「『神』の指図なく、自ら『神のため』を考え、その怒りを買うことも辞さずに主張を通そうというのなら、これまでの庇護者に逆らい、自らの意思を主張する……見事な姉離れの一歩じゃないですか」
「……うん、まあ、そうとも言えるの……かな。でもそれだと俺は歪な姉妹喧嘩に巻き込まれただけってことにならないか?」
「おや、慧眼。なるほどそれは確かに」
「待て待て、俺は感心して欲しくて言ったわけじゃないんだが」
「いやいや感心しますよ。何しろそう解釈すると他の点にも立派な筋が通ります。“関わらない”というお姫さんの解せない態度も、妹の自立の芽生えを潰さぬよう不干渉を決め込むというなら自然なことですし、妹の逸脱を微笑ま「それからもう一つ!」
へらへらと喋るハラキリの言を、ニトロがふいに強く遮った。
片眉を跳ねて、ハラキリが彼を見る。
ニトロは眉をひそめていた。この上ないほど鼻梁に皺を寄せていた。
「ハラキリの言う通りかもしれない。確かに筋は通ると思うよ、それは認める。けど、いくら全体的に筋が通っても、そのどれが正解だったとしても――いや筋が通って正解だったとすれば、それって結局全部が全部アイツの掌の上だってことになるだろう? 俺にはそれが、凄く嫌なんだよ」
それはもう本当に物凄く嫌そうに、ニトロは言う。
彼の顔は数歳老け込んだようにも見え、ハラキリは思わず声を上げて笑った。
「なるほどなるほど!」
肩を揺らしてハラキリは何度もうなずく。
「確かに、君の言う通りです」
最後にそれ以上の納得はないとでも言うように大きくうなずき、ハラキリは続けた。
「思えば全体的に、どこまでもお姫さんの思惑に支配されている。それでは確かに面白くない。もうちょっと、良きにしろ悪きにしろ、お姫さんの範疇を超えてもらわねば折角独自に動いたミリュウ姫も報われないってものです」
「さすがにそこは俺が報われないって言うところだろ」
予想外にも『敵』への思い遣りともとれる言葉に、ニトロが唇を尖らせる。
しかしハラキリは手を振り言った。
「いやいや、ここはミリュウ姫でいいんです。彼女が報われる時は、おそらく、お姫さんが多少なりとも痛い目に会うでしょうから」
「……よく分からないな」
「これについては全く根拠はないんですけどねえ。まあ、ただ、そう思うんですよ」
そう言うハラキリには笑みがある。それはそれは実に“悪い”笑みが。
ニトロとティディアの間にいて、時にどちらの味方でもあり、時にどちらの障害にも回る曲者。
どっちつかずながら、どちらにもがっちり食い込んでいる彼の影差す笑みに飲まれるように、ニトロはふっと笑った。
「だと、いいな。……うん、ちょっと希望が沸いてきたよ」
「そりゃ何よりです」
ハラキリは目尻をそばめてみせ、それから立ち上がった。
「さて、会議はここらでお開きにしましょうか。結局、解決の糸口は掴めませんでしたが」
「いや、十分助かったよ。ミリュウ姫の人物像を大幅に修正できたし、ミリュウ姫が俺を攻めたい理由で辛うじて納得できる可能性も知れたし――全く訳も分からずに責められるよりずっといいさ。お陰で気持ちの置き所も定まってきたし……腹も、括れた」
「そうですか。それなら良かった」
目を細めて――少し安堵したようにうなずき、ハラキリは続ける。
「では、時間になったら呼びにきますので。言えば新しい服も用意できますが……まあ、それは芍薬に手配を任せればいいですね。その『権利』も使えるようにしておきます」
その言葉に、芍薬はうなずいた。
「それから、最後に少々商談をしたいと思います」
「商談?」
ペットボトルに残っていた水を飲み干していたニトロが目を瞬く。
「アンドロイドの件ですよ。撫子に頼んだでしょう?」
ニトロは、ああとうなずいた。芍薬に視線をやるとうなずきが返ってくる。
「譲渡について、こちらから要求する条件は金銭のみです。貸し借り無しのビジネスライクにいきましょう」
それは、ジジ家との商談におけるいつも通りの態度だ。
ニトロが同意を返すと、ハラキリはさらりと言った。
「では、お値段は五億でいかがです?」
「ブッ!」
さらりと言われすぎた金額に、ニトロは思わず吹き出した。口を潤したばかりの水分が霧となって部屋に散る。
「五ぉグホッ!」
勢い込んで叫ぼうとして一度むせ、しかし負けずに彼は叫ぶ、素っ頓狂に。
「いくらなんでも高いよね!」
「そうですか?」
「そうですかって、お前の金銭感覚どうなってるんだ! まけろ! つかせめてお値段決定の明細を述べよ!」
「本体もそれなりですが、まあ、強制オプションとして一週間の当家A.I.のサポートや戦闘服のレンタルなど諸々込み込みですから」
人を食ったような笑みを浮かべ、ハラキリは言う。
ニトロは一気に押し黙った。
なるほど、それならその値段にもそれなりの納得がいく。
しかし――
「だからって、足下見過ぎじゃないか?」
「そうでもないでしょう。既に君は『迷惑料』を遣い放題なんですよ?」
「十億デ譲ッテクレナイカイ?」
曲者の指摘に、芍薬が即座に応えた。しかも口にした額は言い値の二倍ときている。ニトロは笑った。ここで何か言うべきことは、ない。何も言うことがない。素晴らしい条件だ。
「そのお顔を拝見するに、契約成立でよろしいですかね」
わざとらしく揉み手をしてハラキリが言う。
「ああ、成立でいいよ。もし支払いを渋ったら、いくらでもエライ目にでも会わせてくれたらいい」
その発言に、ハラキリは眉を跳ね上げた。
少々セリフ回しは違うしエライ目に会わされる対象もこの場合はカードの持ち主であるが……しかしそれは、間違いなく『映画』の折にハラキリがニトロに使った文句だった。
「随分、懐かしい気がしますね」
「去年のことなのにな」
ニトロはやれやれとばかりに肩をすくめる。そして、
「撫子達のサポートだけど、できれば両親の警護に回してくれるかな。あ、あと、クレイグを気にしてやってほしい」
「ご家族は分かりますが、なぜクレイグ君まで?」
「二人してケルゲ公園で
と、左手をひらひらと振る。『烙印』が青い残影を引いていた。
「可能性はゼロじゃないだろ?」
「了解しましたが……こんな時くらい他人を気遣わなくてもよろしいのに」
「こんな時だからこそだよ」
「……それもそうですね」
ハラキリは微笑み、もう一度ニトロへ力強く了解を返した。それから部屋を出ようとドアへと向かい、ノブに手をかけた時、
「ああ、そうだ」
と、ふと思い出したように、彼は肩越しにニトロへ振り返った。
「今回、色々と『助けられない』理由をお話ししましたが」
「うん?」
急に――それもハラキリ自身が隠したがっていた内容を蒸し返され、ニトロは怪訝に思いながらも相槌を返した。
するとハラキリは静かにドアを開け、身の半分を向こう側に滑り込ませながら、
「それとは別に、実を言うと、今回拙者は君を助けなくてはならない――とは思っていないんですよ」
「それは……友達甲斐がない言葉だなあ」
ニトロは言いながらもハラキリの瞳に真面目さを見て取り、一つ間を置いてから、
「理由は?」
「理由は、簡単なことです。あの程度の相手にニトロ君が――ニトロ君と芍薬が負けるとは思っていないんですよ」
「あの程度って」
ニトロは苦笑いを浮かべた。
「相手は王女だぞ?」
その反論に、ハラキリはまるでウィンクをするかのように片目だけを笑わせた。ニトロからは若干陰にあるもう片方は、どこか、真剣なままで。
「それでも――どうやら彼女も一皮むけたようですがね――しかしそれでも『あの程度』です」
王女に対する嘲りの言葉には、ただ事実認定の響きのみがある。それ故にそれは、奇妙な重みをもってニトロに響いた。
ハラキリは続ける。
「それに正直、期待もあるんですよ」
「……期待?」
「ええ、拙者にはヴィタさんが観劇モードを決め込む気持ちがよく解るんです。それだけではない、おそらくはこれからミリュウ姫と君がどういうショーを魅せてくれるか期待している“国民”の気持ちも解りますし……多分、お姫さんが君に対して持つ特別な期待感も理解できる」
少しだけ申し訳なさそうにして、ハラキリは言う。
「勝手な言い分ということは解っています。ですが、この期待は禁じられません。我が友は、これしきの困難など、楽勝でなくても、ギリギリの瀬戸際を通り抜けてであっても、最後には必ず自らの力で解決する――と。
なぜなら君は、それだけの人になったのですから」
「……」
ニトロは……どう応えればいいのか判らなかった。
確かにハラキリは、こちらからすれば本当に勝手なことを述べている。それに対する不満もある。だが、反面、それだけ親友に認められているということが、嬉しい。
ニトロがまごつく一方でハラキリは一つ息をつき、
「しかし」
と、急にいくらか口を早めて言った。
「もし君が本当に手も足も出ない危機に陥れば――拙者の勝手な思い込みなんかどうでもいい、王女だとか殿下だとか拙者が抱えている面倒ごとの何もかも知ったことではない、必ず君を助けましょう。それだけは、ここでお約束しておきます」
素早く言い切られたそのセリフ――しかも強引に話を転じて投げつけるように伝えられた言葉に、ニトロは、きょとんとした。思わず呆けてしまった。
「だから今回、君はきっとのぞみたくない思いをするでしょうが……その点にだけは、どうぞご安心を。どんな時も拙者は君の変わらぬ友達です」
言い終わるか終わらぬかの内にハラキリはそのまま部屋を出、ドアを閉めた。
ニトロは、まるで逃げるようにドアの向こうに隠れた親友の後ろ姿を呆けたまま見送り――やがて、ふ、と息をついた。
そしてこちらを見上げている芍薬に目を向け、
「だってさ」
芍薬は、マスターが面映く浮かべる表情に一点の曇りもない明るさを見て、
「ミタイダネ」
極上の笑顔を浮かべて、大きくうなずいた。