ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナを乗せた王家専用超音速旅客機が、わずかにも上昇する素振りすら見せず、躊躇うことなく、ニトロ・ポルカトの立つ滑走路へ降下していく。
<危ない! 危ない!>
 ATVアデムメデステレビの女性アナウンサー、フェムリー・ポルカトの大声が、画面を観つめる二人の鼓膜を震わせる。画面は斜に二分割され、それぞれに王家専用機と黒づくめのニトロ・ポルカトが大映しとなっている。
<ああ! 危ない! ああ!>
 今年大ブレイクした新人は完全にパニックに陥っていた。無理もない。彼女は、つい直前まで自分と同じファミリーネームを持つ彼と会話をしていたのだ。滑走路に立つ『ティディアの恋人』からかかってきた電話を受け、「参戦表明」の証人となれたことに舞い上がり――その直後にこの事態であるのだから。
<なんで上がらないの!? ニトロ様! ニトロ様ぁ! 危ない!>
 意味の通じる言葉はそこまでだった。分割されていた画面がとうとうその必要をなくして一つに合わさる。その後は、経験の浅いタレント・アナウンサーは悲鳴ばかりを上げ、もしくは何を言っているのか判らない金切り声を上げるだけだ。
 絶叫の中、着陸に向けて機首を仰がせる王家専用機のタイヤが、微動だにせず立つ少年へ牙を突き立てんとばかりに進んでいく。残り500m、300m、150m――タイヤはニトロ・ポルカトに直撃するように見える――100m、75m、30m――そして、女性アナウンサーがそれまで上げていた激声を飲み込む音がし、王家専用機は、着陸した。
 画面ではニトロ・ポルカトにタイヤが直撃したように見えた。人間が、例えその身に纏う服がどのようなものであろうと、たった身一つで降下してくる飛行機のタイヤを受け止めることなどできようものか。少年は凄まじい勢いで車輪に轢き潰されたようだった。
<……あー! あーーー!!>
 最後にそれだけ叫んで、ぷつりとフェムリー・ポルカトの声が途切れた。スタッフの声が入り込んでくる。どうやら彼女は失神してしまったらしい。そこでハラキリが宙映画面エア・モニターの数を増やし複数の局を映すと、そのどこででも悲鳴や動揺が流れていた。事態がつかめず何やらスタッフと言い争っている者、戸惑いながらも冷静に“演出”を疑う者、あるいはその結果としての事故を恐れる者、また、顔色を失いカメラの前で棒立ちとなった者もいる。
 それらを感動の面持ちで眺め、
「素晴らしい」
 マードールは、感嘆の吐息を漏らした。
「というか、ちょっとえぐかったかもしれませんね」
 そう言いながらも飄々として、ハラキリはモニターの一つに空港のロビーを映した。それは牡丹の操作するアンドロイドから送られている映像だった。人込みの傍にある人工眼球カメラには、皆々立ち止まり、愕然として大型ビジョンに目を釘付けている客らの姿がある。音声はないが、画を見るだけでロビーのざわめきが伝わってくる。
「あれくらいインパクトがあった方が『手品』の魅力も上がるというものさ」
 言うマードールの瞳は爛々と輝いていた。彼女はあれが『手品』と知っていても、どのようなことが起こるかまでは聞いていなかったのだ。まるきり楽しみにしていた舞台を見え終えた観客然とした彼女は鼻息も荒く興奮を隠さない。紅潮した顔色に自慢の彩りまでが含まれているのは、この演出に己の従者が関わっているためだろう。
「見よ。『巨人』も『教団』も『ミリュウの変化』も、どれをも上回るではないか」
「まあ、そりゃそうでしょうね」
 ATVでは、失神したアナウンサーに代わってスタジオの司会者が状況を語り始めていた。滑走路に血痕はない。王家専用機は何事もなかったかのように着陸を済ませた。滑走路には死体どころか人影すらない。エプロンに向かっている機体に異常があるようには見受けられず、タイヤも正常に動き、やはり血痕はない。
 ニトロ・ポルカトの肉体が、血の一滴も残さず、どこかに消えている。
 信じられない様子でアナウンサーはたどたどしく一つのカメラが見る光景を把握しようとしていて、それはどの放送局も同じ事で、多数のチャンネルが作り出すざわめきはそのまま空港のロビーの音声を吹き替えているようだ。
「おい」
 と、ふいに呼ばれてハラキリがマードールを見ると、ニトロ・ポルカトのサポーターが解説を求めていた。彼は小さく肩をすくめ、
「仕掛けは単純ですよ」
 飛行機に轢かれたニトロの姿は、芍薬が制御する光学迷彩装置とピピンの念動力サイコキネシスを併用・応用して作り上げた虚像だった。実像は、あそこから3m離れた場所にある。そう、たった3m離れた場所に。
 轢かれて見せた直後に瞬間移動テレポーテーションで移動しているから、今から王立放送局のように超高感度サーモグラフィやレーザー距離計を用いて対象物を探したところでもう彼らが見つかることはない。また、例え初めからそれらの探知をしていたとしても、虚像と実像が3m離れていたことを判別することはできなかっただろう。何故なら、それも考慮して、芍薬とピピンは各種情報を“誤魔化し”ていたのである。3mは、それ以上の距離では見破られるリスクが跳ね上がる限界の距離だった。しかしその距離内であれば科学力と超能力が実力を十二分に発揮し――科学技術と超能力者の双方がなければ、ニトロが考えた『手品』を容易に見破ることはできない。時間をかけて各種データを精査すれば見分けもつくだろうが、少なくともリアルタイムでは不可能であり、実際、手品は大成功を見た。
「ニトロ君は度胸があるなぁ!」
 ハラキリの解説を何度もうなずきながら聞いていたマードールは、話の最後に興奮冷めやらぬ様子で、いや、さらに興奮を増した様子で、両手で大切に抱え持つ色紙を胸に押し当てるとうっとりとため息を漏らした。
 彼女が驚嘆するのも……当然だろう。いかな『タネ』があったとしても、このパフォーマンスを成功に導いたものは、どれほどピピンと、特に芍薬へ強い信頼を預けているのだとしても、たった3mしか離れていない場所で迫る機体を前に恐怖の片鱗も見せなかったニトロの胆力にこそある。
「まあ、場数もそれなりに踏んではいますけどね」
 惚れ惚れとしてもう一度吐息を漏らすマードールにハラキリは喉を鳴らすようにして笑い、
「ニトロ君は、何より腹を括ると凄いですから」
「うむ、凄い」
 ニコニコとしてショーのエピローグを観ていたマードールは、ふと手の中の色紙に目を落とし、やおらニヤニヤと目元を緩ませた。その色紙にはニトロが書いたサインがある。それも『漫才師』としての彼が特別な時にだけ用いるデザインで『親愛なるマードール様へ』と宛名され、彼女の目の前で丁寧に書き上げられたものだ。
 ハラキリはサインを見つめるマードールを眺める内、サインをニトロに頼まんと向かう彼女の緊張っぷりを思い出して思わず吹き出しそうになった。
「? どうした?」
「いいえ?」
 ハラキリの態度は明らかに不審であるが、マードールにはどうでもいいことのようだった。彼女は上機嫌に再びサインを見つめ、その隣の余白に夢見るような視線を送る。そこにはティディアにサインを書かせる予定なのだ。『ティディア&ニトロ』のファンだというのは、心底、真剣に本当だったらしい。ティディアのサインはニトロが「書かせる」と約束しているから必ず得られるし、おまけに皆で記念写真を撮る約束もしている。それこそが今回の『お忍び』の最大の報酬だとでも言うように、セスカニアンの王女はもう呆れるほどに世界でただ一枚の宝物を愛で続けている。
「……」
 ハラキリは、目元も頬も緩ませっ放しのマードールを、瞼に焼き付けていた。
 おそらく、セスカニアンの王族が『外結界げかい』の人間にこのような顔を見せるのは、それこそかの国の制度が崩壊しない限りは歴史を通して無いことだろう。貴重な瞬間に立ち会っているという気持ちが沸き起こり、
「? どうした?」
 ハラキリの視線に気づいたマードールが問う。
 ハラキリは微笑んだ。そして彼が彼女の楽しみを増すべく“ショーの続き”を教えようと口を開きかけた時――
 部屋に、ピピンが戻ってきた。
「ご苦労。見事だったぞ」
 誇らしげな、またこれ以上ないほどの充実のこもった誉めを賜り、ピピンの顔が光栄に輝く。彼女は膝を突き、丁寧な辞儀をした。
「彼は?」
 問いに対して、“ハラキリ様のご自宅へ無事に送り届けた”と、マードールとハラキリの脳裏に理解が起きる。超能力者の主人は満足を見せ、それからハラキリに振り返った。
 その双眸は、話の続きを促している。
 ハラキリは王女とその部下のやり取りに奪われていた意識を、ふと直前にまで巻き戻した。すると、ピピンに対しては威厳を見せていたのに、今は無邪気な様子である王女の姿に――直前には無かった不思議な敬意までがふいに湧き起こり、彼は、再び微笑んだ。
 先ほどとは少しだけ違う微笑を浮かべたまま、エア・モニターに目を戻す。
 牡丹アンドロイドが送ってくる映像には変化があった。視野の隅に、18歳頃の少女の驚き顔が映りこんでいた。
 マードールもそれを見る。
それはニトロ君に瓜二つのアンドロイドです」
 少女が隣にいる恋人らしい少年に慌てて声をかけるのを尻目に、カメラが動いた。颯爽と人込みを抜けてその場を離れていく。
「服も?」
「帽子追加で」
「『大脱出』だな」
 楽しそうに笑うマードールへうなずきを見せ、すぐにあの少女がネットへ『滑走路にいたはずのニトロ・ポルカト』の目撃情報を書き込むだろう事を思いながら、ハラキリは言った。
「今夜は……カジノでよろしいんですよね」
「無論、変更なしだ。手加減しないぞ。派手に勝つか派手に負けるかだ。ああ、といっても、勝っていようが負けていようが『動き』があったら絶対に報せろ」
「承知しました。
 それから、明日の夕食はラッカ・ロッカで」
「ん、おお、予約が取れたのか?」
「キャンセルが出ましてね。ニトロ君とおひいさんが食べたコースを頼んでおきました」
「妾は幸運だな?」
「ええ。幸運ついでにこれでもかっていうくらい満喫していってください。アデムメデスを」
「ああ、楽しませてもらうさ。この星にも、この星の未来にも」
 マードールは満足感にまた鼻息を荒くしている。
 ハラキリは、誉れを頂いた接待役ホストらしく、丁寧に会釈した。

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