「ご立派でした」
 西大陸中央議事堂の王家控え室へ戻ってきたミリュウを迎えたのは、万感の思いに震える声と、涙の滲む眼差しだった。
「ご立派でした」
 もう一度繰り返したセイラの声は一度目よりも震え、嗚咽が必死に忍ばせられている。彼女の顔は赤々と紅潮していた。会議場でのミリュウの姿を、幼少の頃からお世話をし続けてきた主人が王女として確かに認められた瞬間を、それを目にしてからずっと、彼女は感動と誇りを胸一杯に溢れさせ続けていたのだ。
 ミリュウは――
「    」
 ――喜んでくれているセイラを、ミリュウは……どこか果てしない遠方の景色を見る思いで眺めていた。
「さあ、お疲れでしょう。お飲み物をご用意いたします」
 ミリュウが責任者を務めるブランド『ラクティフローラ』のスーツを着た――ブランドの路線ラインからあなたには似合わないと言っているのに、頑として聞かずに胸を張って着ているセイラがそう促してくる。
 そこでようやく、ミリュウは我を取り戻した。
 その瞬間――彼女の心に、ニトロ・ポルカトとその戦乙女に『殺され』、そこから蘇生した後に見た、あの美しい黎明の青空が広がった。
 思い通りに事の進む中にあって、それでも油断してはならないと引き締め直していた心と体。それが、震える。強く締め出していたはずの感情のたがが外れ、勢いよく溢れ出す。
 高揚感がミリュウの頬にも紅を差した。
 いつも自分を気遣い、自分を助け、自分のことを誇ってくれるセイラのいつも以上の歓喜。とうとう温かな涙がこぼれた彼女の眼差しに触れた我が目の奥にも熱を感じる。
「セイラ」
 今にも高らかに歌い出しそうな様子で茶の準備をする執事に、ミリュウは声をかけた。
 ティーキャニスターを手にするセイラが振り返る。
「――」
 その瞬間……ふと、ミリュウは妙な感傷を覚えた。見慣れたセイラの振り返る姿がかすんで見えたような気までする。そういえば、なぜ、わたしは彼女の歓喜を、始め、すぐそこにあるものとして感じなかったのだろう。
「ミリュウ様?」
 呼びかけておきながら、自分を見つめたまま何も言わないでいる主人に執事が声をかけ返す。
「……」
 ミリュウは、ふっと、その口元に笑みを刻んだ。
 そうだ、きっと、わたしはセイラの感動する姿があまりに嬉しかったのだ。そうだ。だから戸惑ってしまったのだ。
 ミリュウは紅の差す頬が持つ熱に温められた言葉を口にした。自分を支えてくれる存在へと、心から――
「ありがとう」
 セイラは息を飲み、また目を潤ませた。
 ――見る人を和ませる笑顔。
 姉姫様がそう表現して、また自らもそう思う大好きなミリュウ様の笑顔が、そこに、いくばくか戻っている
「もったいないお言葉です」
 感激のあまりにセイラが勢いよく頭を下げる。
 その拍子に緩められていたティーキャニスターの蓋が落ち、茶葉がわさりと床に舞う。
「あっ」
 セイラが失態に声を上げる。
「もう……」
 慌てて茶葉を拾おうと屈み込んだところ、今度はティーキャニスターを手からこぼして狼狽するセイラに歩み寄り、足元に転がってきた茶器を拾い上げながらミリュウは笑った。
「ドジなんだから」
 そう言ってティーキャニスターをセイラに突き出す。
 ミリュウの目は穏やかに細められ、それを見て、セイラも眉を垂れた。
「面目ありません」
「いいわ」
 茶器を受け取ったセイラが立ち上がり、ミリュウと目を合わせ……ふいに二人同時に吹き出した。
 特別何かが面白かったわけでもない。しかし、二人して何故か笑い出してしまった。
 肩を揺らすだけだった笑いはやがて喉を揺らして声を上げ、腹を引きつらせながら二人は息が途絶える寸前まで笑い合い――そうしてようやく落ち着いた時には、揃って笑いすぎて涙を流していた。
「セイラは、お茶を淹れて」
 ミリュウは涙をハンカチで拭きながら言った。
「掃除はわたしがするね」
「いえ、それは――」
「これくらいは、自分で」
 そう言う王女の顔には頑固だが素直な意志がある。もうすぐ18になる少女らしい、年頃の表情が、そこにある。
 セイラは、微笑んだ。
「それでは、お願いいたします」
「任せておいて」
 胸を張ってうなずくミリュウの調子はたかだかこぼれた茶葉の掃除に望むにしてはやけに大袈裟で、それに気づいた二人は顔を見合わせると、また笑い声を上げた。

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