――<<主様!>>
ニトロは芍薬の操作に体を任せ、獅子に突っ込んだ。一点に集中して取りついてきた小型機械の発する電熱が、流石に戦闘服の耐熱能力を超えて肌に届いてくる。しかし、それが肌を焼く前に“芍薬の操作するニトロ”は速やかに核を潰した。炎の獅子が霧散し、同時に小型機械も地に落ちる。
そして彼は信徒へ向き直り、
「フン!」
すると信徒はサイドチェストにポーズを決めて、それはまさかのスタンディングスタートの代用姿勢!? 観衆の目が信徒に奪われる。その目は丸くなっているのか点になっているのか。注目を浴び、これ見よがしに大胸筋を膨張させた名乗らずの信徒が鋭くハッと息を吐く。尋常ならざる速筋が爆発する!
「ッダーーーーーイ!」
石畳を踏み割り轟然と迫り来る敵の肉体を目に、ニトロは――芍薬の許可の裏で――思い出していた。
彼女の筋肉は、見事である。
実に黒光り、実にぴっくぴくと躍動するマッスルである。
そう、それはようするに、まるで『天使』を使った自分だった。
ちょっと違うのは顔がまるきり『
変身中に引き裂かれたローブは当然用をなさない。ボロ切れとなって地に散らばる。下に伸縮性のタイツを着込んでいたらしく大事には至っていないが、ただしピッチピチである。ピッチピチではあるがゴッツゴツである。その肉体、まーさーしーく・ダイナマイッ! 筋肉の繋ぎ目がキレてます。肉の起伏が作る陰影の素晴らしさ! ナイスバルク! 先の二人は不完全版であったために単なるドーピング程度に思っていたが、そうか、神水は『天使』の模倣だったのか。納得である。
「主様!」
最後の炎の獅子を消し去った芍薬が、物憂げに突っ立っているマスターに叫ぶ。
この場において芍薬が初めて声を表に出した――その内容が、ひどくニトロの危機を知らせるものであったため、場が慄きと緊張によって硬直した。
信徒が迫る。
ニトロは構えた。
「ン・ダーーーーーーーイ!!」
信徒の駆け込み様のアッパーカットが、成人男性の頭部を上回る大きさにまで膨れ上がった拳が、地を削り、そこからニトロの喉元をめがけて振り上げられる。
鈍い音がした。
ニトロの体が吹き飛ぶ。
大きく弧を描いて高く宙に舞う。
悲鳴が轟き、それに応えるように、やおら緩慢に体勢を整え彼は辛うじて着地した。
着地は綺麗にはいかなかったが、彼はすぐに立ち上がった。
それから覆面機能を解除して顔を表す。
安堵の吐息が周囲に漏れた。彼はしっかりと防御していたのだ。刹那に信徒の巨大な拳の間に両腕を挟みこみ、自ら後方に跳んでいたのだ。ここでは芍薬の修正は一切受けていない。自らの力だ。ただそのために思った以上に跳んでしまって体勢も崩れて格好悪く着地してしまい、また、戦闘服の衝撃吸収力を以ても威力を殺しきれず、間違いなく内出血を起こしているであろう(同時に体内に仕込んでおいた止血用の
とはいえ揺れは直に消える程度だ。それに重要なのは『外面』だけである。
ニトロは無傷である証を、敵に見せつけるように示していた。
そしてそれを見せつけられる敵は――無傷の彼とは逆に、肩に飛び乗ってきた芍薬に細い長剣を鎖骨の隙間から胴体内へと深々と突き刺され、目を見開き、唇を震わせ、愕然として敵を見つめていた。
芍薬が剣を引き抜きながら、信徒の背を蹴り地に降りる。
信徒はよろめき膝を突いた。
――周囲は止めの刻を前にして、ざわめいていた。
「……真似るなら、いっそ『本望』を曝け出すところまで真似てほしかったな」
小さくつぶやいたニトロの言葉を聞いたのか――聞いたところで理解はできまいが、
既視感があった。
そうだ、『巨人』の時にもこんな光景があった。
だが、違うのは、異形の
「ニトロ……ポルカト……!」
搾り出すように、信徒が叫ぶ。
その声は悲愴だった。
ニトロは、ここに確かに『ミリュウ』がいることを感じていた。
しかし、反面、例え信徒に積まれた思考ルーチンが『ミリュウそのもの』であるとしても、この“複雑な声”を作り上げたのは『パトネト』であろうことも感じ取っていた。
怒りに満ちているのに、ひどく哀れをもよおす声。
敵意に満ちているのに、救いを求めているかのようにも聞こえる声。
観客の中には同情を引かれている者もいるらしい、そういう囁きが聞こえる。
アンドロイド等操作の主幹が交代したことに関しては、攻撃を激化するためにより最適な人材が前に出てきた――として理解できるが、
(……どういうつもりなのかな、あの子は)
ティディアの部屋で見た弟と眼前の『
「芍薬」
「クノゥイチニンポー」
ニトロの呼びかけに応え、指で何やら形を作って芍薬が言う。
「ザクロ」
ボン、と、重鈍い音が鳴り、信徒の体がわずかに膨らみ跳ね上がった。本来の
ニトロは脱力とも嘆きともつかぬ息を吐いた。ポケットからハンカチを取り出し(芍薬から危険を知らせる合図はない)信徒の――ミリュウの――死に顔を覆い隠す。
敵とはいえ、アンドロイドとはいえ……王女の顔を持つ者の死を悼む行為。死すればひたすら痛ましくなるその表情に慈悲を傾ける紳士的な所作。騎士道にも通じる、彼の姿が衆人の心を打つ。
静かだった。
信徒の体を青白い炎が包んでいく。
信徒の体の消えていく音が聞こえるようだった。
ニトロは青白い陽炎の向こうに、どことなく呆然とした観客の姿を見た。
無理もない。隊長を初めとした『親衛隊』のみならず、純粋な観客も、プカマペ教徒も、さらには『マニア』達もどうすればいいのか判らないでいるのだ。これは『ショー』だ、それなのに『ニトロ・ポルカト』から与えられた感情と、眼前の光景、揺らめく炎に魂を引きずられてしまいそうな『ミリュウ姫』への感情とには軋轢がある。その両者を――感動と感傷を……皆、同時にどう消化すればよいのか戸惑っているのだ。
やおら、ニトロは腹の前で手を組んだ。
皆の視線が集まる。
彼は目を伏せ、言った。滞っている観客の心を落としどころへ誘う真摯な声で、
「
元ネタであろう古語を引いて作り変えた、祈りの言葉。芍薬の手により
それは、荘厳な景色だった。
そして、やがて信徒が消え去った後、舞台に残されたのは……物悲しくも得も言われぬ充足だった。
一時幕引きの喝采の中、ニトロは芍薬と共にケルゲ公園駅前を後にする。
幕間に残された熱は冷めることなく温度を増して、アデムメデスを燃え上がらせていた。