「なあ」
「はあ」
「ニトロ君は、妾のこと、本当は嫌ってないか?」
「急に一体何の被害妄想ですか」
 水を口に含もうとしていたハラキリが、苦笑する。
「……妾は、本当にうまくやれたのか?」
「……」
 ハラキリは水を飲み、グラスを置いて腕を組んだ。
「『ニトロ・ポルカト』が、ああいうことをしてくる相手を嫌うことは知っているのだ。相手を思い遣って、その場を良好に取り繕うことができるとも知っつぇいるのだ
「なら、彼がああいうところで嘘をつかない人間ということも調べてあるでしょう?」
「助けられたという義理にこたへただけではないか? 忠告とはいえちょと押し込みすぎたか、なんて思っているんだ」
「そんなに不安ならピピンさんに覗かせておけば良かったでしょう」
「それは反則。不誠実極まる」
 断言され、ハラキリはまた苦笑した。そして相手の出方を窺うように黙していると、やおら、マードールが小さく言った。
「嫌われてないかな」
「つまり、嫌われたくないわけですね? 個人的に、ニトロ君に」
「うん」
 今のうなずきは、マードールか、それとも『アシュリー』か。
「妾は『ティディア&ニトロ』のファンたからな」
「おや、初耳ですね」
「妾があの漫才コンビを好きだ、などと公言できるわけがないたろぅ?」
「まあ、そうなんですかねえ」
「そうなんですよ。おかけて、サインをもろふための色紙を用意するにもくりょーした」
「おや、本気ですね。ていうか持参したんですか」
「もらっておいてくれないか?」
「ご自分で頼みなさい」
「……」
「それくらい貸し借りなしでやってくれますよ。そして、彼は貴女に対して敵意は持っていないし、嫌悪も向けていません。それは『師』である拙者が保証しておきましょう。ま、友達に値する好意もないでしょうけどね」
「……意地悪め」
 ご機嫌と不機嫌が程よく混ざった呟きと共にマードールは体を起こした。
 ハラキリが頼んでくれていた水を半分まで飲み干すと朱色のスプモーニを手に取り、それから、小憎らしい案内人の手元にあるカクテルグラスに目を向ける。その視線に、ハラキリが応えた。
「ニトロ君に付き合う時間は終わりました。約束通り、ここからは殿下にお付き合いいたします」
「これからべろんぺろんに酔っ払うつもりたぞ、わらわわ」
「ただの酔っ払いの相手なら御免被りますがね。仕事が上手くいったかどうか不安がる小心な妹の相手くらいなら、しても罰は当たらないでしょう?」
「そこはしないと罰が当たる、ではないか?」
 ハラキリはそれには応えず、カクテルグラスを持ち上げた。
「?」
 照明を受けて縁の光るカクテルグラスを見て、マードールが眉をひそめる。
「まずは乾杯しましょうか」
「なんのために?」
 問うてくる彼女に、ハラキリは呆れたように、
「セスカニアンの王女様がご立派に任務を遂行されたことにですよ。今後どのような人が彼に御機嫌伺いをしようとも、殿下以上に良く印象に残る者はいないでしょう。大丈夫、彼は人を思い遣れる上にお人好しです」
「……」
 マードールは目を丸くした。
 当然だろう。自分から確認を取ろう取ろうとしていたことではあるが――この件を面白く思っていないハラキリから……底意地の悪い曲者の方から、まるで念を押して安心させるような口調で肯定を繰り返されて彼女は酔いも醒めたとばかりに面食らったのだ。
 それを見て、ハラキリは微笑み言った。
「祝杯を。どうせ飲むなら、美味しい酒を飲みましょう」
「……」
「これはニトロ君のお父上に教わったことなんですが、喜びという美酒に勝るものはないそうですよ? まあ、拙者からすれば本当は祝えることではないのですが、ご相伴に預かるくらいなら彼も彼女も許してくれるでしょうしね」
 最後は言い訳のようなことをごにょごにょと言うハラキリを見つめていたマードールは、やおらため息をついた。
「ティディアは、ずるいなあ……」
 スプモーニのタンブラーを手にして、眉を垂れる。
「『相方』だけでなく、お前まで。いくらなんでも幸運に過ぎる。少し妬みが出てきたよ」
「それは良いことです。憧れだけ抱えていては、今後ともおひいさんとやり合い続けるには分が悪い」
 ふっ、と、マードールが軽く吹き出す。
「お前はアデムメデスの人間だろう?」
 咎めるような彼女に、ハラキリは片眉を跳ね上げるとカクテルグラスを下げ、
「それを言うなら殿下こそセスカニアンの王女でしょう。なのに、何をそんな弱音を見せているんです。側近ならまだしも他国の人間、それもその国の王族に近い人間に」
 思わぬほど真正面からの指摘にマードールが言葉を飲む間にも、彼は流暢に続ける。
「もちろん全ては殿下の、弱い所を晒して情を誘い、拙者を味方に取り入れようという打算的にして狡猾な言動――と受け止めてさらさら相手にしないのも有りですが。
 しかしまあ……」
 そこでハラキリは、ニコリと笑った。
「今は、仮初にもアシュリーの兄ということで」
 マードールはまた目を丸くし、ハラキリの言い回しとその一筋縄ではいかない人間性に口元が緩みそうなのを懸命に堪え、
「いいや」
 頭を振り、彼女は言った。
「兄はいらぬ。今は、仮初にも妾の友であれ」
「そりゃまた贅沢な上に面白い要望ですねぇ」
 そう言いながら、ハラキリは再びカクテルグラスを目の高さに持ち上げる。
 マードールも微笑み、タンブラーを一時の友に合わせて持ち上げる。
「乾杯」

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