「ニトロ君から『味方』を引き離しておいたのは、お姉様からの贈り物ですか?」
 言われてみれば、そうだ。ニトロははっと気がついた。もしティディアにその意図があったとしたら――
「…−いいえ。この度のハラキリ様への依頼、元々ティディア様は避けようとしていました」
 しかし、ヴィタの答えは否定だった。
「…−ニトロ様が羽を伸ばせる機会です。ハラキリ様との旅行等も、可能にしておきたかったのでしょう」
 それは、ニトロにとっては驚くべき内容だった。
「……そうなんだ」
 ニトロは、複雑な思いを噛み締め言った。何度も驚かされ、困惑させられ通しでティディアの思いが……測れない。あいつは本当に、何を考えているのだろう。
「…−また」―続けてヴィタは言う―「この案件に対し、ハラキリ様が最も適任であるが故に、いいえ、ハラキリ様の他にはあり得ないが故に、ティディア様は貴方への依頼を避けようとしていました」
 そのセリフは明らかにハラキリに向けられたものだった。
 ニトロはハラキリを見た。親友は微かに眉をひそめて渋い顔をしている。納得と、納得するが故の困惑だろうか。そしてそこには、先に彼がマードール姫に関連して隠し事をした時に見せた『複雑さ』にも通じるものまでもが感じ取れる。
「……では、何故、結局拙者に依頼を?」
 顔をしかめたまま、ハラキリが問いを重ねる。
「…−話を聞きつけたミリュウ様が強く進言されたのです。そもそも先方がハラキリ様を指名してきたこともありますし、ちょうどこの時期ミリュウ様に責任を預けることもあります。その上でその『王権の代行者』に進言されたのですから、結果、ティディア様はハラキリ様に依頼することを了とされました。それを妹君への贈り物と取ることも、もちろん可能ではあります。が同時に、もしかしたら、この現状のようにニトロ様への助力がなされることも、ティディア様は期待していたのかもしれません。これは私の憶測ではありますが、もしそうでしたら、この了とした結論にはニトロ様への贈り物をも兼ねた打算があったのでしょう。今後どうなされるおつもりかは存じませんが、その気になれば、今アデムメデスで、ハラキリ様の、そしてハラキリ様がお連れになっている方々の傍はどこよりも安全なのですから」
「ふむ」
 ハラキリはうなずいた。まあ、筋は通っている。進言の裏にどんな意図を抱えているにせよ妹の面子を立てるのは、最近のティディアの――『劣り姫』をけして劣っていないとでも言うかのように表舞台へ押し出し始めている姉の態度からも無理はない。
 そして反面、実際に、ニトロがハラキリの……ハラキリの依頼人の手によって助け出された現状があるからには、ヴィタの推測をおいそれと退けることもできない。『安全』というのも、まあ、事実だ。
「――では、その事情はこちらも了としましょう」
 ハラキリの結論に、ニトロは異論を挟まなかった。釈然としない部分は残れども、一方でティディアの立場上の考えに理解もできる。それに、あのバカ姫を嫌い、ことあるごとに撥ね退けている自分が、ここにきて都合良く『お前は俺への配慮を優先しろ』と主張するのはあまりにおこがましい。
「しかし、ヴィタさん。今日は珍しく随分饒舌に話してくれたものですね」
 と、ハラキリは疑惑に満ちた声を発した。
 確かに――ニトロは思った――言われてみれば彼女はいつもよりはるかに口数が多かった。
「なかなか本心を見せない貴女がこれほど心情を吐露するのは非常に怪しい。情報の暴露具合も実に派手だ。一体、何を企んでいるんです?」
「直球だなあ」
 思わずニトロは言って、喉の奥で笑ってしまった。ヴィタも笑っているらしい。
 しかし、ハラキリの抱く疑惑はもっともだ。
「…−何も企んでいません。強いて言えば、可能ならばニトロ様に有益な情報を与えることを企てています」−小さな笑い声を挟んでヴィタは続けた―「これはきっと、背信行為ですね」
「何故ダイ?」
 芍薬が、間、髪入れずに問う。
 何故――いくら洒落めかせているとはいえ背信行為と捉えられることを、何故。
「…−そうですね」
 芍薬の気強い問いにヴィタは真剣みを取り戻し、少しの間を置いて、
「…−あまりにフェアでないからです。言葉を選ばねば、ミリュウ様は卑劣な闇討ちをされているに等しい。背信行為とは申しましたが、しかし、ニトロ様がこのまま一方的に攻撃を受けるだけでは我が主君にとって望ましい決着は得られないでしょう。それを避ける意味では、むしろ忠義となりましょうか。私の言葉に解決への糸口があれば――ですけどね」
「もし『背信』って言われるとしたら、今の卑劣な闇討ちってセリフがそうじゃないかな」
 ニトロは笑って言った。本当にこの執事は、涼しげに危ない言葉の選択をしてくれる。
「…−常識的に言えばそうですね。それはそれとして、ニトロ様が一方的に攻撃を受けるパターンでも個人的には楽しめますので、実は褒め言葉でもあるのですが」
「おっと、今度はまた被害者に対して随分なことを言ってくれる」
「…−ふふ」―ヴィタの吐息が漏れる―「しかし、さらに個人的な趣味を言えば、ニトロ様が存分に抵抗なさる展開の方がより好みに合います。その意味でも、情報を提供することは実に望ましいのです
「おっと、今度はまた随分我儘な『背信はんこう』の動機を語ってくれる」
 再びヴィタの笑い声が響く中、芍薬はもう何も言わなかった。ハラキリも口を結んでいる。そして、彼女の言い分には屈折しているとはいえ一本の筋が通っていることを、二人と同じくニトロも既に認めていた。
 三人から追求の言葉がこれ以上ないことを悟ったように、姉姫の執事は言った。
「…−ニトロ様。ミリュウ様は、本気です。ご本意が何にせよ全身全霊をかけています。それだけではありません。私が知る限り、つい先日までのミリュウ様にはあのパーティー会場の演説をあれほどに場の空気を支配して語り切るだけの力はありませんでした。しかし、あの演説は実に素晴らしかった。現時点では、例え違和感を覚えたとしても、あれが『クレイジー・プリンセスの悪ふざけ』のパスティーシュではない、と、疑える者はないでしょう。
 ……ニトロ様」
 気を窺うように、ヴィタが言ってくる「今のミリュウ様はこれまでのミリュウ様とは別人です。それを重々ご留意下さい」
「どうやら、そのようだね」
 ニトロはうなずいた。うなずくしかなかった。
「それじゃあ実は本当に『マニア』らしく憧れの人の真似をしてみただけ、ドッキリでした! なんてこともなさそうだ」
 力なく、最後に苦し紛れに返したニトロのセリフは、ただ虚しさを奏でて消えた。
 とうとう室内が静まり返る。
 ――ややあって、
「…−そろそろ戻らねばなりません。ハラキリ様、お預けしたクレジットカードを一枚も無くさぬようお願いいたしますね」
「了解しました」
 そのやり取りが何を意図したことなのか一瞬解らず、危うくスルーしそうになっていたニトロはハッと気づき、
「俺も財布を取り違えないよう気をつけるよ」
 言外に感謝を――感謝すべきことには素直に感謝を――忍ばせるニトロのセリフに、ヴィタは小さな吐息を返し、
「…−サンドイッチ、とても美味しかったです。ティディア様からもそうお伝えするようにと」
「はいはい、お粗末様でした」
 ティディアからもと聞いてぞんざいに応えた後、ふとニトロは眉をひそめた。
「ん? ティディアも?」
 独り言のようなその問いにヴィタが返したのは、小さな笑い声だった。まるで、彼女は思い出し笑いでもしているかのようだ。
「…−あまりの美味しさに、召し上がった後は泣き叫んでいらっしゃいました」
「え? 召し上がった? その口振りだと……まさかあいつ食べきったの?」
 驚くニトロの横で、芍薬も目を丸くしている。ティディアは辛いものが苦手ではないが、さりとて大の辛党というわけでもない。
「…−ティディア様は、ニトロ様の手料理ならばどのようなものでも残しません。ですが、仕返しの効果はちゃんとあったと思いますよ」
 ヴィタは明らかに笑いを噛み殺しながら言葉を紡いでいる。どうやら『コルッペ』入りのサンドイッチを食べた主人の様子がよほど面白かったらしい。彼女の顔は今、最高にツヤッツヤと輝いていることだろう。
 一方、ニトロは顔を曇らせていた。ふと芍薬と目が合って、ティディアの異様な根性について痙攣にも似た空笑みを浮かべあう。
 ヴィタの報告をどう受け止めたものか――またも――判断しかねるが、ひとまずニトロは、
「そりゃどうも」
 と、おざなりに返し、しかし次にははっきりとした語勢でヴィタに言った。
「とりあえず、ティディアに伝えておいてよ。帰ってきたらもっと覚えとけって」
「…−承りました。それでは、御武運を」
「武運なんぞ祈らないでいいよ。それじゃ、仕事しっかりね」

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