ニトロは芍薬を見つめた。
「主様モ気ニナッタ?」
「確信はないけど……何か考えているだろうってことはね」
「コッチモ確信ハナイケド、警戒ハ必要ダト思ウ」
「うん」
『烙印』に関しては既に考えられるだけの対策をしてある。一方『破滅神徒』――それにパトネト王子、この二点への対処は現状同じものしかない。ニトロはさばさばと言った。
「警戒しておいて、あとは出たとこ勝負だ」
「御意。ソレナラ今後ハ約束通リ、主様ハ無理ハ禁物、あたしノ
「了解。でも、俺もちゃんと活躍させてくれるかな」
「見セツケル?」
「そう、徹底的に、俺が上」
「……チョット訂正。主様、小悪魔クライノ素養ハアルヨ」
「小悪魔?」
「不服カイ?」
「いや、なんか小悪魔って言うとさ。こう恋愛で異性を手玉に取るって感じがしない?」
「恋愛トモカク異性ハ手玉ニ取ロウトシテルヨ?」
「……おお」
ニトロはぽんと手を打ち、そして二人は思わず笑った。
王都の摩天楼を縫って飛ぶ
芍薬はオートドライブに設定し、目的地についた後の操作もプログラムした後、マスターの戦闘服の各種機能が正常であるかを改めてチェックし始めた。
手持ち無沙汰になったニトロは腕のストレッチをしながら窓の下を覗き込んで、
「うわ」
目的地が近いとはいえ、想像以上の人出にニトロは思わず目を丸くした。
「何これ」
「主様ガ盛リ上ゲタカラ『オ祈リノ会』モ大繁盛サ」
「……そりゃまた嫌な影響力も持っちゃったもんだなぁ」
ニトロがうめく中、飛行車がスピードを落とし始めた。フロントガラスの先ではビル群が途切れ、すぐ目の前には『空の渋滞』がある。周囲には警察車両が空にも地にもあり、空も地も揃って交通規制がされていた。
直下にあるのはかなり大きな通りだが、その渋滞は空に比べて悲惨そのものだった。もはや交通機能が完全に死んでいる。空のスカイカーには警察の誘導に従い車列から離脱するものも見えるが、接地面しか行けぬ
「いっそ『歩行者天国』にしておいた方が良かったんじゃないかな……」
「モウ一方ハソウシテルヨ」
「そりゃ英断。ていうより、あっちはそれを定期的にやってた場所か。比べちゃこっちの担当がかわいそうか」
「御意」
ニトロ達がやってきた地は――『劣り姫の変』――その始まりの片翼。
ケルゲ公園駅前。
今やここは、ミッドサファー・ストリートと並んで言葉通りに『聖地』とされている。本当に多くの“急造教徒”が集まっていた。日没の『祈り』の際には凄まじい音量で詠唱が流れていたことだろう。もちろん、この中には単なる物見に来た者も輪をかけて多くいるだろうが。さらには――
「警察には?」
「連絡、了承、連携ノ約束モ獲得済ミ」
ニトロはここに来るにあたって、現場の混乱を――既に混乱しているが、また別の混乱を治めるために警察の、正確には公権力の『力』と『人員』の支援が不可欠だと考えていた。そのため、ミリュウへこちらの行動が筒抜けにならないようティディアから預かっている警察のシステムの利用権限(どんなこともできるわけではないが、例えば警察用アンドロイド等を芍薬が操作できる権限)を頼ろうとしていたのだが、それに対しては芍薬が反対した。
既にあの権限の存在は敵に知られている。あたしなら、即座に権限を封鎖して、使おうとしたその瞬間にあたしを反社会的A.I.として合法的に拘束する――指摘されてみれば、そのリスクはこちらの行動を知られることよりもずっと高い。
そのため、芍薬は王城を出た段階でこの区域の所轄と連絡を取り合い、各種の手続きを速やかに済ませていたのだ。
「火薬庫の様子は見られる?」
「御意」
芍薬が飛行車のシステムを操作し、ニトロの前に小さなエア・モニターを表す。そこにはケルゲ公園駅前ロータリーを上空から映した――警察車両からの中継画像があった。
映像を一瞥するなり、ニトロは言った。
「一触即発か」
「御意」
面白いことに、騒ぎの心臓部は周辺域に比べて人口密度が低い。何故なら車が排除されたロータリーはもはや完全に『舞台』となっていたからだ。舞台には一種独特の排他性がある。演者か演者になろうという者しか寄せつけない結界がある。『舞台』にはミリュウの姿をした信徒の姿は見つからないが、そこにはローブを纏う教徒と並び、ローブを纏わぬ集団があった。それらをさらに大きな集団――ローブを纏っていたりいなかったりはするものの、完全に傍観者という点では共通する『観客』が大きく間を開けて取り囲んでいて、そうしてその『舞台』は成立していた。
舞台上にいる人間は、黒いローブを纏う者らが圧倒的に多い。それらはまとまりなく蠢き、しかし一部では“急造教徒”と呼ぶには差支えがあるような熱狂振りを見せている。一方ローブを纏わぬ集団は、数で負けても団結力では負けぬとばかりに力強い群を作り上げて『プカマペ教徒』らに対抗している。中でも目立つのは両集団の境界に固まる白いシャツを着た者達だ。上空から見た黒とそれ以外の比率はおおよそ四対一といったところだろう。四と一を分かつ白シャツの並びが描く線の前には人一人分くらいの溝がある。それでも時折波打つように両集団が接した箇所では鍔迫り合いをするような動きが生まれ――激しい言い争いをしているようだ――するとすぐに白線が太さを増して諍いをなだめて溝を保とうとし続ける。
見れば、どうやら争いの焦点であるらしいのは……
「まあ、定番っちゃ定番かな」
「マア、ソウダネ」
同意する芍薬は不機嫌であった。
それもそうだろう。ニトロが目にしたのは『括り首にされた
しかし実際にその呪いの儀式の対象であるニトロからすれば彼らの行為は“顰蹙”では済まない。そこまでする『マニア』達の悪意と敵意は正直体の芯を凍えさせる。――が、もちろん、今やいくら冷気を吹き込まれようともニトロの芯が凍え切ることはなかった。そんな悪意と敵意よりも、自分のために怒ってくれている芍薬の心が暖かい。彼は嘆息をつき、それだけで底冷えのする怖気をやり過ごし、
「下手糞な爆弾だ。安全装置も何もない」
「御意。ケド『隊長』ガ筆頭ニナッテ何トカ爆発ヲ止メテイル」
「隊長が?」
と、映像が変化する。芍薬の誘導だ。カメラがある一点を注目し、拡大し、するとそこに見覚えのある大男が現れた。白いシャツを着た彼はプカマペ教徒を眼前に、最前線で仁王立ちしている。時折口を大きく開けているのは、揃いのシャツを着る仲間と作る境界線を保持するため号令を発しているからだろう。
ニトロは片頬を引き上げて、つぶやいた。
「でも……キレると色んな意味で爆弾より危ないよね……」
「御意」
芍薬も即答する。
過去には二度の襲撃をかけてきたほど熱狂的な『ティディア・マニア』。そこから転向して、今は有名な『ティディア&ニトロ親衛隊』の長――
いつかこの
ミリュウの姿を借りた『敵』はやはりどこにも見当たらないが……万全のシチュエーションを待つほど計算高くはなれない。
ニトロの思いに気づいた芍薬が、懐から鞘に入った大振りのナイフを取り出した。
「よし」
鞘の座り具合を確かめ、ニトロは言った。
「行こう。さっさと騒ぎに『首輪』をつけないと」
「承諾」
芍薬の瞳の奥が明滅し、直後、二人を乗せるスカイカーが列を離れた。進入禁止区域に指定された
ロータリーの上空に差し掛かるや、停車も待たずニトロはドアを開けた。
20mほど空にあってもざわめきが車内に滑り込んでくる。
ニトロは芍薬と共に、一息に飛び降りた。
悲鳴混じりの喚声が轟いた。
夏の熱気に、人が煽り上げる熱風が混じっていた。