ケルゲ公園駅前が、再度激しいどよめきに揺れた。
「勝手な『企画』だし、こういう混乱が起こるのは分かりきってるし、それに、もしかしたら乱闘騒ぎなんかが起こるかもしれない。……こんな事に付き合う気もなかったから、やめるように言おうと思ったんだけど」
 ニトロの声には淡く怒りがある。彼が筋の通らぬことを嫌うことは知られている。もしや本当に『ショー』は当事者二人の密談で終わってしまったのか? いいや、彼の口振りはそれを否定する流れだ、それなら?――群集のざわめきは、その動揺を如実に現していた。
 ニトロはため息をつき、期待に応えた
「止められなかった」
 またも大気がどよめきに揺れた。期待通りの展開に
 続けてニトロは、結末後を含めて状況をコントロールしやすくなるよう相手に“逃げ道”を残すために――またそうすることで、逆に相手にこちらが選んだレールの上を進むよう強制するために言葉を選び、
「どうやら、ミリュウ姫に、俺は気にいられていないらしくてね」
 さらに空気が揺れた。ほとんどは「え?」などと疑問が弾けた音であったろうか。ニトロの前でドーブは目を丸くし、彼らを囲む最前線から最後尾まで驚き以外の顔はない。
 当然だろう。
 あの『姉と姉の恋人』を祝福していたミリュウ姫を、ニトロは今、否定したのだ。暗にこれは彼女が姉の不在の間に国民のために用意した単なる『ショー』ではないのだと暴露しながら。
 そうして彼は、彼にとって大きな覚悟を以て次の言葉を紡いだ。
「だから、どうやらこれはテストでもあるらしいんだ」
 ドーブに語りかけ、実際には観客全てに語りかけながら、ニトロは肩をすくめた。
「あのお姉様に、本当に相応しい男かどうか。自分の祝福する姉の未来が、本当にこのまま祝福できるのか、果たして祝福したままでいいのかどうか――姉を愛する妹として」
 軽く言いながらも、ニトロは心の締め付けられる思いだった。しかし、これ以上に力を持つ流れはない。
「『もちろん、わたしごときが『クレイジー・プリンセス』の代役を務められるとは思いません。精一杯で、あの程度のことです』」
 ニトロはミリュウが幕開けの口上に使ったセリフを一言一句違わず暗誦し、
「とはいえミリュウ姫は別に嘘をついていたわけじゃない。『お姉様が不在の間、ポルカト様とわたしとで、アデムメデスを驚かせましょう』『わたしは一所懸命、ポルカト様に挑みます。それでもなお敵うとは思えませんが、それでも懸命に』その通りだよ。何しろアデムメデス以前にまず俺が驚かされたもの。そして――希代の王女、愛する姉に本当に相応しいのか。自分の起こした事件程度も取り扱えねば話にならない。きっと、いざともなれば姉を守れる騎士たる証も見たいんだろう。だからこそミリュウ姫は本当に、一所懸命、本気で挑んできている。『伝説のティディア・マニア』からの挑戦状。花嫁を得るために乗り越えなくてはならない妹からの最終審査と言ったところかな。アデムメデス神話になぞらえるなら、花の女神を娶ろうという男に課されたのは命を懸けなければ越えられぬ試練
 その瞬間。
 一瞬たりとて沈黙を作らなかった群衆が、押し黙った。
 ニトロ・ポルカトはどこか気楽な様子で語っている。されどその口に偽りが作る陰は無く、むしろ堂々と気楽に語っているからこその真実味が溢れている。
「俺はティディアと付き合ってないって何度も言ってるのにねぇ」
 ため息混じりの『お約束』の言葉は……いつもは話の枕くらいには笑顔を取れる言葉は、この場では虚しく、空々しく響いた。
「まあ、そういうわけだから、この件は王族の私的な面も強いようでね」
 裏に公的な面も含めながら“私的”を強調し、続けて、
「だからこそ舞台の外で怪我人が出るってのは、申し訳なくってしょうがないんだよ」
 ニトロはそう繰り返した。
 理解と納得が定着するのを待つために一定の間を置き、それから
「けれど、舞台の内で怪我人が出るのは止められない
 そう力強く言い切られ、観衆は戸惑った。怪我人が出るのを嫌がりながら、今度は舞台内とはいえ怪我人が出ることを積極的に是認するようなニトロの物言いに、彼の先の言葉に理解と納得をしていたからこそ大きく戸惑わされてしまったのである。
 すると戸惑いは、当然の流れとしてこの戸惑いを消して欲しいとニトロに訴える。
 彼は尊大にも映るほど無闇に自信を込め、
「ミリュウ姫の、このくにに栄光を約束する女神のためを願う信徒の『闘争』に自ら参加しようって言う者がいるのなら、ミリュウ姫の言う通り、いくらでも飛び入り参加をどうぞ」
 ニトロは一度周囲を見回した。戸惑いの多くはまだそこにいる。
「ただしご注意を。今後、俺は全力で受けて立つことにしたから」
 少々生意気なニュアンスを滲ませてニトロは言った。周囲を見回す最中に特に敵意のある――殺意も感じる強烈な眼差しを確認した方向へ背を向け、演説を続ける。
「『教団』の攻撃、これから俺はそれと思しきものを全て潰す。相手もお姉様のために必死だからね。あの生真面目な優等生がこんな『ショー』を開けるだけの小さなクレイジー・プリンセスに化けるくらいには
 その言葉は、ニトロのセリフの中で最大の力を持っていた。そしてその力は、この頃には彼の意図を理解し始めていた少数の人間だけでなく、未だ戸惑いの中にあった多くの観客らにも彼の思惑を広く理解させていく。
 ドーブらの働きに感謝を示しつつ、しかし今後はその働きは不要だと彼が示唆した意味。
 さらにニトロは言う。
「だからついでに、どんな飛び入りもいくらでも相手にしてあげるよ。何だったら殺しにかかってきてもいい。でも俺は絶対に手加減しないから、その場合は参加者に怪我人が出るのを止められないし、当然、止めない。それでも良いならいくらでもかかってくるといい」
 逆に言えば、こちらは怪我しないし怪我をするのはそっちだけだけどね――という“上からの余裕”をこれでもかとばかりに彼は示す。
 その挑発は、彼の思惑通りにある対象を強く刺激した。もちろん、それはニトロ・ポルカトを快く思わぬ者であり、ティディアとの交際を否定しながらティディアとの婚姻への険しい道を進むという矛盾したことをのたまう『無作法者』への敵愾心である。
「あ」
 と、誰が叫んだのだろう。
 舞台の中心に立つニトロに向けて飛来するものがあった。
 彼の背後から――弧を描いて――ニトロは気づいていない。命中する! それに気づいたドーブも、いくら獣人の身体能力があっても不意打ちにあっては駆け出すために身を沈めることまでしかできない。
 が、
「おっと」
 他の誰でもない、ニトロが、瞬時に身を翻すや飛来してきた物を掌で柔らかく受けていた。受けるだけでなく、かつそのまま止めず、飛来物のベクトルに逆らわぬよう全身を使って腕を振り回して勢いを殺ぎ落とし……最後に軽く頭上に放り投げ、完全に無害化した上で改めて受け止めてみせる。
 それはまるで熟達した舞踏家の舞であるかのようだった。
 目撃者達は彼の反射と体捌きの見事さに息を飲み、ただただ歓声に勝る沈黙を彼に送った。
 そしてニトロ本人も、存外うまくいった自身の動きに内心驚いていた。
 何かが飛んでくること、誰かが何かを投げようとしていることは、それをセンサーで感知した芍薬から報告を受けていた。続けて飛来物が何であり、どちらからこちらに向かってくるか――その報告も芍薬から受け、だから突然の飛来物にも的確に対処できたのだが……しかし、これほどうまく受け取ることができるとは思っていなかった。駄目そうだったら即座に芍薬に体を操作してもらう手筈だったが、その必要もなかった。もちろんこの成功の裏には、投げつけてきた者が人込みの中にいるため全力投擲ができるわけもなく、命中精度を重視したためであろう速度が緩かった故もある。もしかしたら飛来物が食品であったことも心理的に良い結果をもたらしていたのかもしれない。それとも……そうだ、そう言えばこの手のものを投げられた時の対処法、などという格闘プログラムも仮想世界内トレーニング用にあった。それを知った時、こんなの無駄じゃないか? と師匠に訪ねたこともあった。するとハラキリは『いつトマトを投げつけられるか分からないでしょう? 華麗に投げ返しなさい』と悪戯っぽく言ったものだ。『それから手榴弾とか投げられた時にはダイレクトキャッチ&全力リリースを』――その時は『無茶言うな!』と彼に返したものだったが……どうやら無駄だと思っていた努力が、望外にも最高のタイミングで実ってくれたらしい。
 ニトロは笑った。
「これも定番かな」

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