楽しい時間ほど早く過ぎる。
 暑気を軽減する窓から注ぐ陽光に温まる静かな食堂で、マードールは、心と腹を満たした幸福の余韻に浸っていた。
 ニトロ・ポルカトのフルーツパーティーは、和やかに温かく穏やかで、しかし上品ぶらず、気兼ねもなく、まるで家族ぐるみの付き合いのある二家が取り交わすような空気があった。まるで――ハラキリ・ジジという兄を持つアシュリーが、兄の友と馴染み深く触れ合うような……決して一度も味わったことがないのに、なぜか懐かしく感じる空気があった。
 会話はニトロとハラキリが中心となり、他愛のない話、学校で起きた面白事件、皆の共通の話題であるティディアに関わる馬鹿なエピソードを聞かせてくれた。そこに二日酔いのない芍薬とピピンが合いの手を入れるように話題を広げ、マードールは痛む頭も忘れて笑いながら時々口を出すだけで、それだけで、ああ、何と愉快だったことだろう。
 およそ二時間の時が、一時間にも、その半分にも感じられた。
 マードールはこの空気をもっと長く味わっていたいと思ったが、しかしそれは、彼が持ち出した『お願い』のために幕を閉じることとなった。
 それからしばしの時が過ぎ、やおら、
「……それにしても、本当に驚いたな」
 マードールは、つぶやくように言った。
 彼女の視線の先にはほんの数十秒前まで彼のいた空間がある。『準備』を手伝うことになったピピンに瞬間移動テレポーテーションで送られる直前、彼は一人の女友達に向ける笑顔を浮かべていた。
「彼の決断に?」
 マードールの小さな声に応えたのは、彼女と同じくテーブルに残るハラキリだった。彼はぼんやりと天井を眺めながら、ニトロが淹れていったハーブティーを飲んでいる。彼女は小さく首を振った。
「では、二日酔いを見破られたことに?」
「いいや」
「では?」
 ハラキリの促しにすぐには応えず、マードールは今一度ニトロのいた席を見、深くため息を吐き、言った。
「たった一眠りの間に、人はあれほど変わるものか」
 昼食の席を取り持った少年には、昨夜、他国の王女に次代の王と呼ばれて動揺していた面影は欠片もなかった。この部屋に入ってきた時から既に、おそらくは部屋に来る前から既に。ニトロ・ポルカトは常に堂々として、しかし自覚した己にかかる重荷と重圧を背負ってみせる! というような勇ましさを漂わせるわけでもなく、ただただ真っ直ぐに立つ一人の自然体としてそこにいた。
「拙者も迎えに行った時、驚きました」
 ハラキリはマードールに顔を向け、思い出し笑いをするように目尻を細めた。
「――面白いでしょう?」
 マードールは小首を傾げるようにして同意を返した。その拍子に、果物のお陰か、沁みいるように楽しかった昼食のお陰か、気づけば二日酔いの苦悶は今やどこかへ行ってしまっていたことをはっきりと自覚する。そして、思えば、ハラキリには馬鹿な戯れだと笑われたこの『二日酔いの満喫』が、ニトロ・ポルカトがいたことで思わぬほどに良いものとなったことにも気づき、自然と頬を緩ませる。
「どうしました?」
 マードールの笑みが自分の言葉に対するものではないと察して、ハラキリが問う。
「彼の人柄だろうな。悪酔いが逆転したよ。とてもいい気分だ」
 ハラキリはマードールの言葉の裏に、「馬鹿な戯れ」と彼女を笑ったことへの言い返しがあることも察した。しかし彼はそれに堪える様子は全くなく、いつも通りに飄々として、
「彼は、だからこそ『ニトロ・ザ・ツッコミ』なんでしょう」
「? どういうことだ?」
「恐ろしく酷いボケも、ツッコミいかんによっては笑えるようにもなるってことです」
 マードールはハラキリの言葉の裏に『クレイジー・プリンセス』に対する『ニトロ・ポルカト』の存在が滲まされていることを察した。
「なるほど」
 マードールはハーブティーを飲んだ。ハラキリも、香り芳しい茶を飲む。
「その上、観察眼に洞察力まで鋭いか」
「例の天敵のお陰で鼻が利くんですよ、何かと」
 マードールは二日酔いを見破られた事を今更恥じるように肩を小さくすぼめる。
 会話が途切れ、ふとした沈黙が訪れた。
 沈黙の中、マードールはそれに引きずられるように黙考を始め、ハラキリは……友との会話のある部分を、思い返していた。
 ニトロ曰く――「ティディアのチュニの『嘆き』の話、どう思った?」

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