「親愛なるセスカニアンの姫君に、我がアデムメデス自慢の果物をご賞味いただきましょう。僭越ながら、私めが調理をさせていただきます」
どこかおどけた調子でニトロは言い、丸々と肥った柿を手に取った。ヘタを素早く抉り取り、
「こちらはカッドメル特産の夏柿です。風味豊かで糖度が高く、人気も高くてなかなか手に入らないのですが――さすがはホテル・ベラドンナ、素早く用意してくれました」
語りながら、ニトロはすらすらと皮を剥いていく。その手慣れた様子にマードールが思わず見惚れ、途切れることなく薄く受け皿の上に落ちては巻き積まれていく皮の様子にハラキリが感心の目を向ける。
「二日酔いには、柿が良いと聞きます」
と、そこにニトロが言った。
ぎくりとマードールの顔が固まり、その反動で、とても頭が痛そうに彼女は顔をしかめた。
「即効性の『酔い止め』を飲まないのは、折角の二日酔いだから?」
にこやかにニトロは言う。手元では皿に置かれた剥き柿が八等分されていく。
さらにもう一つ柿を取り、同じように手早く切り分けたニトロは切り身の一つに銀製の楊枝を挿し、二つの皿を手にすると、まずマードールの下へ向かった。
「それも今後一生に一度も味わえるかどうか分からないから……というところでしょうか」
コトリと皿を置かれ、言われたマードールは降参とばかりに吐息をついた。アルコールの臭いがした。きっとあれから、しこたま飲んだのだろう。
「よく分かったな」
マードールの瞳に会釈を返し、ニトロは身を翻した。歩き出しながら、
「その薔薇は食卓に向きません。料理の香りを台無しにしてしまいかねないこのフラワーアレンジメントは明らかなミスです。しかし超VIPルームの担当者がこんなミスをするはずがありません――もちろん、頼まれない限りは」
ニトロはハラキリの前に、もう一つの皿を置いた。
「この花がこの場に相応しくないことは殿下もご承知でしょうが、しかしそれでも置かれているのは、あえて、でしょう。となれば考えられる理由は何らかの演出か、臭い消し。――ハラキリからアルコールの臭いはしていましたから、正直、意味はなかったかと」
席に戻り、ニトロはにこりと笑って、
「アシュリーは当然そこにも考えをめぐらしていたでしょう。なのに、やっぱり、あえて、ハラキリを使いに出した。
願いを受け入れる際には使者を立てる……でしたね、セスカニアン王室のしきたりは。“それゆえに『渡り』は栄光もたらす使いとなる”。そしてこれは、それを起源にしてセスカニアンの一般的な礼儀そのものにもなっていると」
ニトロはぽかんとしているマードールに笑みを向け、
「それならピピンさんを寄越せばよかったのに」
「君を無闇に驚かせないためですよ」
答えたのはハラキリだった。
ニトロは彼に目をやり、
「それからハラキリが『アシュリー』が呼んでるって言ったのに、迎えたのは『マードール殿下』だったのもおかしかったかな」
「昨日の調子とも違いすぎたし?」
今度はマードールが応える。
ニトロは彼女に目を戻し、
「ついでにツッコめば――バレッバレですよ、アシュリー。二日酔いの苦悶を誤魔化し切れてません」
ニトロは笑った。脳裡には、二日酔いに苦しむ両親を介抱した記憶がある。
「『初代料理長の三層ドリア』とか『ヴァンベルグ牛のビッグチーズハンバーガー』とか、ホテル・ベラドンナ名物を頼まれたらどうするつもりだったんです?」
彼に言われたマードールは気分悪そうに「う」とうめいた。もし本当に頼まれていたら、彼女はトイレに駆け込むはめになっていたかもしれない。
「……いただく」
どこかしょぼんとした様子でそう言って、ニトロのさらなる“ツッコミ”から逃れるように彼女は柿を口にした。――口にして、頬をほころばせた。
それを目にしたニトロは目を細め、それから部屋の隅に視線を飛ばした。
「ピピンさんも、一緒に食べましょうよ」
ピピンは軽く会釈を返してきた。それは断りの会釈であったが、
「樹木に生る実は聖なるかな」
すかさずニトロはそう言った。彼の手にはリンゴがある。ピピンの尖った耳が、ぴくりと動いた。ニトロはさらに言う。
「偉大なる母、大いなる森林の恵みを分かつ、それすなわち、共に
セスカニアンの人間は樹木になる実を好む――その理由を端的に示す神話の文言を語られては、ピピンは降参する他なかった。何故ならそれを言われた上で断るということは、すなわち『共に生く』ことを拒否することになる。もちろん語られた言葉に何か呪術的な意味合いがあるわけではなく、そう言われたところで断ることに禁忌があるわけでもない。しかし『次代のアデムメデス王』と良好な関係を築きたい主人との兼ね合いを見ればその言葉が持つ力は絶大だ。そして、それを踏まえた上で、あの少年は語っている。
だが、降参したというのに、ピピンはそれでも二の足を踏んでいた。
マードールを窺い、主人のうなずきを得てもまだ足は鈍い。
(ああ、そうか)
そこでニトロは、ようやくピピンを躊躇わせるものの正体に気がついた。強引に事を進めて悪いことをした――と思うと同時にフォローの手管を探し、
「ここはアデムメデスで、俺はアデムメデスの人間です」
ピピンは、はっとしてニトロを見た。その表情、そしてそのガラス製の眼球の奥に、ニトロは彼女の“双眸”を見た気がした。
「そして。この昼食の席を任されたのは、アデムメデスの習慣に生きる者です」
そこからは洒落めかせてニトロは言った。
「さあ、このニトロ・ポルカトのフルーツパーティーに、アシュリー様とピピン様、ご両名をご招待いたしましょう」
主人の設けた席に座る事を善しとしない従者は、ここでそのセスカニアンの習慣から解かれた。この瞬間からこの席の主催はニトロに移り、かつ、その招待を受けたにも関わらず主人を差し置いて拒否を、躊躇いを返せば、それは主人の不名誉となる。
ピピンは初めて笑顔を見せた。従者として慎んでいた笑みではなく、おそらくはそれが彼女自身の笑顔なのだろう。柔らかな笑顔で一礼した彼女は、ちょうどハラキリの向かいに座った。
――と、その時、テーブル上の花のブーケが宙に浮いた。
ピピンの
もはや役目を失くした花束はふわりふわりと最後の香りの尾を引いて、別室に移っていく。
それを見届けたところで、
「何を食べますか?」
質問したニトロは手に持っていたリンゴを置くと自然と柿に伸ばし、要望通りにヘタを抉り取ろうとして――
「?ッ!??」
驚きのあまり彼は思わず柿を取り落とした。さらに危うくナイフで指を抉りそうになって「うわぅを!?」と顔を引きつらせる。いや、その顔を引きつらせているのは、何よりもピピンが主人の頬を緩ませた柿を食べたいということを声も言葉もなく理解させられていたことにあった。
「ほら、無闇に驚いた」
マードールが『アシュリー』の口調で、コメカミを押さえながら苦しそうに言う。ニトロのリアクションが面白かったのだろう、笑いを堪えようとして堪えきれずに肩を震わせ、そのため頭痛が増して悶えているらしい。
「そういう
「そりゃ慣れればそうだろうけどねっ」
飄々としたハラキリの指摘に言い返しつつ、ニトロはテーブルに落とした柿を自分のものとすることにしようとしてやっぱりピピンのものにしていやだからおうおおう?
「……ちょっとした仕返しですか?」
『同時進行する二つの理解』のどちらに従えばいいのか分からなくなったニトロは、思考を整頓する間を取るように、ピピンを小さく睨んだ。ピピンは素知らぬ素振りで首を傾げる。
「…………」
ニトロは一度目をつぶり、一つ大きく息を吸った。思案顔で肩を落とし、それからピピンを改めて見る。
「嫌いなものはありますか?」
牛や豚肉と理解できる。が、ベジタリアンではないらしい。つまり獣肉を好まず、鳥料理はむしろ好きだとまで一瞬で――それこそ元から知っていたように――知る。
「アデムメデスは初めてですか?」
肯と理解できる。
「どうです? 結構、いい星だと思うんですが」
肯と理解できる。
その最中にニトロはかごから柿を取り上げ、八等分にしていた。ついでに無意識の内に瑞々しいブドウの房を手に取り、それがピピンの意思を受けてのものだと気づいて苦笑する。
「なるほど」
先ほどのハラキリの指摘は間違いだと、ニトロは思った。これは『操られているような』気がしてくるどころではない。まさに『操られている』ようだ。
「セスカニアン王室の秘密主義のルーツが良く分かりました」
ともすれば皮肉になるであろうセリフではあったが、ニトロにその意図はなく、屈託のない彼の反応にピピンは微笑んだ。
ニトロは彼女の要望に従い小振りだが重量感のあるブドウの粒を五つ、柿に添えて彼女の前に皿を運んだ。
ありがとう――と、理解する。
「どうしたしまして」
と、応える。
早速柿を齧ったピピンの頬がほころび、美味しい――と理解して、ニトロはまるでその果実を作った者のように微笑んだ。
「もう慣れたのか?」
彼の様子を見て、そう言ったのはマードールだった。
「まだですよ。慣れてはきましたが」
「慣れ出すのだって早いよ。お兄ちゃんだってもう少しかかったのに」
アシュリーの口調で――頭痛を招かぬように声を張らず――続けられた言葉に促されてハラキリを見ると、彼は肯定のうなずきを返した。
ニトロは、なんとも言えぬ複雑な苦笑いを浮かべ、
「まあ、イベント会場では次々変わる事態に追いついていかないといけませんからね。そりゃ
少しだけ嘆息を吐いて、ニトロはマードールの皿に目をやった。柿はあと二切れ。次の要望を窺う眼差しにマードールが応える。
「他の、お勧めは?」
「どれも特級品ですが……」
ニトロは淡い黄緑色の球を手に取った。水分の凝縮した重みを感じながら、言う。
「およそ一年、氷室で保存されることで甘味と旨味を増すティグヲンの『眠り姫』はいかがでしょう」
梨を手に品種名と特徴を暗唱するニトロを目に、マードールは思わず想像してしまった。
料理好きな父と園芸好きの母を持つこの少年は、もしかしたら、小さな店でも構えてこんな風に客に接する愛想の良いシェフとして生きていたのかもしれない。そうでなくても商品知識豊かな営業マンとして――と、もはや消失している穏やかな彼の
「水分も豊富で、美味しいですよ」
ニトロがマードールの笑みに応じて微笑む。
セスカニアンの王女は、少年の笑顔に深い憧憬にも似た感傷を覚えながら、しかし口元には笑みを刻んで答えた。
「うん、それを頂戴」