その宣言は、ニトロに冷静さを取り戻させた。
 初めて明示されたミリュウの『目的』と言えるだけの意志。
 ようやく敵の『思惑』を得たニトロは、しかし、ここで諦めも得ていた。
 ――今。
 この期に及んで『それならやっぱりティディアと縁を切るため力になってくれ』などと言えるはずもない。ミリュウの意思をそのまま受け止めれば、本来彼女は自分の味方となれるはずだが、しかし、彼女は絶対に『味方』にはなるまい。
 無論、ここには矛盾がある。
 ミリュウも気づいていることだろう。
 だが、その矛盾を踏まえてなお、彼女は激情に震える覚悟と共に涙に揺れる声で強く宣言したのだ。
 そしておそらくは、矛盾を追いやってまで宣言した――その結果のために生じてしまうもう一つの帰結にも、『ティディアの信徒』にとって致命的な“意味合い”を持ってしまう帰結についても彼女はきっと気づいているのだろう。
 だが、それを踏まえてなお、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナは敵対する道を選んだのだ。
「それじゃあ、どうする気かな」
 ニトロは、強いて、ため息を吐いた。
 事ここに至り、自分がここに来る前に比して状況は大きく変化した。
 ニトロの発見した齟齬は埋まり、しかし齟齬の解消による誤解の顕在化はかえって事態を強固に歪なものとしてしまった。
 しかも本質的なことを言えば、明示された目的はニトロ達の予想の範疇に収まるものであり、それを踏まえれば変化した状況の後にもミリュウの目的は“変わらなかった”ように思える。
 では、結局、彼女は姉と『ニトロ・ポルカト』のことを認めたくないがためだけで事を起こしたのか?
 ……それは、考えにくい。考えられない。
 何しろ、既に状況は変化しているのだ。それなのに、敵は、変化した状況の中では“無意味極まりない形”でその意志もくてきを持ち続けている。それどころか心を強めて持ち続けようとしている。ここにはある意味であまりに人間らしい非合理性がある。
 なるほど、確かに彼女の目的は明示された。
 しかし、それは『原因』の“表層”であるだけだ。
 表層は矛盾と非合理性で編み上げられていて、その奥にある真核は見えそうで未だ見えない。しかし“宝の埋まる表層”に辿り着いたのならば、後はこちらの選ぶべき方向は自ずと定まる。
 ニトロは問うた。
「俺とティディアが付き合っていないことを知っても、俺を認めない? それで、君は何を成し遂げるつもりなんだ? どうせ、ティディアが帰ってくるまでの期間限定でしか『神官ミリュウ』は生きられないんだろう?」
 あえて現状を確実に認識させるように攻撃的なほど挑発を込めたニトロへ、ミリュウは眉間に影を寄せ鼻頭に皺を刻み、目を吊り上げ、一方それとは似合わぬ形に口元を――まさに顔の上下が別の表情を作っている――あの不気味な微笑に歪めた。
「一つだけ教えてやるわ。
 わたしは、お前をお姉様から引き離す。
 お前はお姉様にとって害悪以外の何でもない。
 悪魔よ
 ニトロは、最後にその針路ことばの確認を取れたことで満足することにした。
「お前の味方になることも、お前に協力することも死んでもお断りよ。だけど、お姉様のためにも、それだけは絶対に成し遂げてみせる「ひとを殺してでも? 自己満足のために
 言葉尻に被せるように発されたニトロのセリフは、ミリュウの急所に鋭利な角度で滑り込んだ。
 ミリュウは息を飲む。
 息を飲み、そうしてここに至ってもニトロの『得意技』にしてやられたことに気づき屈辱に顔色を変えた。唇の色が薄くなり、頬が青褪め――血の気が引いたことが頭を冷やす一助となったのだろうか、そこで彼女は平静を取り戻したように顔の下地を嫌悪感で塗り固め、その上にあの不気味な微笑みを刻み込み、ニトロへ答える代わりに、白くか細い指でドアを指し示した。
「どうぞ、お気をつけてお帰りなさい。ニトロ・ポルカト」
 ニトロは立ち上がった。
 思えば――と、思う。
 思えば、ティディアが本当に俺をアイシテイルとして。だが、それを受け入れるかどうかは内心に関わる問題だ。それに対して誰がどう思うのも自由だが、どうこう言われる筋合いはない。それが『事情』を知らぬ者ならばなおさらだ。さらには、それを理由に芍薬かぞくを端から標的に数えた攻撃をされる?
「何にしても、やっぱりあなたの行為は俺に取っては理不尽だな」
 暗に攻撃の継続を認めてきたミリュウへ、ニトロは言った。
「あなたの前でお姉さんを悪く言ったことは謝るよ。けど、それ以外は受け付けられない」
 ミリュウはニトロの声に滲む怒りを微笑みで受け止め、返礼とばかりに敵を射殺そうという微笑みの欠片もない瞳を返した。
 ニトロは視殺の威を押し潰すように、一歩彼女に近づいた。
 可能ならば敵意と殺意をその根源にまで押し返して潰してくれようと敵の瞳を深く覗き込み――そこで、ふと、彼は、先刻のパトネトの眼差しを思い出した。幼い王子が部屋を去る直前に見せた、あの、何かを強く訴える瞳。それに通ずるものを彼と同じ瞳を持つ姉に微かに見出し……そして、ニトロは直感した。
(そうか)
 彼女から感じ続けていた『嫌』な気配。不吉な予感。ミリュウの浮かべるこの不気味な微笑みは、そうか死臭のする微笑みなのだ。そしてこの微笑みを浮かべる彼女の『嫌』な目つきには、これまでずっと、あの『巨人』の瞳の底に見た冷たいものが存在していたのだ。
 ――それに……
 ニトロは気づいた。その冷たさは、恐怖だと
 彼女は怯えている。
 彼女は震えている。
 彼女の瞳はそれを訴えている。嫌悪感の上に刻まれた死臭のする微笑と共に、恐怖を。
 だが、彼女は何に恐怖しているのだろう。真正面から殺意を示したおれから反撃を受けることへの恐れ? それとも、もしや優しいはずのミリュウ姫が殺意を抱いてしまった彼女自身に?――そこまでは解らないが、しかしニトロはもう気づいたのである。
 己の全てを懸け、敵意、殺意、姉への深愛、矛盾、非合理性、嫌悪の上に死臭を刻み、失望と侮蔑の眼差しの底で恐怖を抱き続ける姫君。これまで全く正体の見えないでいた怪物――ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
 あと少し、あと少し不必要な色を落とし、あと少しのピースを得られれば、その姿を写すパズルの全体がきっと見える。
 その見通しはニトロに力を与えた。問題解決への希望がそのままニトロの自信になる。
 ニトロは、ミリュウの激しい感情を柔らかく受け止め、
「だから、受けて立つ。どうぞお好きにかかってくるといい。全て、潰してやるから」
 ミリュウの死臭のする微笑みが臭いを増していた。ニトロに己の激情を最後になっても苦もなく受け止められ、受け止められるだけでなく容易に返され、その眼に暗い影をさらに落としていた。
「さようなら、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ」
 そして二人は、決裂した。

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