ニトロは、黙し続けていた。
悔しいが、いちいちマードールに反論するだけの根拠がなく、最後の質問に至っては『ティディアへの信頼』が置けないが故に反せない。反するためにはティディアへの強固な信頼が必要となり、自分には……それはできない。
ややあって、マードールは今度は口を速めて、まるで畳みかけるように言った。
「妾は君にとても残酷なことを言っているのだろう。だが、アデムメデスの友人としてニトロ・ポルカト殿に申し上げておく。今後100年、もしくはそれ以上の年月、世界経済において重要な位置に立つであろうアデムメデスの強力な権力者との関係を考えた時、それへの対応策から決して外せない要素として組み込めるほどに君は『大きい』のだ。それは、しかと自覚しておくべきことだよ」
「……」
ニトロはカクテルグラスに口をつけ、乾いた唇を濡らした。
自分がもし彼女の話を理解できなかったならどんなに楽だったろう、そんなことをふと思う。
また、セスカニアンの王女、マードールの口の裏には仄かな焦りと緊張がある――それを察知できずにいたら、もっと気も楽だったろうに、とも思う。
……解っている。
この度の、第一王位継承者のクロノウォレスの独立記念式典への出席が、どれほど重要な意味を持っているのか。
クロノウォレスでその『世紀の大発明』が成されたのは一昨年のことだった。
それは最も単純な説明では精神感応の性質を持つ合金を作り出す業であった。生み出された合金は元より存在する
今後順調に生産されることも併せて発表されたその報告は瞬く間に銀河を駆け巡り、二十数年前に独立したばかりの小さな無名の国は全世界の耳目を集めた。それは奇跡とまで言われた。
現在、精神感応を利用した技術は知られていれども、広く普及はしていない。利便性も知られているし、次世代技術に欠かせなくなると語られてもいるが、それでも普及を妨げる要因があるために未だ一部――例えば最先端技術を必須とする場所、物好きや富裕層のための贅沢品――に用いられているに止まる。ニトロも、初めて実用的なものとして触れたものはあの『毀刃』だった。
しかし、それだけ期待を集めていながら、未だ普及が妨げられているのは何故か。
理由は簡単だ。一に必須の材料が銀河規模で
そこに普及を妨げる要因全てを一気に解決する技術が生まれたのだ。その合金を作り出す触媒となる物もそれなりにレアであるが、それでも精神感応金属に比べれば埋蔵量に天と地ほどの差があるため将来性も担保されている。
研究は進むだろう。伴い製品開発も進むだろう。価格も下がれば、精神感応技術を用いた品が爆発的に普及することは容易に想像できる。今後、未来図として語られていた通り、コンピューターを始めとする様々な生活必需品に不可欠な技術ともなろう。クロノウォレスの国営企業とアデムメデスの王立汎科学技術研究所が共同開発した技術が、いずれ永く金の卵を生む鶏へと成長するとは誰もが想像するところだ。
そして、希望に沸くのはその二国だけではない。特に期待を掻き立てられ頬を上気させているのはもちろん精神感応金属の産出国らであり――アデムメデス近隣で言えば、有数の
何しろ産出国には強みがある。産地であるが故に高い精神感応金属への知識と加工技術があり、精神感応金属よりも加工しやすいことが証明されている人工霊銀に関してもその技術を応用できるという強みが。
また、人工霊銀よりも“感度”の質がずっと高い精神感応金属の価値は変わることなく、いや、むしろ増していくだろう。他の“同輩”を出し抜きうまく立ち回り、これまでの一部だけでなくこれからの九部にまでも深く食い込むことができたならば、得られる利益は素晴らしいものとなる。
そのために、セスカニアンはいち早くアデムメデスとの不利な協力関係を結んだ。対等な協定を結ぼうと時間をかけるよりも、多少の割引を強いられても基幹に入り込むを良しとし、また、その不利を考慮に入れても将来的に得られる恩恵にはプラスを取れると踏んでの大局観。
マードールが来週正式にアデムメデスを訪問し、ティディアと話す予定であることはまさにこの件に他ならない。セスカニアンとしては、未来の利益をできるだけ上積みするための交渉をしかけてくることだろう。
その前提を踏まえた上で、セスカニアンの姫君が
さらに、この他国の為政者は、その他の国々もこれから『次代女王への対抗手段になりえる者』に注目してくるぞ――と、それを暗に示唆してくれた。それはまるで忠告であり、先を見据えて言えば『貴方を思い遣りお耳を傷めることを承知で忠告申し上げる私は、貴方にとって信頼に値する人物である』というアピールでもあるのだろう。
それだけではない。
不自然にも
全ては、打算。
今になってヴィタの言っていたことを理解する。
――『ハラキリ様が最も適任であるが故に、いいえ、ハラキリ様の他にはあり得ない』
もし、この“面会”がティディア経由であったなら絶対に理由をつけて断っていた。
官吏や役人からの依頼であっても、もとよりこれに類する要請は受けないことになっているから丁重に断っただろう。ただ、こちらはティディア経由とは違い、事情によっては絶対とは言い切れない。しかし例え引き受けざるを得なくなっていたとしても、それでも互いに打ち解けないことだけは絶対だったと言い切れる。他国の美しい姫君との会話はもっと緊張して、ずっと余所余所しく、他人行儀と社交辞令と表面的な誉めそやし合いだけで終わったことだろう。
……そう、ハラキリだけだ。
彼だけなのだ。
ニトロ・ポルカトと親しく、セスカニアンの王女とも面識があり、かつ、これだけ二人が距離を詰めて会話ができるようにセッティングできる『舞台装置』として介在しえる人間は、まさにハラキリの他にはあり得ない。
「なんともまた、急に目的を明かしましたねぇ」
と、そのハラキリが、ふいに口を開いた。
「しかもそんなストレートに。言うにしても、てっきり仄めかす程度と思っていたのですがね?」
「それでは誠実ではないだろう」
ハラキリは笑った。
「そもそも下心満載で誠実も何もないでしょうに」
マードールはむっとして言い返した。
「それでも精一杯の誠意は示したいと思うのだ。あれ以上の隠し立ては妾が許せぬ」
「心行くまで “試し”も終えたからには
「……相も変わらず……痛い所を手酷く突いてくれる」
一国の、それも他国の王女を平気で言い負かす親友の姿にニトロは思わず芍薬と顔を見合わせた。先ほど知ったハラキリとマードールの初対決の模様が想像できて思わず笑ってしまう。
するとマードールがニトロに顔を向けてきた。
その表情からは感情を掴み切れないが……まあ、この王女様も自身の立場と本心との兼ね合いで色々大変なのだろう。
「
もう一つ、ニトロには笑いの種があり、彼はそれを口にした。
ハラキリの前にスライス・オレンジで飾られたグラスが置かれる。ハラキリの口元には――ニトロが気づくことを期待していたのだろう――ほくそ笑みがあり、そのグラスとその笑みとを一瞥したマードールが不思議な顔でニトロに目を戻してくる。
「アシュリーの――」
と、そこでニトロは口を閉じ、ここは『こちら』が相応しいかと口を改め、
「僭越ながら、殿下のご心境を拝察いたしました。ご安心下さい。この件で私が殿下へ悪感情を抱くことはありません。むしろ、重ね重ねのお心遣いに感謝いたします」