ニトロを部屋に送り、バーに戻ってきたハラキリは、一人カクテルを飲んでいるマードールに声をかけた。
「飲みすぎですよ」
 マードールが肩越しに振り返り、ハラキリを見る。
 ニトロ・ポルカトという重要人物が去り、気の抜けた彼女の目は、少々うろんとなって酔いの程度を彼に伝えた。
「そうそう強くもないのに、いい勢いで飲まれるから焦りました」
「お前が焦ることはないたろう?」
 軽くろれつにも影響が出始めている。尖った耳の先も、紅く火照っている。
 マードールはハラキリがいない間に頼んでいたミックスナッツを口に放り込み、バリバリと音を立てて食べると、新たに頼んでいたスクリュードライバーを口にした。既に危なくなり始めているのに、これまでに飲んだアルコールがさらに回り、そこにアルコールの追加が続けば彼女がどうなるかは目に見えている。
「……ピピンさん?」
 ハラキリが部屋の隅に視線を投げると、彼の頭の中に“好きにさせてやってください”という理解が浮かび上げられた
 声も言葉も介さず、ただ相手に直接理解をさせるピピンの精神感応能力。
 殿下は久しぶりに解放されている――と、続けて理解させられ、ハラキリは一つ息をついた。
「解放されてなんかないでしょうに」
 ハラキリが言うと、ピピンは少し……笑ったようだった。その王女の気に入りの従者の寂しげな笑みを見て、彼はもう一度息をついた。
「王女様方も、まあ、大変ですね」
「まあ、ままならぬことばかりだなぁ」
 ミックスナッツの中から好物のクルミを取り出して、それを見ながら機嫌良くも面白くないことをマードールは言う。
 ハラキリは、席に座り直した。
 マードールはクルミをぽりぽりと齧った。
 ハラキリは残っていたプッシー・キャットを飲み干し、バーテンダー・アンドロイドにフィッシュ&ポテトフライを頼んだ。
 と、
「ニトロ君は……ティディアに愛されていないと思っているのだな」
 タンブラーを揺らしながら、物憂げにマードールが言った。
「どうしてそう思われたのです?」
「『一人の男性ひととしてみてくれる相手を』――そう言う気持ちも解らないではないが……な?」
「なるほど」
 ハラキリはそのマードールの言葉に対してそれだけを返し、以降は口をつぐんだ。
 ティディアが、確かに、ニトロを一人の男性――つまりは『人』として愛していなかった時期があるのは事実だ。マードールのセリフを思えば、おそらくニトロのその言葉を通じて何か思い至るところがあったのだろう。そして彼の意見を認めながら、反面、彼女はそうではない可能性にも――つまりはアデムメデスの第一王位継承者が『夫婦漫才の相方』を『道具』としてではなく『人』として愛している可能性にも言及しようとしている。ニトロに対し「ティディアにはニトロ以外にはいないだろう」と言ってみせたように。
 ……これは“探り”だ。
 ティディア、そしてニトロの友人である自分がどういう反応をするか見定め、二人の関係の行く末からアデムメデスの行く末をも窺おうとする友好国の王女の
 ややあって、バーテンダー・アンドロイドが様々な酒瓶の並ぶ背面の棚に振り返って屈み込み、揚げたてのフィッシュ&ポテトフライの載る皿を手にして立ち上がった。どうやらそこに奥――壁の向こうに隠れたキッチンからの受け取り口があるらしい。
 ハラキリの目の前に皿が置かれ、香ばしい匂いが二人の鼻をくすぐった。バーテンダーがドリンクの注文を窺う様子を見せる。彼は今はいいと手を振り、そのまま振った手でポテトを摘んだ。
「食べます?」
「すまん」
 それは礼の『すまん』なのか。ここに及んで探りを入れてきた王女の業に対する『すまん』なのか。
 しかしハラキリは何も追及せず、軽く会釈するだけで事を済ませた。
「でも、いいなあ」
 フィッシュフライを齧るマードールが、ふいに『アシュリー』の口調となったことにハラキリは一瞬ぎょっとした。が、そこまでだった。もうぎょっとする以上のことはない。先に宣言した通り、ニトロのお陰で調子も取り戻している。ここまでの道中、このパターンでしてやられた『我儘妹に振り回されるお兄ちゃん』はもういない。
「何がです?」
 調子を崩さぬハラキリの問いに、マードールは酒のせいもあって不器用に舌を打ち、
「ほんとにもう効かないか」
「で、何がです?」
 平然と問いを繰り返され、マードールはちょっとむくれた後、
「『俺を一人の男としてみてくれる相手を選びたい』――なんて、ちょっといいぢゃないか。妾にもチャンスがあるなら狙ってみようかと、な?」
「そりゃ他国の男を婿にできればしきたりの一つを派手に破れましょうがね。それより貴国の王室の制度を大改革する方がよっぽど楽だと思いますよ」
 マードールは今度こそむくれた。
「皮肉屋め」
「ご存知の通り」
「そんなツッコミを期待してはなかったのだぞ」
「ハイセンスなボケにはついていくのがやっとです」
 マードールが睨みつけてもハラキリはまともに取り合わない。一口サイズのフィッシュフライにタルタルソースをつけて、まるで他人事の様子でむしゃむしゃと食べる。
「――アースクエイク!」
 スクリュードライバーを一気飲みしてグラスを叩きつけるように置き、マードールが語気強く注文する。
 空のグラスが下げられ、シェイカーの振られる小気味のいい音が響き、そして頬杖を突いてハラキリから顔を背ける彼女の前に、やや山吹に近い萌黄の満ちるカクテルグラスが滑りこむ。
 マードールは勢いそれを口にして、そして思いっ切りむせた。
「そうそう強くもないのに、そんな強いのを頼むからです」
 度数40を超えるアルコール。咳き込む彼女の前からアースクエイクを引き取り、ハラキリはバーテンダーにスプモーニを注文した。
 苦しみ疲れたようにカウンターに突っ伏していたマードールの前に、今度は鮮やかな朱の注がれたタンブラーが置かれる。
 だが、彼女は顔を上げない。
「あ、チェイサーも。二つ」
 意に介さず、ハラキリはバーテンダーに注文する。
「なあ」
 そこに突っ伏したまま、マードールが問いかける。
「はあ」
 生返事をするハラキリと、突っ伏すマードールの前にグラスが置かれる。
「お前は、ニトロ君をどうやってあそこまで鍛えたのだ?」
「何故そんなことを?」
「決まっている。頼りない少年の変貌ぶりにはほんとーに驚いているのさ。もし良いカリキュラムがあるなら取り入れたい。なんならお前をコーチとしてまねくのも、面白いかもしれない」
 個人的な興味と為政者としての興味が織り交ざるセリフにハラキリはふむと鼻を鳴らし、
「そう言われましてもね、別に拙者が鍛えたわけじゃありませんから」
「お前は『師匠』だろう」
「『護身術』に関してはそうですが、それもジムのトレーナーと共同ですし、それだけでなく他の様々な面を含めてニトロ君の成長には彼自身の日頃の鍛錬がものを言っています。芍薬という良いサポーターがいるのも大きいでしょう」
 ハラキリがグラスを手にすると、からんと氷が鳴った。適度に冷えたミネラルウォーターで唇を湿らせたハラキリは、
「それに、何より彼を本当に鍛えたのは――優秀な『敵』です」
「……ティディアか」
「結果論ですが。今の彼があるのは優れた『敵』によって常に磨かれ続けたためです。拙者はただそこに手を差し込んで、ちょっとだけ背中を押したり、時に足を引いたりしていただけですよ。まあ、彼は確かに拙者のことを『師匠』なんて呼んでくれたりもしますけどね。事実は、勝手に彼があのようになったんです」
「……そのわりに、何だか誇らしげじゃないか」
「……そうですね」
 ハラキリはそれだけを言って、グラスを傾けた。またからんと氷が鳴った。
 その音に引かれたように、突っ伏していたマードールが頭を動かして顔をハラキリに向けた。

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