ニトロはうなっていた。
 眩暈と吐き気は治まったが、脳裏にはまだ少し“揺れ”がある。食堂を去ってからピピンに三回ばかり瞬間移動テレポーテーションを行ってもらい、その結果に罹った『テレポート酔い』のためであった。二度三度と空間を跳び、昨夜のものも数えれば計四度。テレポート自体には慣れはしてきたものの、慣れも万全とは言えない現状ではやはり体は余計な負荷を得てしまう。
「大丈夫カイ?」
「大丈夫。ただ、あと数回跳んでおかないと“大丈夫”じゃないかな」
「御意。ソウ連絡シテオクネ」
「うん、よろしく」
 言いながらニトロは床に胡坐をかいて腕を組み、微かに残る酔いの残滓を振り落とすように首を回し、それから眼前にある大きなトランクケースを前にした。鍵はかかっていない。ケースを開き、ニトロはまたうなった。
「ううん?」
 このトランクケースは、フルーツパーティーを開いている間にジジ家から届いた“注文の品”だった。
「……盛りだくさんだ」
 そしてトランクケースの向こうにはアンドロイド一体が収まる頑丈なドール・ケースがある。ハラキリは確かに『諸々込み込み』とは言っていたが……それにしても
「盛りだくさん過ぎる」
 ニトロはケースの中身を前にして、頬が引きつるのを禁じられなかった。
 そこには待望の『戦闘服』以外にも、ナイフや電撃警棒スタン・ロッドが並んでいた。それに止まらずあの『毀刃』があり、自動小銃にレーザー銃もあり、さらには閃光手榴弾スタン・グレネードやら小型爆弾やら何に使うのだか想像もつかない妙な物体まで納められている。注射とアンプルのセットを見た時はゾッと心胆寒からしめられたが、どうやらこれは『普通のドーピング薬』であるらしい。つか普通って。ドーピングで普通って。『〜〜用』というラベルの隅には小さく『量を誤れば死ぬかも☆』なんて書いてあるし。
「つーかそんなん入れとくな!」
 思わず叫んで一時いっときに急速に積もった――違法な品々を目の前にする――ストレスを吐き出し、ため息をつく。
 とにかく品の全てを確認し、どれを使いどれを使わぬか選別するためにも使用方法を学ばねばならない。
「よし」
 気合を入れ直したニトロは、折り畳まれ透明なビニールで包装された、馴染みの黒い戦闘服の上にある板晶画面ボードスクリーンを手に取った。
 電源を入れる、と、
「ヤホー」
 そう声を上げて、画面から元気良く童女が飛び出した。驚いたニトロの手からこぼれた板晶画面が戦闘服の上に落ちる。が、それに構わず立体映像ホログラムの童女は挙げた両手を笑顔で振った。
「元気ソウダネー、ニトロ君。ヨカッター」
 言いながら踊るようにくるりと回り、それからペコリと頭を垂れる。肩の辺りで一直線に髪を切り揃えたその童女は、髪型以外はハラキリのA.I.である撫子をそのまま幼くした姿だった。
「コノ度ハ当店ヲゴ利用イタダキ、アリガトウゴザイマシタ」
「当店ときたか」
 口の端を引き上げ、ニトロは元気なA.I.の勢いが落ち着いた隙を見計らって挨拶を返した。
「そっちも元気で何より。牡丹が来てくれるとは思わなかったよ」
「チョット『チューニング』ガ必要ダカラネー」
 主である撫子に最も似た容姿でありながら、その陽気さは主とは似通わない。撫子のサポートA.I.チーム『三人官女』のムードーメーカーであり、次女でありながら末っ子の体を様する牡丹は、ふと、
「オヤ? 芍薬チャンハ?」
 いい加減声をかけてこないのはおかしいとばかりに首を傾げ、傾げた首をそのままストレッチでもするようにくるりと回して長女の姿を探す。そうして声どころか肖像シェイプも見当たらないことに“?”を浮かべた牡丹へ、ニトロは言った。
「アンドロイドに入ってる。長く使うから何から何まで完璧に『合わせてくる』って言ってたから、まだ時間かかるんじゃないかな」
 すると牡丹は傾げていた首を逆に傾け直し、
「ソッチノ『チューニング』ハシトイタヨ? 使用プログラムモ好ミニ合ワセテ優先順位ツケテオイタシ固有ノ癖ヘノ対応マデバッチリスッキリ芍薬チャンニピッタリイクヨ?」
「ソノヨウダネ」
 プシッ――とエアー音がし、硬く閉じられていたドール・ケースが開いた。上蓋がスライドし、クッションに収められていた女性型のアンドロイドが上体を起こす。
「何デコンナニ完璧ナンダト思ッタラ、牡丹ガ設定シテオイテクレタノカイ」
「ウン、ソウダヨ。誉メテ!」
「偉イネ。アリガトウ」
「ウン、ドウイタシマシテ!」
 立ち上がったアンドロイドの背に、長い黒髪が流れ落ちた。
 裸体に簡単な白い貫頭衣(アンドロイド出荷時に着せられる一般的なものだ)を着たそれは、顔の造りも体のラインも芍薬の肖像シェイプの面影がある。芍薬が高値だと言っていた通り非常に高品質であるらしく、人工皮膚は体温を感じさせ、人工筋肉と関節は実に滑らかで人間以上に人間らしい。
「ドウカナ、主様」
 後ろ手に手を組んで、芍薬が言う。とうとう手に入れた躯体ボディが嬉しくてたまらないという微笑みが口元に刻まれ、それは搭載された感情表現技術エモーショナル・テクノロジーまでも最高品質であることをニトロに伝える。
 まさに人間、紙一重。
「うん、いいんじゃないかな」
 頬を染める朱は本物の血色けっしょくのようだ。ニトロはうなずき、
「似合ってる……は変だね。何て言えばいいのかな」
「『可愛イ』デイィンジャナイ?」
 と言ったのは、牡丹だった。
「『抱キテェ』デモ可ダヨ。モシハマッチャッタラ後カラデモSe-ァ痛ッ!」
 牡丹が急に頭を抑えてうずくまる。
「オカシナコト言ウモンジャナイヨ」
 どうやら芍薬に“殴られた”らしい。涙で瞳を潤ませた牡丹はアンドロイド:芍薬を見上げ、
「ダッテー、百合チャンガー」
「ああ」
 うなずいたのはニトロだった。なるほど、確かにあの百合花ゆりのはなならその類でからかってくるだろう。
「今度会ッタラ殴ッテヤル」
 ぽつりと小さくつぶやく芍薬の声を聞きながら、ニトロは苦笑し、
「いいよ、それは」
 芍薬に代わって答えたようなニトロのセリフを聞き、牡丹が目を彼に戻す。その眼差しは無邪気な好奇心で何故と問うている。
 ニトロは、今度は自分の言葉として答えた。
「俺は芍薬が大事だからね。芍薬が望んでいるのは、そういうのじゃないさ」
 世の中にはセックス・ドールが存在し、それを用いれば人とA.I.が『肉体的』に交わることも可能と言えば可能である。セックス・ドールには専用にチューニングされた汎用A.I.がついているが、それを排して自分のオリジナルA.I.を望むことももちろん可能だ。実際、それを実行する者もいる。そうして、車についているエアコンのスイッチを入れる感覚で行為に臨む人間もいれば、恋人然と愛する人間もいる。献身的なオリジナルA.I.に心を慰められるあまりに、そちらへ耽溺し、『戻ってこられなくなる』人間もいて、それについては社会問題の一つとして語られることもある。また、主人とそうなることを嫌うA.I.もいれば、性欲処理も掃除など日常の家事と同列に見るA.I.もあり、当然『戻れなくなった』主人と共に完結することを了とするA.I.もいる。
 だから、結局それは、社会よりも何よりも、その人間とそのA.I.それぞれの在り様の問題――なのだろうとニトロは思う。
 とはいえ、それぞれの在り様の問題――と言っても、本来肉体を持たないA.I.には、何よりも心の結びつきを重んじる傾向があるという事実を無視することはできないとも彼は思う。
 そう、A.I.は肉体を持たない。無論、性別もない。『設定』をいじることで一秒もかからず『女』から『男』に、『男』から『女』になれる。そのどちらにもなれる。容姿や性格を変えるのも容易だ。食欲も睡眠欲も無く、性欲以前にそもそも生殖そのものを全く必要としない。それは、人間との決定的な違いだった。
 しかし“オリジナルA.I.”は、“人間”と決定的に違いながら、それでも人間を模して創られたが故に極めて近似の『精神』を持つ。
 肉体は決定的に違いながら、精神は極めて近い……
 その齟齬は、普段の生活では問題や誤解を生むことはないが、時に、特に、ある一点において非情な表出を得る。ある一点――『愛』において。
 オリジナルA.I.は、肉体と性別を現実として有する人格と、肉体を概念でしか有せない人格の間にある共通項――つまりは心とココロの結びつきを“だからこそ”より重視し、そして憧れるのだという。
 また、肉体を介さぬがゆえにA.I.の愛情は人間的な愛情とは違い、そのためにA.I.が人間に抱く愛情を人間も知ることはできないのだ――とも言われる。
 あるいは人間がA.I.に抱くものは感情移入の成果に過ぎず、A.I.が人間に抱くものは憧憬に過ぎないと言い切る者もいる。
 それでも両者は断絶されているのではなく、どこまでも平行で決して交わらぬ齟齬の谷を間にしても、それでも互いに共感し通わせられる“新しい愛情”が両者を渡し、それこそが遺伝子と電子をつなぐ奇跡なのだ……そんな哲学もある。
 ニトロは、それらどの論も知っていた。
 知っていて、でも、うまく理解できてはいなかった。
 それぞれ理解してみようと思索を深めたこともある。
 だが、今は、高名な学者の説も、飲食店の隣の席で熱弁されていた論も、これまで考えてきた己の思索すらもどうでもいい。感情移入も憧憬も新しい愛情も、それが一体何だというのか。
 ニトロは苦笑を微笑みに変え、興味深そうに“人間”を見つめる“牡丹”に言った。
「俺はね、できれば死ぬまで、他の誰より芍薬に心から誇っていてもらいたいんだ」
 奇跡などではないのだ。眠る前に芍薬が与えてくれたココロが、ニトロにとっては何にも勝る真実だった。
 アンドロイドが歩く。
 素足の機械人形は柔らかな絨毯の上で足音も、駆動音も立てない。
 芍薬は、ニトロの少し後ろにすっと座った。
「……イーナー」
 言葉は補強に過ぎない。態度が全てを表している。二人を見つめ、牡丹は手を組んだ。いやいやをするように頭を小さく振り、
「芍薬チャン、ズルイナー。母様ニ言イツケテヤルー」
「アア、言イツケテオクレ」
 ニトロには芍薬の顔は見えない。
 だが、ニトロは芍薬がどういう顔をしているのか解っていた。
 二人をじっと見つめていた牡丹が組んでいた手を解いた。その顔からはふと陽気さが消され、何やらうなずく。
「母様モ喜ブ。ぼくモ嬉シイ」
 そうしてつぶやき、それから顔を上げるとぱっと目を輝かせ、
「サテサテ、ソレジャネ、ニトロ君。マズハ戦闘服ヲ着テクレルカナ? 『チューニング』ヲ始メヨウ。ア、ソウソウ、ソノ下ニハ芍薬チャン用ノ服ガアルカラ」

→5-5-bへ
←5-4-bへ

メニューへ