「本気だよ。真偽の判定がしたいならそれへの協力も惜しまない。裁判所で宣誓したっていい。何だったら、何て言ったっけ……特級重犯罪者にだけ適応されてる……」
 度忘れしたとばかりに宙を仰ぐニトロを――彼が何を思って、何を言っているのか自分自身で理解しているのかという激しい疑念に頭をかき乱される――呆然と見つめながら、ミリュウは答えを差し出す。
脳憶抽奪ブレインドレイン?」
「そう、それだって受けたっていい!」
 ニトロは提示された名称に大きくうなずき、嬉々として言った。
 ――これは、普段の彼なら、気遣いをこそ講じるべき問題だっただろう。
 明らかに失態だった。
 彼は気づいていなかったのだ。ミリュウの眉間に再び刻まれた陰があることを。それは怪訝ではなく、怒りによってのものであることを。
 だが、無理もない。
『ティディアにコルサリラ・ペッパーよりもずっときっつい辛苦を舐めさせられてきたニトロ』にとってミリュウ・フォンアデムメデス・ロディアーナという味方の出現はそれだけ嬉しい最大の希望であったのだ。
 そしてまた、無理もない。
 ニトロが、ミリュウにとってニトロ・ポルカトの真実の告白はそれだけ厳しい極大の失望に他ならないことを、推察すらできなかったことは。
「どんな自白剤だって飲んでやるさ。『本当』を証明するためなら拷問されたって正直構わない」
 ニトロは常に嘘偽りなく言葉を紡ぎ続けていた。
 そう、ニトロの言葉に嘘偽りはない。根が素直で正直な彼そのものの、正直で素直な言葉でしかない。
 ミリュウは……ティディアを信奉する『伝説のティディア・マニア』は、もはやそれを完全に理解していた。彼女は彼と同じだから、彼のあまりに信じられない言葉を――それがどれほど荒唐無稽で不信きわまる情報だとしても――それも女神たるお姉様のお言葉を“偽”とする不遜不敬極まる情報であるはずなのに――それを彼女が『真実なる真』であると理解するのに時間はさほどかからなかった。そう、ミリュウは、ニトロによって、およそ18年にわたって一瞬たりとて揺らぐことの無かった女神様への信心を、絶対にして盲目的な確信をさほどの時間をかけずに崩されてしまったのだ。そして、理解してしまってからは、彼女にそれを疑う余地は……それは女神の言葉を『真実は偽』と判定する結果であるのに……無論、皆無であった。
(ああ、ああ……)
 ミリュウの目が、暗んだ。
「俺とミリュウ様が『喧嘩』する理由は一つもないんだ」
 ニトロの双眸は希望に煌いている。
 まるで、わたしがお姉様からお褒めの言葉を賜った時のように。
 ミリュウは知った。
 知って、悟った。
 なんということだ。なんということだ!
 それではわたしは――?
「だからミリュウ様、もうこんな茶番はやめよう。そして俺と手を組もう!」
ふざけるな!!
 ミリュウの怒号が、なおも何かを言おうとするニトロの気勢を叩き潰した。彼女がテーブルに振り下ろした拳が鈍く激しい音を立てる。彼女は勢い立ち上がり、その背後で椅子が音を立てて転倒する。
「ふざけるな……!」
 もう一度、ミリュウは叫んだ。それは一度目に比べて弱々しい。しかし、それは怒りの治まったためのものではなく、涙に揺れているからであった。
 そこで、ニトロはようやく自身の失態に気がついた。
「なんてこと……なんてこと……」
 全身を戦慄かせ、大粒の涙をこぼすミリュウの姿に、ニトロは心をひどくしかめていた。
 そうだ、しまった
 彼女は姉を崇拝し、狂愛している。この反応は何もおかしなことではない。当たり前のことだ。愛している人間を『嫌い』と言われることを許容できる人間などそういるはずもない。そしてそれに対し怒ることは、当たり前とも言えないほど当然なことだ。
 しかし、ニトロの解することのできる『失態』はそこまでだった。本当の意味での『失態』は彼の知る由もないところにあり、彼にとってもミリュウにとっても、この期に及んでそれはどうあっても不可避の事態であった。
「お姉様……なんておかわいそうに……」
 その、ミリュウのセリフに、ニトロは愕然とした。
 事ここにきて、姉を労わる? いや、それも当然のことと言えばそうだろう。だが、ミリュウの怒りは彼女の中から――彼女の傷つけられた心から発せられているものだとニトロは直感し、確信していた。なのに『妹』から発せられたのは、彼女のエゴが爆発されるべきこの期に及んで大好きなお姉様への思い遣りであった。最高度の筋金入りの『ティディア・マニア』らしいと言えばそれまでなのかもしれない。それまでなのかもしれないが、だからと言って――
「ニトロ・ポルカト」
 目のすわったミリュウの睨みに、ニトロは初めて真正面から圧された。
「今の言葉、全て偽りないか」
 王女の口調で、彼女はあえての確認を取ってくる。ニトロは気を立て直し、
「全て本当だ」
 ミリュウは全身を強張らせ、叫んだ。
「どうしてお前はお姉様の御心をそんなにも軽く扱える!」
 その叫びにニトロが気圧されることはなかった。むしろミリュウの言葉にはティディアの感情をこそ優先しろという響きすらあり、それは彼を恫喝せしめるどころか逆に彼の『ティディアへの怒り』を誘発するものであった。
「軽く扱えるも何も――言っただろう?」
 ニトロは怒気を込め、ミリュウをきつく睨み返した。
「迷惑しているんだ、俺は、ずっと」
 重く響く声で繰り返され、ミリュウは頬を紅潮させ、肩を震わせた。腿の肉を抉らんばかりに両の手でスカートを握り締め、
「一度ならず――ッ!」
 今にも卒倒しそうな勢いで彼女は絶叫する。
「お姉様の愛を、迷惑だと!?」
「ああ、迷惑だよ。ずっとティディアに振り回されて、俺はとんでもない苦労をさせられてきたんだ。これまでずっとずっと、そして今も。激しく面倒をかけられている」
「振り回されて、苦労……面倒?――ふざけるな!」
「ふざけてなんかいない。真実だ。何だったらじっくり話してやろうか、これまで俺があいつにどれだけ嫌がらせを受けてきたかを」
「お姉様の愛情を嫌がらせだなんて……お前はどれだけ心が腐っている!? お姉様がどれだけお前のことを愛しているか知らないのか!!」
「知っているさ」
 ニトロは哂った。暗く――それはミリュウが初めてニトロの中に見る暗い感情として、とても暗く。そして、彼は言ったのだ。
「どれだけ夫婦漫才の相方――っていう道具として愛されているのかって話ならね」
 それを聞いたミリュウは、突然気の抜けたように、呆けた。
「え?」
 ミリュウのため息に近い声に、ニトロははっきりとため息をつき、
「道具だよ、俺は。あいつにとって『夫婦漫才』っていう夢を叶えるための道具に過ぎない。他にもっと良い相方がいればいくらでも取替えの利く、都合の良い道具だ」
「……」
 ふらりと、ミリュウが揺れた。足の力が抜けたのか腰から崩れ落ちそうになり、反射的にテーブルに手を突いて体を支える。
 ニトロはミリュウの様子に困惑した。
 ミリュウは辛うじて支えた体を立て直すように身じろぎし、数秒間焦点の合わぬ瞳でニトロを見つめた。睨んでいるように、観察しているように、それとも、初めて外宇宙の知的生命体を目撃した人間ように。
「――ふ」
 やおら、彼女の唇を気の抜けた空気が割った。
「ふふふふふ。
 うふはははは」
 やがて、彼女は高らかに笑った。
「あははははは!」
 しかし彼女の笑いは声だけが高く、どこまでも中身の無い乾いた音であった。
「あははは! あっははははは!!」
 ミリュウは笑う。
「ははあははははははははははははははははははは!!」
 笑い続ける。
 ニトロが困惑を隠せない中、満足いくまでからからと笑い、笑い、笑い――
 ひとしきり笑い終えたミリュウは、倒れた椅子を直して座り、深く吐息をついた。
「大馬鹿者」
 そして突きつけられた言葉に、ニトロは困惑を深めることしかできなかった。
「お姉様は、お前を愛しているわ」
「まだ言うか」
「お前こそ」
 ニトロを見つめ、ミリュウは言った。
「お前がどう思い、どう言おうが、お姉様はニトロ・ポルカトを愛している」
「それは、お姉様を大好きなあなたがそう思うだけだろう」
「そう思うのならば、そう思い込んでおけばいい」
 吐き捨てるようなセリフは、それだけに説得力を持っていた。ニトロの吐息が一瞬、詰まる。ミリュウは言った。
「わたしは知っているのよ、お前よりもずっと
 静かに、しかし声音に反して語気も激しくニトロへ意思を叩きつけ、さらにミリュウは続けた。

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