「…−凶暴な、あの巨人、その行為。それを生んだのは、ニトロ様をティディア様の隣から排除しようというお心にあることは間違いないでしょう。しかし、そのお心の正体は何なのでしょうか。嫉妬でしょうか、しかし、ミリュウ様が己の嫉妬心のみを源にニトロ様を害しようとすることには違和感がどうしても残ります。では、姉を思うが故の義憤でしょうか。ティディア様――いいえ、神官に言わせた通りに信奉する『女神』のためと言うなら、ミリュウ様はニトロ様を害することに躊躇いを持たないでしょう。しかし、あの凶暴さに私憤や私怨がないとは私には思えません。ならばそのどちらも、なのでしょうか。しかしこの二つは相反するものでもあります。私怨を持てば『女神』への純粋な思いにはならない。かといって純粋に『女神』のためかと思えばその意味において不純な動機を見逃すことはできません。そこにある矛盾を飲み込んで、それともお気づきにならず……ということも、もちろん考えられます。ですが、これは私の直感に過ぎないのだと思うのですが――」
 一度ヴィタは言葉を区切り、それから「何よりも私には、ミリュウ様は、ティディア様の隣からニトロ様を排除しようというのではなく、ことによるとニトロ様をご自身の手でこの世から排除することこそが目的とされているのでは? と思えてしまったのです。あるいはティディア様への感情よりも、強く。あれは『逸脱』です」
「ソノ象徴ガ、アノ巨人カイ?」
 芍薬が、問う。通話口から、ヴィタの息を吸う音が聞こえた。
「…−−そう、あの巨人。あの悪夢を元に造型したかのような巨人と、ニトロ様の死を祈る『ミリュウ様達』の姿を見るにつれ、私は次第に判らなくなってしまいました。ティディア様を絶対視し、ティディア様の言葉通りに従うミリュウ様が、ティディア様を手本としながら手本にはないものを生み出し、さらには絶対なるティディア様から逸脱するほど一体何に駆り立てられているのか……お恥ずかしいことではありますが、私には判断がつきません」
 ニトロは芍薬を見た。
 芍薬はニトロの視線に気づいて、マスターに困惑の眉を見せた。
 ヴィタの言い分は理解できても本題は余計に解らなくなった――と、芍薬の表情は雄弁に語っている。
 ニトロは同意の目を返し、それから遠い場所にいるヴィタへ向き直った。
「そう言われちゃうとさ、直接会ったこともない相手の真意を探らなきゃいけない俺はとんでもない難題にぶち当たってることになるんだけど……」
 その口には自然とため息が混じる。
「…−難題というよりも、無理ですよね」
 ヴィタは苦笑しているようだった。
 ニトロも苦笑いを浮かべるしかない。間違いなく、無理な難題だ。内心に、一つの『決断』の兆しが浮かび上がってくる。しかしその『決断』は現状で採択するには無謀極まりないものだ。彼はひとまずそれは脇に置いておき、またため息混じりに執事に尋ねた。
「ところでティディアは何て言ってる?」
「…−何も」
「???????????????????????????????」
 一瞬にして、ニトロの脳裡がはちきれんばかりの『?』に占領される。
 もしかしたら、いや、間違いなく本日一番の衝撃が、彼のあらゆる何もかもをも軋ませる。
 あのティディアが……この大事に対して何も言っていない? まさかこの世の終わりの前触れかッ!
 思わずきょろきょろと周囲を見渡せば、芍薬も、ハラキリもびっくり眼でヴィタにつながる携帯電話を凝視している。
「…−騒動の初報をお耳に入れた際、ティディア様は、ただ微笑むばかりでした」
 さらにヴィタは、ニトロの存在を消滅させんばかりの情報でんげきを流し込んでくる。
 あの物見高いティディアが……聞いただけでお仕舞い? ああ、この世の死が今確定したッ!
「……――ソレデ?」
 ぽかんと口を開けてフリーズしているマスターに変わって、芍薬が代弁する。するとヴィタはニトロの様子を察したらしい。
「…−それだけです」―どこか同情を込めた声がスピーカーを震わせる―「教団襲撃の詳報にも、特に反応はありませんでした」
 ニトロは……戻ってこない。茫然自失で固まり続ける。
 ややあって、ヴィタは笑って言った。
「…−ニトロ様には、やはりティディア様が良くも悪くも最も大きな『影響』を与えるのですね」
 その言葉に、はっと我に返ったニトロは慌てて声を上げた。
「そんなことないよ! ちょっとばかり積み立てストレスが倒壊して愕然としていただけさ! ていうか! それだけ!? あのバカ、本当に何も言わなかったの!? てかヴィタさんは、何か訊かなかったの? おかしいじゃないか、おかしいと思ったでしょ!?」
 激しく動揺するニトロの反応に理解を示すように、ヴィタは適度な間を置き、そして静かに言った。
「…−何を訊ねても明確なお答えはいただけませんでした。ただ『彼に任せておけば大丈夫』と。ここにきて、私は少々疎外されている模様で寂しいです」
 その声を聞く限り、ヴィタは本当に寂しそうだ。
 ニトロは、もしかしたら彼女から初めて見せられた感情を受けて、ようやく落ち着きを取り戻した。
「ティディアに、代われる?」
 これ以上、ヴィタに何を聞いても判ることはないだろう。不可解な言動も気になるし、こうなったら――『問題』を放置していた怒りもある――いつにも増して口を利きたくない思いもあるが、しかし直接問い質す他に手はない。
 そう考えてのニトロの要求に、ヴィタははっきりとした口調で応えた。
「…−ティディア様は、現在、随行の皆様と懇談中です」
「そっか。それじゃあそれが終わったら」
「…−いいえ、代われません。また、代わるおつもりもないでしょう」
「?」
 ニトロはきょとんと呆けた。
 あのティディアが――今朝は鬱陶しいくらいに会話を求めてきたあのバカ姫が、今度はその機会を自ら放棄する?
「…−この件に関して、ティディア様は大きく関わらないおつもりのようです」
 ヴィタの発言に、ニトロはまたしても脳裏を『?』で目一杯にした。色んな意味で頭が痛い。
「え? あの面白大好きのティディアが?」
 辛うじて、ニトロは言う。
「…−はい」
 あっさりと、ヴィタは応じる。
「騒動には首を突っ込みたがるあのバカが?」
「…−はい」
「しかも可愛がってる妹が関わってるのに? そうじゃなくても例えばほら、俺に恩を売る絶好の機会なのに?」
「…−はい」
「本当に……どういうつもりなんだ?」
「…−ですから、ミリュウ様をニトロ様に任せたいのでしょう」
「いや任せるったって、大体何で、何を任せるってのさ。いつも何考えてるか分からない奴だけど、今度ばかりは本当に分からないよ?」
 ニトロは強烈な戸惑いを胸にしていたが、次第に……段々と、苛立ちを覚え始めた。
 任せる任せると、無責任にあのバカは何を言っている。偽りを前提にした形式的なこととはいえ、これは『小姑』と『婿』のトラブルだ。ならばお前も立派に当事者だろう。
 それに加えて、そもそもだ。
 ミリュウ姫も不満があるなら――こちらに不満を被る謂れはないとはいえ――直接面と向かってぶつけてくればいいのに何であんなことをする。芍薬にも手を出し、危険な目に合わせて。
 思えばさらに腹が立つ。
 頭の痛みと胸の戸惑いが腹に落ち、ぐらぐらと煮え滾る。
 ええいチクショウ! 何故に俺は、王女姉妹にこんなに馬鹿げた苦労をさせられなければいけないのだ!?
 ティディアはともかくミリュウ姫には好感を寄せていたから、だからこそ発火した苛立ちと怒りに勢いが加わる。
「……やっぱり……ティディアと代わってくれないかな」
「…−できません」
「いいから引きずってでも連れて来て」
 ニトロの声は憤激に震え出していた。
 しかし、ヴィタは毅然と言う。
「…−絶対にできません」
「できるできないじゃ「主様、ソレハ駄目」
 とうとうニトロが怒鳴りかけた時、慌てて芍薬が口を挟んだ。
 ニトロが芍薬を見ると、芍薬は毅然として言った。
「気持チハ解ルケド、ソレヲシチャッタラ、主様ハ『無理ニデモティディア姫ヲ動カセル』ッテ証明スルコトニナッチャウ。ソレハ絶対ニ、駄目ダヨ」
 つまりそれは、『ニトロ・ポルカト』のティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナへの影響力――ひいては『次期王』の、希代の女王への影響力を示す実例となってしまうということ。既にニトロに求められている『クレイジー・プリンセスへの抑止力』という役割を、自ら補強してしまうことにもなる。
 現状ティディアに様々な印象操作を受けているところへ、そんな自爆を重ねるのは愚かなことだ。
(……芍薬の言う通りだ)
 ニトロは頭を冷やすよう、一つ息をついた。
「ティディアがそういうつもりなのは分かった。だけど、こっちはあいつの思い通りに動くとは限らないよ。というか、むしろ動きたくない」
 苛立ちや怒りは消えないが、表には出さずにニトロは言う。
 芍薬はその様子に役目を果たせたと安堵し、
「…−もちろん、強要は致しません」
 ヴィタも、どこか安心したように言う。
「…−ですが、結果的にでも、ニトロ様がティディア様のご期待にお応え下さることを願っています」
「できれば結果的にでもご期待に応えたくないな。そうすれば少しはティディアも俺に失望するだろう?」
 あるいは自らミリュウの希望を叶えようというニトロのセリフに、ヴィタは笑い声を返した。
「…−では、私の期待にお応えくださるよう願います」
「ヴィタさんの?」
「…−正直に申し上げれば、私は面白ければ何でもいいのです」
「おおっと」
 ニトロは思わずうなった。
「そりゃまた随分ぶっちゃけたね」
 ニトロの言葉に、ヴィタはふふと笑い、
「…−あのミリュウ様のお考えとは思えぬ行為には、予想や印象を裏切られて混乱させられた反面、それ故に実に愉快でもありました。思わぬ緊張感に、ニトロ様の素晴らしいアクション……大変面白く拝見いたしました。ですから、ニトロ様、どうかこのまま邪神崇めるカルト教団と戦って下さい。古来より、例え命を狙われようとも真っ向から教団を壊滅させ、邪神に取り憑かれた者達を救うのはヒーローの役目です。『スライレンドの救世主』にとっても実に相応しい」
 後半に関してはただの思いつきを口にしているといったヴィタの調子に、ニトロは苦笑を深め、
「ふぅん、そりゃまた立派な『王道』だね」
 彼は皮肉を言ったつもりだった。
 だが、ヴィタは心底愉快気に言った。
「…−まさに王の道です」
「……」
 投げつけた皮肉が却って自分への皮肉になっていたことに気づき、ニトロは顔をしかめた。
「拙者を」
 と、長く沈黙していたハラキリが、ふいに言った。

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