「チューニング?」
 そういえば何度も繰り返されていたそれが、どうやら馴染みの装備品に関わるらしいことを知ってニトロは首を傾げた。
「今までそんなことをしたことなかったよ?」
「イロイロ新機能。バージョンアップシテ前トハ別物ナノサ」
 楽しげに指を立てて片目をつぶり、ウィンクのまたたきの端から「♪」のエフェクトを飛ばしたところで、牡丹の口と眼が「お」の形に丸くなった。
「――デモチョットオアズケ」
 唇を尖らせ全身で『せっかく張り切ってたのに』と主張する牡丹に、芍薬が声をかける。
「ヨク我慢デキタネ」
 誉められたのが嬉しかったらしい、牡丹の顔に輝きが戻る。
 そしてその牡丹の背後に――つまりニトロの正面に宙映画面エア・モニターが現れた。
 ニトロの顔が引き締まり、眼が画面に集中する。
 そこに映し出されたのは、西副王都ウェスカルラにある西大陸中央議事堂で行われている会議の様子だった。まだ始まったばかりであるらしいが、大会議場は既に騒然としている。
 演壇にはスーツを模したアフタヌーンドレスに身を包む少女がいた。明日には第二王位継承者の正装に身を包み、ティアラを冠し、国策を進める法案に署名する王女、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが。
 画面が四分割され、右上に王女が固定され、他三つは会議場の様子を追って映像を切り替えていく。切り替わり続ける画面を見れば、どうやら騒ぎ立てているのはその国策への反対派であるらしい。
 しかし、この件には既に決着が着いたはず。騒いでいるのもどう見ても少数で、今更反対しても詮無いことのはずだが……“騒然”はもはやアデムメデスの議会では割合珍しい野次となっている。飛び交う言葉を聞き分けてみれば、なるほど、ミリュウの『悪ふざけ』を格好の標的として責め、クレイジー・プリンセス・ティディアに比してずっとか弱い妹姫を怯えさせることで彼女に――万に一つの可能性でしかないが――再検討の表明を促させる腹か。
 議長が声を張り上げ静粛を求めている。
 騒々しさの中、ミリュウは演壇に佇んでいる。
 その表情にははっきりとした感情が窺えない。怒号まで飛び交う矢面にあり、もしや自失し立ち竦んでいるのだろうか?
(――いや)
 ニトロは、ミリュウの肩がわずかに上がるのを見逃さなかった。
 彼女は息を吸った。その腹には力が込められている。
<あなた方の気持ちは、理解しています>
 マイクを通してのこととはいえ、ミリュウの声は騒ぎの中にあって明瞭に、とても力強く響いた。
 そこには申し開きを試みようという様子伺いは無論なく、議論をする場で論外の事案を持ち出す未熟を叱責する素振りもない。それどころか議事を滞らせる者への怒りや苛立ちすらもない。ミリュウの声音には、ただ、むしろ己を責める者達への労わりがあった。
 ――これまでの第二王位継承者であれば。
 このような状況においては弱気を見せずとも頼りない顔で事態の収拾に当たっていたことだろう。そして力強さはなくとも、誠実な態度で相手と向き合い、特別に可でもないが不可もない姿勢でじんわりと主張を――姉姫の威光にも助けられて――論敵に受け入れさせようとしただろう。なにしろ、それこそが『劣り姫』の常道だったのだから。
 故に、ミリュウのその覇気に満ちた一声は、あらゆる場所に大いなる静寂を招いた。
 特に反対派の沈黙は重い。彼らの野次には――クレイジー・プリンセス・ティディアに比してずっとか弱い妹姫になら再度の議論を促せる――そう、明らかな『侮り』が少なからず存在した。だが、即座にその思惑が愚かであったことを、か弱いはずの王女に暴露されてしまったのだ。声を荒げていた者達は皆、押し黙ることしかできなかった。
<身を切る思いであるでしょう>
 ミリュウの声には優位を誇る示威も、いわんや優越感も存在しない。ひたすらに慈悲だけがある。
<身を焼かれる思いもあるでしょう。しかし我らはその苦痛を知っています。あなた方の苦悩を、それが生む叫びを、我らは、我らに敗北した者の貧しい遠吠えだと切り捨てることは決してありません。
 ――フルウェイン・テドム・スウェイン>
 カメラの一つが壮年の貴族を捉えた。名指しされた彼は驚愕していた。
<貴方の治める地が最も負担の強いられることを、我らは知っています。貴方に涙の陳情があることも知っています。そして貴方がそれらに応えようと奮闘したことを、我らは知っています。貴方は立派に働いた。貴方を例え誰が咎めようと、わたくしは貴方の誇りを我がこととして誇ります。貴方は決して、この案が可決されようと、決して民を見捨てていない、見捨てるはずもない、『我らが子ら』を守る勇敢にして貴き人です>
 スウェインの頬に、赤みが差す。
<クーヲン・アドルム>
 今度は老年の女性が映る。
<既に貴女が貴女の区民を助けるために次の策を講じ、その戦いを始めていることはわたくしの耳にも聞こえています。そのために任期を終えた後は区代表の座を望まず、区議選へ出直し、初心からまた始めようという貴女の気概は高潔と評する他にありません。貴女は実に素晴らしい。わたくしは貴女の貴女方の区の改革を、支持します>
 アドルムの唇が震える。
 ミリュウは続けて主要な反対派の二人の名を上げて彼らの主張に理解を示し、次いで賛成派の中でも難しい判断を迫られた二人を誉め、代表的な賛成派の議員と貴族の名を二人挙げ、その尽力を――ティディアの口添えと共に議案を可決に向かわせたその働きを改めて讃えた。
 その間、王女ミリュウの瞳は常に前を向いていた。一瞥たりとも下向かず、資料の一つも見ることもなかった。
 名を挙げなかった議員・貴族達にも配慮の言葉があった。この議決で苦しむことになる『我らが子ら』へ向けて語るメッセージ――『我らが子ら』の痛みを分かとうという意志に限れば、元来の『優しい王女』のイメージも手伝い、彼女はあるいは姉姫以上の説得力を持っていた。ニトロ・ポルカトに関係して“これまで”にはない変化を見せたとしても、やはり彼女の心には為政者の冷徹よりも優しさが勝るのである。彼女の声のところどころにその温もりが漏れ出している。そのため言葉の一つ一つに噛み締めるような彼女の実感が伴い、そうであればこそ一方でこの決断がもたらす未来の明るさを伝えるメッセージにも力が与えられ、そして、やがて、彼女の言葉がただの暗唱ではないことが皆の胸に刻まれていく。
 そこには、王女がいた。
 そこにいるのは『劣り姫』などではない。ティディアの威光がなければ、誰かに侮られるような少女はいない。
 誰が名付けたか『劣り姫の変』!
 もちろん、彼女の口にするものが希代の王女の入れ知恵ではないとは言えない。このミリュウ姫絶対有利の環境が姉姫にお膳立てされたもの、という大前提も、もちろんある。
 しかし、例え入れ知恵と大前提があったとしても、大きな決断を前にそれに関わる全てを理解し、その背景までも背負い、そうして演壇に立つ第二王位継承者の言葉を妨げられる者がこの議場のどこにいるものか。
 彼女は、確かに、あの希代の王女の妹だった。
 人徳に溢れる王と王妃の娘だった。
 そしてそれらにまとわれるのではなく、それらをまとい、彼女は自律している。
 ――見える。
 クレイジー・プリンセスをもしや制止できうる『良心』として、頼りなくも期待されていた妹姫への理想像が、その片鱗が!
「主様ノ言ッテタコト、ヨク解ッタヨ」
 芍薬が言った。
 今や海千山千の議員の並ぶ議場を完全に支配し、自身の威光をもって、姉の恋人を巻き込んだ『悪ふざけ』の価値をまさに“ただの悪ふざけ”に落とし込んでしまった小さなクレイジー・プリンセスを見つめ、真剣に。
「確カニ、マルデ生マレ変ワッタミタイダ」
 牡丹までもがうなずいている。
 ニトロは……少し、哀しかった。
「これが自然と、こうなっていたらね」
 彼女の変化は、疑いようもなく『劣り姫の変』のためだ。彼女は『ニトロ・ポルカト』を攻撃し、それを機に、あの強さを見せている。
 ――しかし、もしそうでなかったら――
 ニトロは左手の『烙印』を見る。
 彼はモニターの向こうの同い年の王女に憧憬を送らずにはいられなかった。
 どういうわけか、事ここに至っているのに、好意的な感情が湧き上がることが不思議でならない。
 彼の脳裏では、壇上に凛と立つ第二王位継承者の姿に、うずくまる彼女のイメージが重なっている。
 現実とのギャップにそのイメージはただの錯覚、あるいは己の誤認であったか? という思いに心が揺れる。
 しかし、逆に、錯覚や誤認などではなく、それこそが正答だったとしたら?――真実はうずくまりながら、なおあのように国民を背負い、堂々と胸を張れる同い年の少女に敬意を向けないでいられる理由があるだろうか。
「……やっぱり、両親似の良い姫様だと思うんだけどなぁ」
 ニトロは深くため息をついた。
 心に鮮やかに湧き上がるのは、時折、胸に芽生えていたあの気持ち。『王女として“優等生”であるミリュウの方が次期女王として適切なのではないか』という思い。
 ああ、本当に――しかしもしそうでなかったら!――
 この真面目で優しい王女の成長を、この雄姿をどれほど手放しで喜べただろう。
「残念ダネー」
 牡丹がどこか他人事のように、いや、事をよく解っていないのに同情を寄せるようにつぶやく。
 その調子が何故だかおかしくて、ニトロは笑った。
「本当に残念だよ」
 撫子が牡丹を寄越したのは、決してチューニングのためだけではないだろう。『三人官女』の中でも牡丹が特にそういう設定事に秀でているのは知っているが、それでも芍薬が劣っているわけではないのだから。
「ア、ソウダ!」
 と、その時、牡丹がうっかり忘れていたとばかりに声を大きく張り上げた。
「母様カラ伝言ガアッタンダ」
「何て?」
「御両親ハ、騒ギニナリソウダカラッテ有休ヲ取ッテモラッタ。今ハ家デ『ガーデンパーティー』ノ用意ヲシテイルヨ」
「パーティー?」
来客ヲモテナスンダッテ」
「ああ」
 ニトロは苦笑した。これまで両親がマスメディア関係者を無理矢理食事に誘ったことは何度もある。そのためにポルカト夫妻に情が移ってしまった者もいる。今回も、母の自慢の庭で満腹と戸惑いが渦巻くおかしなパーティーが開かれることだろう。
「ソレカラ、クレイグ殿ニ変ワリハナイ。他ノオ友達モ元気ダヨ」
「――うん。ありがとう、安心した」
「デ、最後ニ、ナンダケド」
 と、これまでは陽気に語っていた牡丹の様子が一変した。どうでもよさそうな様子でありながら、しかし口振りにはどこかバツの悪そうな感じを漂わせている。
 ニトロは何となく既視感を覚えながら、先を促した。
「エットネ、メルトンノコトナンダケド……」
「ああ」
 と、ニトロは目を上向けた。そういえば、メルトンが撫子にビンタされたとかなんとか聞いていたっけ。
「メルトンがまたどうかしたの?」
「何トカ一命ヲ取リ留メマシタ」
「……」
 ニトロは芍薬に振り返った。
「……」
 芍薬は口をすぼめるように表情を固めた。
「…………死ぬほど痛いって、真面目に言葉通りだったんだ……?」
 ニトロの問いに、芍薬はうなずく。
「御意」
「ウンウン」
 姉の乾いた肯定を妹のしみじみとした肯定が追いかけて、そして、撫子の子二人の声が重なった。
「「ソリャモウ、死ヌホド痛インダヨゥ」」

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