ケルゲ公園駅前ロータリー上空で飛行車スカイカーから飛び降りた二人はすぐに落下速度を緩めた。衆人の注目と共にマスメディアのカメラが一斉に向けられ、警察車両のライトが二人を照らし上げる。
 皆が見た。
 一人は紅を基調としたアデムメデスにはない情緒を匂わす艶やかな衣装を纏った女性であることを。そしてその女性に肩を組むように抱えられているのは、決意を顔に刻む黒衣の男であることを。
 落下速度が落ちたことで悲鳴は止み、代わって二人の正体を探る声が地上を埋め尽くしていたが、二人がライトアップされるやそれもすぐに静まっていた。
 その正体を誰もが察するのに、さほど時間は要らなかったのである。
 目にも鮮やかな見慣れぬ服は、噂に聞く遠い辺境の民族衣装であろう。
 そうであればその女性は――その女性型アンドロイドは、音に聞く『戦乙女』に違いない。
 そうだ。
 誰もが確信していた。
 まさに戦乙女を伴い、『ニトロ・ポルカト』が降りてくる!
 芍薬アンドロイドに内蔵されている超小型反重力飛行装置アンチグラヴ・フライヤーが二人を地上へ運ぶ速度は特に意図して設定されたものではなかったが、ここで思わぬ演出効果を生んでいた。
 これより以前には『女神』のために祈りが捧げられていた場所に、皮肉にも裏腹に、今、祈りを捧げる者らに『悪魔』と呼ばれる少年が降臨している。
 美しいまでに正反対の存在の出現――ゆっくりと厳かに
 突如として世界観の変容する瞬間を体感させられた群集にとって、その光景は神秘的ですらあった。
 さらには芍薬の美しい紅の衣が穏やかな上昇気流にはためき、その顔は人形にんぎょうであるが故に一種の神々しさを湛えている。
 一方で、華々しいそれに抱えられる人間に華はない。華はないが――その『映画』に使われ、また『赤と青の魔女』を討った者が着ていた物にもよく似ているその黒い戦闘服に身を包む彼には、何よりも華々しさに勝る存在感があった。
 無敵の『クレイジー・プリンセス』を抑止できる『恋人』。
 トレイ一つで狂乱する王女以下恍惚の暴徒を鎮圧した『狂戦士』。
 スライレンドにて民を『赤と青の魔女』の牙から逸らし、守りきった『救世主』。
 そして、突如として襲い掛かってきた『巨人』を見事返り討ちにした『ニトロ・ポルカトとその戦乙女』。
 彼が来たならば――!
 何が起こるとも何が始まるとも根拠はないが、それでも否が応にも引き起こされる猛烈な期待感。神秘性すら伴う新たな幕開けに興奮が巻き上げられる。
 そこかしこから歓声が轟いた。
 ロータリーにできた『舞台』の中、ローブを着る『プカマペ教徒』の多くも歓声を上げている。歓声に負けじと叫ばれる罵声とブーイングも、やはり『プカマペ教徒』の中から立ち昇っている。特に『悪魔』を殺すための生贄ひとがたを取り囲む集団からは、激しい威圧的な叫び声が。
 ニトロと芍薬は、その威圧的な叫び声の根元近く――黒と白線の作る境界へ向けて進んでいた。
 もっと近くで観たいという観客達が『舞台』の半径を狭めるが、半面『舞台』内の二人の予想着地点からは自然と人が避けていき、そこに見る間に小さな円形舞台が新しく作り上げられていく。望ましい展開だ。芍薬は円形舞台のど真ん中に降りるよう進行方向を微調整し――
 やがて芍薬が足を着き、次いでニトロ・ポルカトが再びケルゲ公園駅前に降り立った。
 その瞬間、二人を取り囲む人々が一番の声を上げた。
 歓声と罵声が爆発して入り混じり、分けのわからないわめき声となって大気を揺らす。
 その中心で、ニトロはしばし、周囲を自信に満ちた眼で見回していた。ティディアに付き合わされる内に見につけたショーマンシップ。そう、これは『ショー』だ。『ショー』でいい。だからそれに見合った態度を示そう。そうして敵に、敵を上回るパフォーマンスを見せつけてやろう。
 やおら、凄まじい喚声が弱まり出す。
 弱まり出し、声を上げる人々の集中が途切れ、声を与えていた立場から演目を与えられる立場へ人々の心が移ろう――まさにその瞬間、
「やあ、隊長」
 戦闘服の襟に仕込まれたマイクを通し、ニトロの声が警察車両のスピーカーを通じてケルゲ公園駅前に響き渡った。
 絶妙なタイミングであった。
 空腹を感じると同時に出された一皿。
 喚声が彼のセリフに応えてざわめきに落とし込まれ、劇を進行させるに相応しい空気を作り出す。
 そしてその空気を作り出すと同時に、彼の声は聴衆の興味を大いに刺激していた。
 ――『隊長』とは?
 そしてまた一方で、ニトロが聴衆を刺激して生み出した大きなその関心は、ロータリーの辺縁から後方にかけて起きかけていた“中心部に近づこうという暴走”の出鼻を挫いてもいた。
 既にショーは始まっているのだ。
 協力者である警察がいたる所に宙映画面エア・モニターを投射し、同時にビル群のスクリーンにも“中心部”のが映されている。
 どこででも観劇が可能になった以上、ショーの中心部にいなくてはならない――ということはない。中心部へ近づこうという意思はなくならないまでも、それでもそのために人が倒れてしまうような勢いはニトロの一言によってきっちりと殺がれていた。何よりショーが始まった以上、ここで下手に騒ぎ立てて演目を止める観客はいない。いたとしても、注視する選択をした大多数の観客の目に圧殺されて押し黙る。
 やがて衆人環視の真っ只中――ニトロの立つ半径3mほどの円い舞台の中に、白い戦列から押し出されるようにして一人の大男が現れた。彼を知る人々が息を漏らす。彼はドロシーズサークルにおける『ニトロ・ポルカトの冤罪騒動』で注目された異邦人、ネコ科の起源を持つ獣人ビースターであった。
「久しぶり。少し痩せたみたいだけど」
「は……お陰様をもちまして、あの、仕事が順調で……」
 突然の呼び出し、さらには親しげなニトロの態度にすっかり恐縮した様子で獣人ドーブが答える。その声は芍薬の指向性マイクが拾い、主役の声と同じく周囲のスピーカーから流されていた。
「評判良いみたいだね。また今度食べに行くよ」
 ドーブは嬉しそうにしながらも頭を掻き、大きな背を仔猫のように丸めて身を小さくする。堂々とした少年と敬意のために萎縮する大男の作るこの光景は、王子と民――皆にはそのようにも観えた。
「それにしても……そのシャツは……」
 ニトロが示すのは、ボケをドツくツッコミのシルエットがプリントされた純白のシャツだった。見るからに仕立てがよく、シルエットの下には『ティディア&ニトロ親衛隊』とロイヤルフォントで書かれ、しかもボケとツッコミはそれぞれ金色の冠を戴いている――それを見た時、ニトロの肩に、マードールによって自覚させられた重圧がじわりと浸透してきた。
「良い出来でしょう!」
 ふんと鼻息を鳴らし、萎縮から一転、誇らしくドーブは胸を張った。
(良い出来だけどもね!)
 相手に悪気がないからこそ余計に重圧が活き活きと圧しかかってくる。ニトロは苦く笑いたい気持ちを抑え、内心の声も全力で内心だけに抑え込み、目的遂行のための芝居を続けた。
「それじゃあ、それを着ているのは」
「は! 皆、貴方様の士であります!」
 気をつけをして力強く言うドーブに合わせ、彼の背後で勇ましい声が上がった。
 ニトロは微笑み、
「ここに来る途中、この場が“混乱”しないよう抑えてくれている姿を見たよ」
 周囲にも目を配り――ニトロは一瞬、吹き出しそうになった。白シャツを着た者の中にスライレンドで見た中年男性の顔があった。目が合い、男性が気恥ずかしそうにうつむく。その隣には妻であるらしい女性までいた。男性にはビルの上から飛び降りようとしていた時にはなかった健康で幸せそうな顔色があり、ニトロの胸に喜びがこみ上げる。彼は自然と微笑み、
「ありがとう」
 その言葉には、芝居の要素の一欠けらも存在しなかった。
 笑顔は元より言葉に込められているのもただ真心のみ。
 騒動のために無用な怪我人を出したくない。その想いから生まれた言葉は確かに人の心に届き、ドーブは恐縮のために今度は背を逸らし、辺りからは感激の声が漏れた。誰かが拍手をしたらしい。遠くで聞こえた手を打つ音が万雷の拍手と変わり『この場を“混乱”させなかった者達』へ祝福を与える。
 となれば、立つ瀬がないのはドーブらと競り合っていた者達である。あるいはドーブらの制止はくせんを突破して狂信的な『ティディア・マニア』と争おうとしていた『ティディア&ニトロ・マニア』の過激派である。
「でも、この後は、俺が全部引き継ぐよ
 一瞬のざわめきの後、大きなどよめきが空気を揺らした。
「まあ、世の中には喧嘩祭りなんてのもあるけどさ……それはそれ。舞台の外で怪我人が出ちゃあ“役者”は申し訳なくってしょうがないからね」
 ニトロは――そこに限りない感謝を込めながら――告げた。そして彼は、今一度己の中で覚悟を改める。これは『ショー』なのである。その役者となることで今後凄まじい不利が自分とティディアとの間に生まれてしまうことは判っているが、それは現在気にするべきことではない。ミリュウが捨て身であることを覗かせている以上、保身を考えては彼女に後れを取ろう。油断はしない。今はただ、敵意も殺意も不安も偽りも重圧も何もかもを呑み込み突き進む。そう腹を括った彼の言葉には強力な存在感があり、存在感はそのまま聴衆の心に深く浸透する。
 彼はさらに言った。
「実は、さっき、ミリュウ姫と会ってきたんだ」

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