほどに皆無だ。なおかつ、まるで『クレイジー・プリンセス』のようなあのノリが、あの滑稽を含む態度が、かえって「本当にそうなっても構わない」という狂的な意志を漂わせている。
 特に目撃者達の証言には絶大な影響力があり、検証の支えもあってケルゲ公園駅前での戦闘がヤラセであったかどうかの論議はそのピークを長くは保てず、やおら下火となった。『ティディア・マニア』の中には激しくニトロ・ポルカトの虚栄を弾劾し続ける者もいたが、しかし、それもまもなく全く意味がない行為となり果てた。何故なら、議論が下火となってからしばらくして、ヤラセだとか、シナリオだとか、そういったことはもうどうでもよいという流れが生まれたからだ。
 ニトロ・ポルカトは本気でミリュウ姫を相手にすると言った。
 その上で彼は、言葉通りに、本気で、素晴らしい『ショー』を見せてくれた。
 そこにシナリオがあろうがなかろうが、ミリュウ姫が始めた祭が盛り上がるのであれば問題はない。ニトロ・ポルカトはこれからもきっと素晴らしい『ショー』を見せてくれる。
 さあ、これから彼はどのようにミリュウ姫の攻撃を撃退していくのか。
 これから彼はどのようにミリュウ姫の試練を克服していくのか。
 どういう手段を使ったのか、ケルゲ公園駅前から去ったニトロ・ポルカトはマスメディアを先頭とする大追跡団を巧みにまき、再び姿を消した。次に彼はどこに現れるというのか。また彼はどの場面で追跡者達を振り切ったのか。予想の時間だ、検討の時間だ、分析と持論を発表する時間だ! 我々は、今、実に楽しんでいる!
 アデムメデスの熱はやまない。
 朝を迎えた地域も、夜を迎えた地域も、囁き合う口は閉じない。
 彼は、ニトロ・ポルカトは――話題の中心には、どこにおいても『ニトロ・ポルカト』があり続けた。
 そして、気がつけば、意識的にしろ無意識的にしろ、いつしかほとんどの者が今後の話の上で『劣り姫』――ミリュウの敗北を前提にしていた。
 これから彼はどのようにミリュウ姫の攻撃を撃退していくのか
 これから彼はどのようにミリュウ姫の試練を克服していくのか
 そう。
 祭にはある種の犠牲が必要なのである
 犠牲いけにえを捧げる祭壇を見上げれば――皮肉なことに!――今や祭を主催した本人が横たえられていたのである。
 折しもクロノウォレス星から、盛大に開かれたパーティーで次期女王がどれほど輝いていたことかを伝えるニュースが届いていた。
 かの国で、参加予定であった行事の全てを終え、それらそれぞれでどれほど第一王位継承者が誇らしく行動していたかを伝える特別番組も流れていた。
 ティディアとニトロ。
 聡明で慈愛に溢れた希代の王女。
 温和で優しいだけではない次期王候補者。
 恐ろしいクレイジー・プリンセスと、クレイジー・プリンセスを抑止できる勇敢な戦士
 輝かしい太陽にアデムメデスは歓喜し、月は、もはや雲に隠されていた。

→6-8-cへ
←6-8-aへ

メニューへ