芍薬との相談を終えたニトロは、まずティディアの情報を拾った。
 妹の行動への言及があった会見、クロノウォレスへの道中での――随行者らとの談話など――ティディアの言動をまとめた王家広報の報告書、そして先方国で盛大な歓迎を受けている第一王位継承者(と、その隣に立つ藍銀色の髪の麗人)の様子をチェックする。
 何点か、引っかかりを覚えることはあった。
 しかし、残念ながらそれらは妹姫の動機を解明する鍵――とは全く言えず、そもそも論外の方向へ気になる事ばかりだった。
 会見での妹姫の行動への反応は『楽しみ』だの『ニトロに任せる』だのとふざけた主張はあったにしても、芍薬の言う通りに全てが想定内。女執事が伝えてきたバカ姫の様子から逸脱した模様もない。
 ただ、ちょっとだけ、あのミリュウ姫が聞いたら大喜びしそうな――あいつまでもが『あの程度』と口にしていた――コメントの数々は、もしかしたら、良心の呵責とか、罪悪感とか……あいつは妹に対してそういうものを感じているのだろうか……とも思う。ひょっとしたらあれは妹へのリップサービス、あるいは励ましだったのかな――と。
 もしそうだとするなら(だとしてもそれについて文句の十や二十はあるものの)ここに可及的速やかに真意を問わねばならぬことはない。
 そう結論付けたニトロはティディア関連情報への重要度を格段に下げ、それからはひたすら妹姫へ関心を向けた。
 ――誰が名付けたか『劣り姫の変』。
 いつしかそう総称されるようになった本件に関わりそうな情報収集・整理を芍薬に任せ、適宜情報のアップデートを受けながら、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナという人間の復習とその人物像の修正に、ニトロはそれからの時間の全てを費やした。
 朝食、トイレ、何をする間にも眼前に芍薬が的確に編集した情報の載る宙映画面エア・モニターを表示し、彼は極めて集中して情報の取捨と整頓をし続けた。ティディアを相手にするように。精神と意識を研ぎ澄ませてミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナに相対した。
 その中で、ニトロが特に目を引かれた情報は三つ。
 一つは、『プカマペ教団』のキャラクター紹介。

●――神官アリン:メッサリティの湖岸にて伝説の八枚羽の魔竜に遭遇。成す術も無く飲み込まれ、死ぬ間際、死滅していく脳細胞がプカマペ神の愛波動を華麗にキャッチ。神託を授かり、己の使命を悟る。我が命は魔竜の命をつなぐためにあらず、女神がこの世に顕現するための供物としてのみ存在が許される! 天命のために死すことを望むアリンの誓言を聞き届けたプカマペ様の雷槌が魔竜を射ち、いずこからか飛来した剣が魔竜の腹を割いた。人間アリンは死んだ。竜の腹から再誕せしプカマペ神の徒、神官アリンの死に瀕する体は、戦地へ赴かんと馬車を曳きやってきた大天使…ポの御業により女神に最も近しい者の姿と神変しんぺんす。神官アリンを救いし神剣は一輪の花と変わり、以来、教団の象徴イコンとして太陽を讃える。――●
 ツッコむべきかツッコまぬべきか。電波チックなはずなのに妙に生真面目な裏設定と文章が残念でありこういうカルトを演出するなら変にお行儀ぶらずにもっと狂ってはっちゃけて! とダメ出ししたい気持ちはまあさておき。
 解っていたことではあるが、神官アリンのモデルはミリュウ自身に違いない。一度死に、蘇生後は女神のために――などと言うのは、まさに彼女の生の写しだ。

●――信徒ルリル:親に売られそうになっていたところ、神官アリンに救われる。当時は心身ともに傷つき、正気を失っていた。神官アリンの下、プカマペ様の愛波動を毎日毎夜浴び続けることで平常心を取り戻し、プカマペ様のため、神官アリンのために命を捧げることを誓う。神官アリンに倣い、女神がその神業の片鱗を見せた――女神が初めて死の淵より蘇生させた人間の姿へと全身を改造した第一の信徒。悪魔ニトロ・ポルカトを屠るためにその命を糧として神徒を召喚し、悪魔と、その使い魔と死闘を繰り広げるが、力及ばず無念にも殉教する。――●
 ……おそらくは。
 この“信徒ルリル”もミリュウがモデルであるのだろう。なぜなら、ミリュウが女神の……ティディアのために殉教する第一の座を他人に明け渡すはずがない、ニトロはそう考えた。
 となれば、気になるのは『正気を失っていた』という点と、『プカマペ様の愛波動を毎日毎夜浴び続けることで平常心を取り戻し』という点。
 特に――『正気を失っていた』? それは、正気を失っていたというその心境は一体何なのだろうか。こちらとしては、今こそ正気を失っている、あるいは失いかけているように思えるのに……。
 ただ、愛波動(=ティディアの影響だろう)で彼女が平常心を取り戻したという心境は、彼女が姉を心の支えにしているということに照らし合わせて何の不思議もない。むしろ至極自然であり、物理法則のように美しい式にも感じる。……だからこそ逆に『正気を失っていた』という記述がミリュウの正直な告白に思えてならなくもなるのであり――

●――神徒ルリル:信徒ルリルの女神様への愛が天界の門を開いた際、そのド根性にプカマペ様が流した感涙が門を通ったことで生まれた巨人。信徒ルリルの命を糧に存在を得、彼女とは一心同体である。醜く恐ろしい姿はすなわちニトロ・ポルカトの本性を示す。畢竟ニトロ・ポルカト内心の鏡像である。表面上は善人を取り繕う悪魔に騙されてはいけない。――●
 ニトロには思うことがあった。
 もしかしたら、あの『醜く恐ろしい姿』は――もちろん『ニトロ・ポルカト』への心象を素直に形にしただけかもしれない。が、しかし、もしかしたら――あれは、ミリュウ姫自身が恐れるものを形にしたものではないのだろうか。信徒ルリルが彼女の写しの欠片であるのなら、信徒ルリルが正気を失っていた理由は“その恐ろしいもののため”ではなかったのだろうか。だから、“それ”から彼女は女神に守られて、やっと平常心を取り戻したのだ――と。
 無論、これが単なる誤読と勘違いとこじつけを漉した末の駄推理である可能性は高い。
 しかし、神官アリンが明らかにミリュウ本人の自己投影だと思えるからには、造られたもの全てに対して彼女の心象風景が投影されているように考えてしまう。いや、きっと彼女は死ぬほど――誇張でもなんでもなく、死ぬほど頭を絞って今回の計画を立てたはずだ。ならば、それが故に“全ての意味”に彼女の心象風景が投影されていると考えずにはいられない。
 ヴィタの言葉がこだましていた。
 ――『凶暴な、あの巨人、その行為。それを生んだのは、ニトロ様をティディア様の隣から排除しようというお心にあることは間違いないでしょう。しかし、そのお心の正体は何なのでしょうか。』
 ――『あの悪夢を元に造型したかのような巨人と、ニトロ様の死を祈る「ミリュウ様達」の姿を見るにつれ、私は次第に判らなくなってしまいました。ティディア様を絶対視し、ティディア様の言葉通りに従うミリュウ様が、ティディア様を手本としながら手本にはないものを生み出し、さらには絶対なるティディア様から逸脱するほど一体何に駆り立てられているのか』
 プカマペ教団というふざけた新興カルトの、原作者ハラキリの真意から何光年も離れてしまったその設定集を読むニトロの鼓膜の裏から目の裏にかけて、ヴィタの声が同じ距離だけ、何往も何復も走り続けていた。
(……思っていたより複雑な人なのか……)

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