「今朝、アイツは、俺に『あの子のことを助けられるから』って言ったんだ。慰めてくれ、俺ならできるからって。妙なセリフだと思ったし、その時はその後に言い出した阿呆な提案の前振りだと流してたんだけど……」
「今思えば意味がある?」
「アイツは意味なく意味のないことは……あまりしない」
「あまり、ですか」
 素直に言えばいいのにニトロの妙な意固地っぷりに笑いつつ、ハラキリは先を促した。
「さっきは関わらないっていうアイツの無責任に腹も立ったけど、俺に妹を任せるって言うのなら、やっぱり『助けられる』って言葉には意味があったって考えるのが自然だろ?」
「そうですね。そしてもっと言えば、私には無理だけどあなたなら助けられる――とか?」
「そこまでの意味合いで言ったのかまでは、分からない」
 ハラキリは腕を組み、そして首を傾げ、それからふむとうなった。
「とすれば、ミリュウ姫の芝居を額面通りに受け取ってみるのも手ですかねぇ……」
「ん?」
 ニトロはハラキリを振り向き見た。解決策の糸口か? と期待を寄せる。ハラキリはニトロの勢いに気圧されたように苦笑し、
「ヴィタさんの話を踏まえた上に思いついた程度のことですので自信はありませんが、ただ、ほら、あの神官達は言っていたでしょう? 『我らが女神、ティディア様を堕落せしめる悪魔よ』と」
「うん」
「君はまだ聞いていないでしょうが、初期には『我が女神を貶める悪魔』やら『女神を食い殺す』やらと君のことを非難していました。興味があったらアーカイブを拾ってください」
 ニトロが苦笑するのを見ながら、ハラキリは続けた。
「それらの言葉は、要するに女神たるお姉様を『奪った』君への恨みの言葉です」
 ハラキリはその『奪った』という言葉に特別の意味を込めていた。彼自身、そのことに気づいたのは自分一人だけだと思い込んでいたが……いいや、それは思い上がりも甚だしいことであったのかもしれない。
 考えてみれば、彼女の傍で、それこそ産まれた時から彼女を見続けていた『伝説のティディア・マニア』がそれに勘付くことはむしろ自然なことではないか?
 ――ニトロ・ポルカトは、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナを弱くした。
 それを含めて『姉を奪われた』と、骨の髄からティディアを崇拝するミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが思わぬことがあろうか。弱さを得た女神は神性を失い『女』となり、結果『女 』神の不在がもたらされたと。
「ヴィタさんの義憤という言葉にもそれなら得心が通る。妹君は、一人の男に奪い去られた女神をアデムメデスに取り戻そうとしているのかもしれない――まあ、より正確には自分のすぐ傍に、でしょうが」
「……ハラキリの言う通りだったとして、けどそれくらいは、初めから予想の範疇だったろう? 姉を『奪われた』――その嫉妬。ヴィタさんは、嫉妬とも言ってたぞ」
「ええ。ですがニトロ君、違います。確かに姉も奪われました。しかし、それ以上に、彼女にとってはまさにその言葉通りに『神』を奪われたのだとしたら? 神を奪われた者は、果たして神を奪った者をどうともせずにいられるでしょうか」
 ニトロは、そこでやっとハラキリの言いたいことを理解した。理解すると同時、目を瞠り、肌を粟立たせて背筋をぞっと凍らせる。
「それならお姫さんがニトロ君にかけた言葉もすんなり理解できるんですよ。あの子を助けてくれ。それは、ティディアという『女神』に最も呪われた人形を、『私』を絶対とする価値観の中に閉じこめられた妹を、彼女の将来のためにもその縛りから解放してやってほしい……そういう言葉だと解釈できますから」
「いや、ちょっと待った。それが本当だとして、それならむしろティディアの方が助けられるだろう?」
 思わず言いくるめられそうになっていたニトロは、慌てて反論した。
「ティディアが本当にミリュウ姫にとって『神』なら、その『神』が信徒を助けられなくてどうするのさ。ていうか、その『神』が助けられないものを、どうして『悪魔』が助けられるってんだよ」
「いいえ、むしろ神にこそ信徒を助けることはできません」
「そりゃまたはっきり過激なことをっ」
 思わぬハラキリの断言に、思わずニトロはうろたえた。
 ハラキリは笑い、
「まあ、この場合は……神から離れなければならない信徒を、もしくは神がご自身から離れさせたいと願う信徒を、ということに限定しておきましょうか」
 事例が限定されることで話の焦点が絞られ、自然、ニトロの耳もハラキリの意図を掴もうと集中する。
「では、ニトロ君、問題です。
 女神ティディアが信徒ミリュウに言いました。私を信じるな。信徒ミリュウは言われた通りに信じることを辞めました。あるいは、女神は言いました、私から離れ自立せよ。信徒は言われた通りに自立しました。
 さて、信徒は女神の命令を真に成し遂げたか、否か」
「……否、かな」
「神の言葉はどんな言葉も天啓になり、天啓を受けた信徒がその通りに動けば、それは本質的にはその神から脱却できていないことになります。しかし、もし逆らうことを選ぶとしたら、すなわち『いいえ、私は女神を信じます。あなたから離れません。自立はしても、離れません』」
「……」
「ニトロ君自身、先ほど言っていたでしょう? 『カンゲンの格言』を」
「……ああ」
「お姫さんには三拍子のうち、妹姫に対してどれをも扱うことができません。言葉もなく、時もなく、その人ですらない。現在、あの狂信者に対してそれができる可能性を持つ存在は、おそらく、神から人を離す役割を与えられたモノ、もしくはその役を担うことのできるモノ――様々な宗教で『悪魔』と呼ばれるお役目だけです」
「…………」
 ニトロは黙した。沈黙せざるを得なかった。ハラキリの語る内容には一本の筋が通っている上、その筋は嫌に骨張り、あまりにも質量がある。姉を奪われた妹の嫉妬――ならばまだ可愛く聞くこともできるが、神を奪われた者の敵対心――となれば恐怖も凍る。
 ああ、『伝説のティディアマニア』とはよく言ったものだ。
 これまでの『マニア』達の暴走が、とてもとても可愛く思い出される。
 そしてティディアの要求は、神を奪われ怒れる者を、その神から解き放てだと? 何という無理難題だ!
「――けど」
 ニトロは砂を噛む思いで、それでも胸にある一片の不得心を口にした。
「それでも、例え本当に『神を奪われた者』で『神を奪った者をどうともせずにいられない』気持ちがあったとしてもそれをしないのが……それをしないことを選択するのが、ティディアが手塩にかけたミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナだ」
「かの女神の側近は『別人』と見るよう勧めていました」
「分かってる。でも『それをしない』を選択する自分こそをミリュウ姫は誇っているところがあっただろう? ティディアも認めて褒めるほどの優等生ぶりを。姉の言うことを何でも聞いて、それを貫く生真面目さを。それに、ハラキリが言うようにティディアをそこまで『神』として崇めているとしたら、『神』の託宣もなく『神の恋人』に攻撃を与えることこそがおかしいじゃないか。自らの誇りを捨てて『神』のために戦うってんなら分かるけど、現状、ミリュウ姫は誇りも『神』の寵愛も自ら捨てて自分のために戦おうとしている……ティディアのためじゃなく、あくまで『神を助ける自分』を満足させるために俺に攻撃をしかけようとしている……そうとだって取れるじゃないか」
「ふむ」
 ハラキリは、実に興味深そうにニトロの反論を受け止めた。うなずく彼の口元には不思議な笑みがあり、
「となると、これはミリュウ姫の自立の一歩――見ようによっては反抗期の訪れという可能性を考えることもできるんですねぇ」
「?」
 自分の反論を思わぬ形で解釈され、ニトロは眉をひそめて首を傾げた。
「そうでしょう?」
 ハラキリは言う。

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