「貴殿は――君は、解っていないな。それとも自覚しているのに、無自覚でいたいのかな?」
 呼び方を変えたのは、ニトロへかかる重圧をわずかにも殺ぐための気遣いであろう。しかし、そのためにかえってニトロには彼女のセリフが重く感じられた。気遣いがあるからこそ、重くのしかかってきた。
「どういうことです」
 怪訝というよりも不安を滲ませるニトロへ、マードールは優しく――その労わりが彼にまた重く!――微笑みかけ、
「実を言えばな、君がアデムメデスの王になろうがなるまいが……ここまでくれば正直それは関係ないのだよ」
「矛盾していませんか? それは」
「いいや、矛盾はない。無論、君がアデムメデス王となられることを最大のメリットと設定して、妾は君に『御機嫌伺い』に来た。だが、最小のメリットとしては、現状の君と面識を持てるだけでも十分なのだ。君が将来、ティディアと別れることになろうとも、アデムメデスを外から見た時に、既に君の存在感はとても大きい」
 ニトロの瞳には、次第に微笑みを消していく王女の姿がある。
「未来は、まあウチには予知能力者プレコグニショナーなどもいるがな、それでも絶対なる未来は見通せぬ。そう、未来はどうなるか判らぬものだ。確かに君の言う通り、例えば君がティディアと別れ、この国の玉座に座る未来はないのかもしれない。だが、その場合、君が政治家としてティディア女王に対するようになる未来はどうかな? そこまでいかなくとも、ティディアと深い面識のある人間――というだけで、それだけで君には“そもそもの”利用価値がある。君からあの子に関する情報を聞き出すことも期待できるし、あの子の思惑を予想するにあたって、我々が思いもつかない可能性を示唆してもらうこともできるだろう」
「……だとしても、俺はそこまで他国の方が価値を見出すほどの人間ではありません。それに、僭越ながら思い違いをされているとしか俺には思えない。
 ティディアと別れた後の俺に、一体誰が関心を持たれます? その時はきっと『漫才コンビ』も解散している。そうなれば、王女との接点をなくした『元恋人』はティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナに対する“地雷”となるでしょう。あの傍若無人で恐ろしいクレイジー・プリンセスの機嫌を取りたい人間が、わざわざそんなリスクに近づきますか? むしろティディアの機嫌を損ねるリスクを減らすため努めて話題から外すはずです。俺と関わろうという人間もいなくなるでしょう。確かに俺は他の人より正確な情報提供をできるのかもしれません。期待に応える予想もできるのかもしれない。けれど、それを得るのと引き換えに失うものの大きさを考えれば、いくらなんでも割に合わない。となれば結論は決まっている。そのうち俺は世間から忘れ去られます。忘れ去られた『元恋人』に、そちらの言う価値などあるでしょうか」
「なるほど、それも予想されうるものではあろうな。しかし、君が忘れ去られることなど――妾はそれこそ『決してない』と踏んでいる。特にあの子が『クレイジー・プリンセス』である限りは、そうだろう」
「?」
 あからさまな疑問符を顔一杯に表すニトロへ、マードールは笑みを送った。微笑みではない、あからさまな笑顔。それはからかいのようでもあり、どこか自虐のようでもあり、それなのにこちらへの慰めのようにも……ニトロには見えた。
「もし君との関係を解消した後、ティディアが賢君としてあり続ければ、確かに取り立てて『元恋人』に触れようという者はいまい。君の言ったことは正しくなるだろう」
 マードールはそこで区切りニトロの反応を待った。
 ニトロは、うなずいた。
 するとセスカニアンの王女は、まるで生徒に言い聞かせるかのように、柔らかくも力強く言った。
「だが、もし彼女が相変わらず『クレイジー・プリンセス』として悪ふざけをするならば、どうかな?」
 彼女はマティーニを一口、そうやってニトロに考える時間を与え、それから自ら結論を下した。
「その時は多くの者が君を求めるだろう。恐ろしくも栄光あるティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナの悪ふざけの度が過ぎれば過ぎるほど、間違いなく民はこう思うだろう――
 嗚呼、こんな時にニトロ・ポルカトがいてくれたなら
「そんなことは……」
「現に君は」
 マードールは断じた。
「既に『クレイジー・プリンセスが何かしでかしてもニトロ・ポルカトが止めてくれる』と思われている。いや、思わせていると言った方が適切かな? あのミッドサファー・ストリートで暴走する王女を恍惚の亡者共々トレイ一つで葬り去ったように、と」
「……あれは……」
「此度のミリュウ殿下の件は、取り様によっては現王の御子の中で最も『まとも』であった方までもがとんでもない本性を隠していた――という重大事件だろう。それも未来において少なからずクレイジー・プリンセスの暴走を止めることも期待される『良心』が、だ。
 それなのに、どうもこの国は普段着だな。とても落ち着いている。その理由を察するに、アデムメデスの総意は、例えミリュウ様までもが暗君の相を持っていたとしても、ニトロ・ポルカトが義妹を正してくれる。ティディア様すら抑える彼が『劣り姫』にどうこうされるわけがない、彼に任せておけば万事良く収まる……そんなところであろうか」
「……」
「しかしそれは実に賢明な判断だと思うよ。良薬が存在するというのに、あえて騒ぎ立てて傷に雑菌を吹き込み悪化させるのは暗愚というものだからな。――そしてこれはまた、君が頼りない妹姫に取って代わり、頼りがいを伴って現王の次を担う『まともな子』の座に既に在ることを示しているのだろう」
「……」
「今一度言おう。クレイジー・プリンセスの度が過ぎれば過ぎるほど、間違いなく民はこう思う――こんな時にニトロ・ポルカトがいてくれたなら。
 それとも君は、ティディアが大人しくなり、模範的な女王となる未来が来ると保証できるのかな?」

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