思い出したように戦慄が声となって噴き上がる。
 ニトロと芍薬の立つ『舞台』がさらに急速に面積を増していった。
 皆、理解し納得しながらも、それでもニトロの警告を実感してはいなかったのだ。
 ――『手加減はできない』――
 それは真実、どこからどこまでも言葉通りに受け止めねばならない警句であったのだ。
 皆、事ここに至ってニトロ・ポルカトの本気の度合レベルを真に悟った。
 これから彼の周囲で起こる事がどれほどのことであるのかも身を以て悟った。
 無意識的にもアデムメデスの民に残っていた『劣り姫』への侮り――それが払拭されていく。ニトロ・ポルカトは彼女を指して『小さなクレイジー・プリンセス』と評した。あの『クレイジー・プリンセス』と唯一対抗できる彼がそう認定したのだ。その重大性が深く認知され、“クレイジー・プリンセスには関わるな”――アデムメデスの常識が舞台に近づきすぎた観客達を安全圏に引きずり戻していく。
 ニトロは周囲の様子を受け、安堵していた。
 ようやく、騒動に『首輪』をつけられた。
 これで場外乱闘勃発への憂いも、不確定要素の飛び込み参加も、それを巻き添えにする恐れもなくなった。警察の規制もうまく機能している。まさに理想的だ。今の一撃でロータリー全域が新たな舞台と成ったのも助かる。流れ弾の危険はあるものの、それを除けば暴れ回るに十分な広さがある。これなら、これからは、
「ふ、ふ、ふふふ」
 これだけに集中できる
「ふふふふふ」
 笑い声を上げながら――観客がざわめいた――光線レーザーで撃たれた信徒が上体を起こした。
「うろたえるな、我らと志を共にする教徒らよ! プカマペ様のご加護、女神ティディア様の奇跡を以てすれば何のこれしき笑止千万! 全くもって痛痒もない!」
 信徒が立ち上がる、と、焼け焦げたフードが外れ、その下から、爛れ、黒ずんだ皮膚をめくれ上がらせる『ミリュウ』の顔が現れた。しかし被害の程度はそれだけである。信徒がアンドロイドということを差し引いても、光線の熱エネルギーをまともに受けたにしては軽症に過ぎた。が、いかに怪我の程度が“その程度”で抑えられているにしても、その外傷面が与えるショックは非常に強く、周囲からは悲鳴が上がった。
 その悲鳴を待っていたかのように『ミリュウ』は嬉々として叫んだ。
「見よ!」
 信徒が袖で顔を拭う。するとまるで顔パックが外れるように皮膚が剥げ、その下から輝かしい玉肌が現れた。周囲の悲鳴が何と反応していいものか動揺に変わる。
 信徒は笑顔でさらに叫ぶ。
「悪魔の眷属の火矢に射られたとて命奪われることはなく! たちまちお肌もつるりと復活! これぞ神の技! これこそ奇跡!」
「アンドロイドならそんな手品は簡単だろう、神に頼らなくても」
 険立ててニトロが言う。と、信徒が猛烈な眼差しでニトロを睨んだ。その人工眼球の中に、ニトロは機械からは感じないはずの熾烈な感情を見た。『巨人』からもこの身に浴びせかけられたもの。ティディアの部屋で見たあの王女の瞳――それが、やはりそこにある。
 信徒が口を開く。口の形は明らかに何かを言おうとする前触れであったのに、しかし、それがふいに相手を小馬鹿にする笑みへと変わり、目もニトロから離れる。
 ――そこに、違和を感じた者は誰もいなかっただろう。
 反論しようとして、言葉にすることも馬鹿らしいと気を変えて嘲笑した……信徒の態度はそういうものであり、あえて『敵』を無視するようにそらされた視線をおかしいと感じる人間もやはりいない。――そう、ニトロ以外には。
(?)
 ニトロは、信徒のその一瞬の変化を極めて異様なものと感じていた。
 何だろうか……今のは。
 ほんの数秒前には熾烈な感情を覗かせていた信徒の瞳が、瞬間的に冷却していた。あれはティディアの部屋で見た『敵』の瞳そのものであったのに、それなのに、もうそこには“彼女”はいない。信徒は今までそこにいた人間が、ふと人形になってしまったかのようにも思える調子で、こちらから目をそらしてしまった……
 もちろん、信徒の態度は、確かに反論が言葉から嘲笑に変換されたという受け方のできる反応ではあった。が、違う。あれはそういったものではなく、信徒が言葉を吐こうとした行動自体が他所から意図的になくされていたのだ。あの嘲笑は、嘲笑ではない。あれは場を取り繕うためのただの演出にすぎない。
「しかし奇跡はこれだけに止まらない!」
 信徒は叫ぶ。
 信徒はこれまでと変わりなく熱く叫んで“進行”している。
「プカマペ様は我らに力をお与えになった! 悪魔を屠るために!」
 この場において信徒がこれまでとは違うことに気づいた者は、ニトロの他に誰もいない。
 いや――あの和やかな笑顔で知られた少女が人の変わったように激しく憎悪を表す姿を直接目の当たりにしたニトロ以外に……またその底深い憎悪を直接ぶつけられた彼以外に、それを知れる人間がいるはずもない。
(……)
 ニトロの直感を、根拠あるものとして支える“要素”も、存在した。
「女神様は我らに力をお与えになった! 悪魔と対決する勇気を!」
 ニトロの隣に芍薬が並んでくる。
 片や、演説する信徒の両脇では、これまで微動だにしていなかった二人が前に出てきていた。演説する信徒が、怨敵の隣に並ぶ大敵を挑発するようにパチンと指を鳴らす。すると信徒らの前に青白い膜が現れ、消えた。レーザーはもう無力であるという宣言だろう。今度は芍薬も――『示威行為』は先ので十分だ――手を出さない。
「信徒クロア、信徒アロク」
 名を呼ばれた二人が呼ばれた順にフードを下ろす。クロアは顔の右半分が切り傷だらけの、アロクは顔の左半分が擦り傷だらけの『ミリュウ』だった。
「皆の者、目に焼きつけよ!」
 中央の信徒が高らかに言う。
(芍薬)
 それを見ながら、ニトロは戦闘服の脳内信号シグナル転送装置を介して呼びかけた。
(多分、『繰り手』が変わった)
――<<ミリュウ姫ジャナイ?>>
「悪魔よ! その身に刻むが良い! 神の怒りを!」
 クロアが右手を、アロクが左手を掲げる。その手には薄赤い液体に満たされた筒がある。
「「憤怒のあまりに流されしプカマペ様の血涙、百日祈祷を終えた神官アリルの血を介し顕現せり! 我らこれを神水ネクタールと呼ぶ!」」
 信徒二人、叫び、筒をあおる。
 そして筒を手の中で割り、二人、共に庇から跳んだ。
 もはや遠巻きに場を見つめる群集が声を上げた。
 その跳躍力は人ならざる。二人の信徒は、空を跳んでいる。
 いや、人?――否、もちろんアンドロイドであることは皆解っている。ニトロが指摘した直後ということもある。しかし、それでも信徒らが生身の人間にしか見えず、その上『ミリュウ』の姿をしているとなれば、理解よりも先に先入観と条件反射から来る驚きが人心を動かす。
 何しろほぼ“立ち幅跳び”でおよそ20mを超え、
「「サーーーイ!」」
 信徒二人が同時に叫び、クロアの右腕が、アロクの左腕が急激に肥大し――群集がまたも声を上げる!――巨大にして異形の腕となる!
「わお」
 思わずつぶやきながら、ニトロはこの時にはもう不思議と確信していた。
王子だ!)
――<<! 承諾!>>

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