驚きの告白にニトロは飲みかけていたサマー・ディライトを噴き出しそうになった。一瞬、何をいきなりと言いそうになり、それを芍薬の目に止められて言葉を飲む。
「嫌イ、ッテコトカイ?」
 芍薬の問いに、マードールは少し考えた後、首を振った。
「違うな。嫌いではない。ただ好きじゃなかったのさ。あの子は心の中に何があっても一から十までティディアの言いなりだろう? まるで『お姉様の手作り人形』だ。そしてそれが、しきたりに一から十まで縛られる自分の写しを見ているような気にもなってくるから……好きになれるはずもない」
 ふいに、マードールの微笑みに影が差した。
 ニトロは手にしていたサマー・ディライトのグラスを静かにカウンターに置いた。見ればハラキリも真摯に話に耳を傾けている。
「貴女ハ、セスカニアンノ王族ノ中ジャア随分シキタリ破リナ姫ジャナカッタカイ?」
「単に行動の幅が大きいだけだ。しきたりそのものは破れてはいない。しきたり破りというのはね、君のところの王太子殿下を言うのだ」
「……マア、確カニアノバカハ色々破ッテクレテルケドネ」
 身近なところで言えば、まだあくまで一般人のニトロが王城で彼女に“謁見”する際に必要であるはずの諸手続きは当たり前にブッちぎられている。他にも、過去、妹のために女執事を登用したのも――当時色々理由は付けられていたが――厳密にはしきたりに反することだし、自分の先代執事、また当代執事を選んだ時も『優秀な者』を得られないのは無意味と断じ、今や完全にしきたりそのものが作り直されている。
 さらに何より最も破壊的なのは、王家の人間、それも第一王位継承者が『ドツキ漫才』をしていることだ。王女が嬉々としてボケ、嬉々として殴られている。ヨゴレもシモネタも危険な時事ネタも辞さず……常識的に考えれば、どう建前を取り繕おうが狂気の沙汰である。
「だから、妾はティディアが好きでな」
 ン? と、芍薬がマードールを見上げる。
 マードールは悪戯っぽく口の端を持ち上げ、
「自分が望みながらできないことを可能にする者に対し、向けられる感情は何が考えられる?」
「素直ニ考エレバ、マズ妬ムカ、憧レルカ」
 マードールはプリティー・ドールを半分まで飲み、それからうなずいた。
「私は憧れた」
 私、という変化に、ニトロは彼女の心情を見た気がした。
「君の言う通り、私は歴代の中で最も奔放な『渡り姫』だ。だが、私はね、ティディアを知ってからは自分よりずっと年下の彼女の真似を少しだけしているにすぎないんだよ。何とか自分の申し出を無下にさせないだけの成果を出せているから、今、ここにこうしていることもできるが……しかしそれが限界だ。同時に、ここが私の限界かな」
 それを語らせるのは酒の力だろうか。頬を赤めるセスカニアンの王女は、ふふ、と笑い、ふいにニトロに目を移し、
「機会があれば、あの子が国際会議に出る時ついて行くといい。今でも思い出すよ。まだ自国で成人もしていない少女が初めて国際舞台に立った時、彼女のことを知らず、アデムメデスを歯牙にもかけていなかった海千山千の者どもが彼女の存在感に抗えずに飲まれていった様を。そして後に、彼女の自国での非常識な暴れっぷりと、それでも国を良く興隆へ導いていくという矛盾した結果を見せられて、常識では考えられないその結果に多くの者が瞠目し当惑した様を。
 きっと君が思う以上に、あの子は凄い人間だよ。
 それを判っていながら解っていないから、うちの王室や重鎮どもは『今回の件』に無駄に慌てるはめになるんだ」
「今ノハ記録ログカラ消去シトク」
「おや、これは失言。……愚痴にもなっていたかな?」
 苦く笑うマードールに芍薬は首を振る。可愛らしく振れるポニーテールを見ながら王女はカクテルを飲み干し、次いでソルティ・ドッグを頼む。
 縁を塩で飾られたグラスに氷がからんと鳴り、ウォッカが注がれ、グレープフルーツジュースが加えられる。ステアされ、差し出されたカクテルを見つめてマードールは、
「……しかし思うほど、残念だ」
 彼女は組んだ腕をカウンターにつき、次の句を待つ芍薬に顔を少しだけ近づけた。
「君のご主人様がティディアと……あのクレイジー・プリンセスと渡り合う姿には、だから、ほとほと感嘆させられていてね。あの子にはもうニトロ・ポルカト以外にはいないだろうと、そう思っていたんだが」
「ソリャ残念ダ。ソレニソウ考エルヨウジャ、ソレダケデ底ガ知レルッテモンダヨ」
 手厳しい芍薬の返しにまた愉快気に苦笑して、マードールはニトロに目を移した。
 軽く前屈みになった彼女の首は自然と傾げられ、横の彼を見ようとする動きが自然と流し目を作り上げる。
 ほろ酔い色に肌を染める幻惑の美女の瞳には請いもたゆたい、本人に演出の意図がないが故にそれは純粋に美しく、妖しい。どこか彼岸の世界から誘惑されているような酩酊感が喉元をくすぐり、まともに彼女と目を合わせては、その妖精の願いを自然と受け入れないでいられる男はないだろう。
 ――だが。
 それでもニトロは、自然と拒んだ。
 そして、マードールだけでなく、ハラキリも言っていた『人形』というミリュウへの評を思い返し、
「俺は、俺を一人の男性ひととして見てくれる相手を……なんて青臭く思ってます」
 マードールは、少し自分の言葉に照れ臭そうにする少年を見つめ続け、やおら頬をほころばせた。
「要は何よりも、愛か」
「愛って何なのか、よく解ってませんけどね」
 真面目に聞かれたからには真面目に返し、それからニトロはまたも照れ臭そうに眉を垂れる。
 マードールはソルティ・ドッグのグラスの縁を飾る塩を舐め、それからカクテルを一気に飲み干し、はあ、と大きく息を吐いた。
「湿っぽい話をしてすまなかったな。そして、付き合ってくれて、感謝する」
 威厳にも似た落ち着きを声に含ませて、彼女は言った。
「もう夜も深い。今更ではあるが、お疲れだろう。ゆるりと休まれるが良い。また、ここは一週間ずっと妾のものだ。お好きなだけ利用されよ」
 ニトロはうなずき、
「お心遣い、感謝します」
 残っていたサマー・ディライトを飲むと、マードールに一礼して姿を消した芍薬の居る携帯電話を手に取り、席を立った。
 部屋の隅に目をやると、ピピンが深く頭を垂れてくる。
 ニトロは礼を返し、それから案内に立とうと同じく席を立ったハラキリに並びかけ、
「楽しい一時でした」
 席に座ったまま、こちらに体を向けるセスカニアンの王女に振り返って頭を垂れる。
 半ば社交辞令でもあるが、頭を上げたニトロに彼女は微笑みとうなずきを返す。
 そこに、ニトロは一つ、問いを投げた。
「アシュリーはミリュウ様のことを好きではないと仰っていましたが」
「――うん?」
「今回の件を受けては、どうですか?」
 あの時、ハラキリは言った。これはミリュウ姫の自立の一歩かもしれない。ティディアにも、それを期待していることを伺わせる気配があった。
 一から十まで姉の言いなりではなくなった――かもしれない、ミリュウのことを……自分の写しとも思えると言った相手のことを、マードールは一体どう思うのか。
 ニトロはそれに興味があった。
 マードールは彼の心を察し、
「そうだな」
 目を細め、穏やかに答えた。
「ちょっとだけ、好きになったかな」

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